今日は久しぶりに6:46府中初のライナーで出勤。
そのまま学校に行ったら早すぎるので、
新宿駅地下の昭和の喫茶店でモーニング食べながら、
あれやこれやしてから大江戸線に。
海外からの新規入国が始まり、その準備に忙しい
日本語学校と、別のことに忙しい別チーム。
まさに貧乏暇なしですが、明るくあくせくしています。
(「あくせく」って漢字すごいんですよね。「齷齪」)
明日、3回目のワクチン。
副反応が出ないうちにしなければならないことがあります。
2022年2月、あと53分で終わり。急いで書かなくちゃ。
YouTubeを開いたら出てきた「虹と雪のバラード」は、
1972年の札幌オリンピックのときのテーマ曲。
歌っていた“トワ・エ・モア”が、フランス語で“君と僕”
という意味だということを、50年目にして知りました。
この曲を聴いて脳裏に蘇るのは、柳原小学校の音楽室です。
「戦争ですから」と、春休みの一時帰国を諦めた欧州の学生。
日本への入国をオンライン授業を受けながら待っていた、
ウクライナの学生が隣国に移動して、受講再開という連絡。
一方で、ロシアの学生たちはどうしてるだろうと。
世界中の君と僕へ。
♪
虹の地平を 歩み出て 影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が あふれる旗 叫び そして唄
♪
(写真は本文と関係ない、2016/3マレーシアのお茶屋さん)
2022年2月、あと23分。間に合った。
今日のコラボレーション、
東放学園さんとの共同企画での「CGキャラクター製作体験」。
貴重な機会をありがとうございました!
今日、講座を担当してくださった東放学園の景利先生とは、
数年前に、ベトナム、マレーシア、タイを飛行機で移動、
アニメワークショップツアーをご一緒したのでした。
さらに私たちは、インターカルトの台湾事務所が、
東放学園さんの台湾事務所をしているという縁もあります。
そして、今日のコラボレーションのもう一つは、
インターカルト日本語学校内のコラボレーション。
去年の秋に、コロナでの究極の事態対応を目的に発足させた、
4つのプロジェクトチーム、A、B、C、D。
今日のイベントは、チームBの企画だったのですが、
学務と教務とグローバルキャリアのメンバー一人ずつの共同体。
共同、協働、協同。コラボレーション。1+1=100。
なんであれ、日本に留学できる日を待ってくれている学生たち、
いつか日本に留学したいと思っている人たち、
そしてこのコロナの中、日本で勉強してくれている在校生たちが
喜んでくれたみたいなので、本当によかったです。
冒頭のパラグラフに「ことばは社会とつながっている」という
見出しをつけた、数年前に書いた文章。
朝、A国とB国が緊迫した状態に入ったというニュース。
あ、両方の国の学生がいたなと思って学校に行き、
聞いてみると二人は同じクラスだという。
授業が終わって担当の教師に、どう?と聞くと、
いつもと変わりませんよ、と。
ことばを学び、そのことばを使ってお互いを知り理解し合う
ことによって、自分自身で考え判断できるようになる。
これが、ことばの力、ことばの教育の成果だと思っています。
このA国とB国がロシアとウクライナでした。
ウクライナの子のお父さんとお母さんは、どちらかが
ロシアの人で、どちらかがウクライナの人だと聞きました。
ニュースを見ていて心が痛いのは、
どちらが悪いとか、ひどいとか、心配とか、かわいそうとか、
そういうことだけじゃなく、
それ以上の思いが湧き上がってくるから。
それは、それぞれの国の一人一人の人の顔が見えているから。
今のそれ、早くやめてください。
二子玉川に行きました。
二子玉川は「ふたごたまがわ」ではなく「ふたこたまがわ」、
「ふたご」ではなく「ふたこ」なのはなぜ?と検索したけれど、
地名の由来が多摩川を挟んだ「二子村」とが「玉川村」とある
だけで、濁音ではなく清音の回答は見つからず。
二子玉川で、懐かしい中村貴美子先生に会いました。
昔、2000年までの間にインターカルトにいらした方はわかる、
インターカルトの歴史、そして私の歴史でもとても重要な存在。
4年ぶりだったけれど、変わらず若く、何より美しかったです。
宇宙の歴史を思うと、自分の歴史の小ささがわかる。
それを目的に、若い頃、もやもやすることがあるたびに、
渋谷や池袋のプラネタリウムに行ったものでした。
貴美子先生と会って、4時間ぶっ通しで長い歴史をたどって、
今の自分を取り巻く様々なことを客観的にとらえられた気がして、
今日は本当にいい日になりました。
二子玉川、通ぶって(じゃないか)「にこたま」なんて言えない
のだけれど、改めて品があっていいところだなと思いました。
渋谷に出ずに南武線で南下すると府中から34分、びっくりでした。
今月の日経新聞の「私の履歴書」は、
元東京藝術大学学長、前文化庁長官の宮田亮平さん。
令和元年に、この宮田さんから賞状をいただいたので、
この連載を久しぶりに毎回欠かさず読んでんいます。
17日の「連携促進」と題された記事の中に…、
芸大学長であった時代に進めていらした改革の過程では、
「宣伝マン」に徹していらしたというお話。
ご自分では企画や指示はほとんどしないで、内容は教員や
学生たちに任せ、PR、援護射撃をしてまわられたそうです。
「他人から与えられた仕事には誰だってグチも出るし、
失敗すれば人のせいにもしたくなる。しかし自分で始めた
ことなら、なんとか成功させようと努力し、奮闘する。」
本当にそうだなぁと思ったので、引用。
出過ぎない、出過ぎない、出過ぎない。自分に言ってます。