• 101月

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    2023年1月7日、七草の日の朝、
    ニュージーランド・カンタベリー大学で日本語を教える、
    荻野雅由さんのインタビュー企画に載せていただきました。

    テーマは、日本語教育ど真ん中ではなく、転機、支え、幸せ。
    長くなってきた人生を振り返る機会になりました。
    お声がけくださった荻野さん、ありがとうございました。

    こちら。お時間ありましたら。
    ことばにかかわる人へのインタビュー企画

  • 255月

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    自分で勝手に思い込んでいるだけかもしれないのですが、
    特技、というか、自分に生まれながらに備わった能力は、
    透視だと思っています。
    人の心が読める、人と人の関係がわかる、というような。

    目、表情、漂う空気で、心の中が見える。(※と思う。)
    例えば、電車の中で目の前に何人か連れがいたとしたら、
    それぞれの人間関係、この人はこの人をどう思っているか、
    みたいなことがわかってしまう。(※と思う。)

    いいことは、自分の出方を決められる。
    相手の気持ちをわかって行動するので、ハズレが少ない。

    しかし反面、
    わかってしまうことが息苦しい、わずらわしい。
    それが気になって仕方がない。人と一緒ががめんどうになる。
    必要以上に相手をおもんばかってしまう。だから疲れる。

    写真は、今年の3月に行った府中郷土の森での・・・。

  • 273月

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    食べ物の中で、きゅうりが唯一苦手です。
    そのきゅうりが今よりずっと青臭かった高校時代、
    鼻で臭いを感じないように、口だけで息をしながら、
    きゅうりの薄切りの練習をしました。
    普通科と家政科がある女子校の普通科だったんですが、
    家庭科検定?を受けるのは普通科の生徒も必須でした。

    どうしてこの話題を思いついたかというと、今朝の日経、
    「4月1日 高校で新指導要領が始動」という記事を読んで。
    IT・投資、実学的学びが拡充されるそうです。
    ITは知っていたけど、投資も?? いいな今の高校生。

    自分の10代のころは、中学から男女別々の科目ができて、
    男子は柔道、木工、女子はダンス、調理実習、といった具合。
    柔道やりたい、木工やりたいと、先生に言いに行ったけれど、
    認められず。そんなことを単独でしてたのでしたよ。

    思い出すと、良妻賢母育成を目指していたのかなと思うような
    高校(地方なので選択肢が少ない)での家庭科検定でした。
    が、そんな中、倫理社会の課題で書かされた!?作文、
    「主婦について」だったか、そんな内容に対する自分の意見。
    考えに考えて、主婦は報酬はないけれど立派な仕事、みたいな
    ことを書いた私の文に、課題を出した女性の先生は、赤ペンで、
    経済的基盤のない自立はあり得ません。

    それが今の自分に繋がっているのかどうかはわかりません。
    が、事あるごとに思い出す、このO先生の文字です。

    その女子校は今年の春、男子校と統合されて校名が変わります。
    私の後、何年ごろまで、きゅうりを切る家庭科検定の受験が
    必須だったのかは知りません。

    写真は今。近未来の!?日本語教育を話し合う次世代の人たち。

  • 283月

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    2017年10月に入学した大学院から学位記が届きました。
    絶対に2年で修了!と思って、
    授業をとった週は、夜(10時近くまで!)と、週末は朝から品川で。
    しかし、超ウルトラ用事たくさん人間ゆえ半年延長。

    去年の秋以降の週末は、仕事でしていた教材の作成と、
    主テーマと副テーマ、二つの論文(レポート)書きを、
    交互交互交互にしていたのだけれど、
    3ヶ月前の大晦日、このまま、ほぼ寝ず状態での年越しはあり得ないと、
    「3月修了断念宣言」を指導の先生aと、ゼミ同期の男子bとc(35歳?)に
    送信。・・・しかし、頑張れ、共に修了、応援してますとおだてられ、
    豚は再び木に登りました。

    3年前、学校でEdTechセンターという教育IT事業の部門を立ち上げていて、
    日本語教育のコンテンツはいいとして、科学的な裏付けがほしい!
    と思っていたところに、仕事で知り合いの元●●省の方dがリタイアの挨拶に。
    実は私、今ここで勉強中、それがものすごく面白いんですよ〜、
    北陸先端科学技術大学院大学(通称JAIST)っていうところでね、と聞き、
    ん?科学技術? それだ!とピンときて、早速説明会に行って、受験。

    で、入ってみたら、面白いなんてもんじゃないほど、面白い。
    まず、一緒に講義を受ける皆さん、
    ほぼ全員が30から40代(時々それ以上)ほぼ理系、ほぼ大手の企業マンたち。
    授業ごとに毎回あるグループでの討論と発表の過程で聞いた話が、
    私にとってまったく知らない世界、違う価値観、それが人の数だけ。
    ああ、日本の若者、捨てたもんじゃない、いや、日本の未来は明るいぞと、
    とても嬉しい発見の連続でした。

    さらに、授業で出されるレポートのテーマのほとんどが、
    自身の業務に密接に関わる形で出されたので、興味をもって臨むことができ、
    また、とても役に立ちました。
    価値共創という考え方、様々な経営分析の方法も教えていただきました。
    副テーマ研究指導の先生eには、私のライフワークとも言える研究テーマを。

    30数年前、インターカルトの日本語教師養成講座の時代、
    小中高大通して、こんなに勉強したことはなかったと思ったのですが、
    今回の、主副テーマの最後の追い込み、週末と年末年始の集中期間は、
    もしかしたらあの時以上に脳味噌を使ったような気がします。痺れました。

    得られた縁に、もちろん終わりはなく、ありがとう!は皆さんにですが、
    上記登場の、a内平先生、b押手さん、c黄さん、d藤谷さん、e橋本先生なしに、
    この学位記はありませんでした。心から感謝です。

    違う世界を見るのは楽しい。社会経験があるから、おそらく、なお楽しく、
    得るものも多かったと、振り返って思います。
    はい、これで一応一区切りです。

    ※科学技術と言いながら、科学って何だ?、技術はPCの操作すらおぼつかない、
    さらに、言いたくないけど年齢…。本当にたくさん助けていただきました。
    ありがとうございました。

  • 183月

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    高校の後、さて…という時に、
    4年も大学にいったらお嫁にいき遅れるから短大に、と母。
    父は、とにかく一度は東京に出て東京で生活しなさいと。
    結局、大学に進み、結果、東京での生活を最大限謳歌し、
    伴侶にも出会い、将来は物書きにと密かに志す。

    しかし、いきなり物書きで食べられないのは百も承知、
    なので一応、大学4年の10月解禁という当時のきまりに従って
    就活もどきのことをして、物を書く時間が取れそうな仕事、
    と思って受けた東京隣接県の大学に入れてもらう。

    教務課3ヶ月の後、情報処理センターの開設準備室に異動。
    IBMでコンピューターの研修、フォートランとかコボルとか、
    確かピーエルワンとかベーシックとか、
    おかしな話だけれど、通信でプログラミングの講座を受けたり、
    新しもん好きなので、毎日わくわく楽しい4年間でした。

    でも、情報処理センターの運営が軌道に乗り一部門になると、
    私は本来コンピューターには興味がないのだから、
    必然的に、ただの受付と事務のお姉さんに。

    そこに現れたのがその大学の中国人留学生で、
    日本語が流暢な彼にパソコンのログインの仕方を教えながら、
    ん?誰が彼に日本語を教えたのだ!?!?
    それがきっかけで、私は日本語教師を目指すことにしたのでした。

    その後の、前職を辞めて日本語教師養成講座に通うまでのこと、
    養成講座受講中のことも色々ありますが、〜中略〜。

    日本語教師になって10年経った頃、
    大学、そして大学院に日本語教育の専門課程が設置され始め、
    私も、資格はないよりあった方がいい(よろしくない理由)、
    でもそんな時間ないな、と思っていた確か2001年、
    他校の校長先生が、放送大学が大学院を開設するらしいよと。
    それで受験して大学院の一期生に。競争率7倍には後日びっくり。
    文化科学研究科教育開発プログラムというところで、
    とても素晴らしい担当教官と他分野で活躍するゼミ仲間に恵まれ、
    これまた有意義な、仕事をしながらの2年間でありました。

    そして、それが縁で、では全然ないのですが、
    精神的にも履歴的にも密接な関係にある放送大学とご縁があって、
    この度、当校日本語教員養成研究所は、
    連携協力プログラムをスタートさせることになりました。

    (で、…物書きの夢は何処に。)

    今日の写真は、本文とはまったく関係ない、
    当校のオリジナルテキスト『Weekly J』シリーズの著者たちです。

  • 201月

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    今朝の代々木オリンピック記念青少年センター。
    地は曇り空、柄は葉なき新芽を抱く枝。
    こんな生地があったら浴衣を作りたいなあと思いながら。

    ちらつく雪を窓の外に見ながら、
    日本語教育機関トップセミナーの分科会。
    学校は40周年、私は30周年と、
    予定していたわけではなく口から出た自己紹介での一言。
    わっと笑いが起こったのですが、
    そう、もうそんなに長いのです。学校も私も。

    私が今の立場になったのは41の時です。
    それを遠くで伝え聞いた人が、え?あの加藤先生が?
    あの歴史とあの規模のインターカルトの?と、
    要は違和感…だったのだと思いますが、そう思ったと
    この間、十何年ぶりに会った人から聞きました。
    (まあ、それは正しい。教師上がりの女じゃ危ういね
    という噂が立った国も…。←このやろー!と思った~_~;)

    でも、41でも何でも、結局は何となく今日に至る、なので、
    やらせてみたら、できちゃうのだから、
    若い人にどんどん任せたらいいのだと、浴衣の柄とは別に、
    今と未来のことをたくさん話しながら思ったのでした。

  • 161月

    It’s a long story、話せば長くなりますが、
    地理が得意ではないので、真面目に勉強したことがなく、
    なので、どの国がどこにあるか知らない、
    興味がないままに、27の時にこの仕事に突入。

    この仕事に就いたおかげで、国の場所、歴史、文化、
    いろいろ知ることができ、本当に得したと思っています。

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    今日は、インドネシアからお客様。
    ラマさんの上司のアリフさんファミリー。

    It’s a long story、
    31の時、カチンとくることがあって、じゃあ私が行きます!
    と手を挙げて決まったインドネシア赴任。(それも単身…。)
    その時、ジャカルタはジャングルだと思っていました。

    そこから始まったインドネシアとの関係。
    まさか、こんな何十年たっても縁が続いているなんて。
    ジャカルタはジャングルではなかったし、
    ほんと、よかったよかった…なのであります。。

  • 101月

    子供のころ思い描いていた私の将来は、
    着物を着て、割烹着をしてしゃがんでお風呂に薪をくべている姿。
    それがずっと頭の中にあったので、
    結婚してすぐに、ハクビ着付け教室に通いました。

    一応、お嫁さんの着付けというような段階までしたのですが、
    その後、自分で着物を着るチャンスなし。
    それが、日本語教師に転職して何年かしたところで、
    卒業式に着物を着ましょう!という話がいきなり起こり、やったー!と。
    それから、入学式、卒業式、スピーチ大会、海外での留学フェア等で、
    積極的に着物を着るようになり、現在に至る…です。

    本日、2017年1月生の入学式。

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    あの、毎日着物を着ている嫁を目指していたころ(!?)、
    まさか22もの国の学生たちと一緒に写真に収まることになろうとは!

    何がどう役立つかわからないものですよね。
    そして今日の赤い着物、外国人学生を相手にしているこの仕事だから。
    普通、この年の人は着ませんよね。黒柳徹子さんくらいしか。ねえ。

    ということで、いつ、どこで、何が、どう役に立つかわからないから。
    今日、入学してきた皆さんも…。

  • 3012月

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    香港&マカオでの、
    「若手の先生時代」にタイムスリップした3日間は、
    あっという間に過ぎて、もう帰りの飛行機の中です。
    最年少、20歳だった学生が50になっていました。
    30年の日々も、振り返ってみるとあっという間、
    けれど記憶をたどると、一年一年はやっぱり重いです。

    インターカルト日本語学校は、来年、創立40周年、
    40年分の卒業生たちが東京に集合!…を企画中です。
    ※詳細、決まったらお知らせしますね。

    1977年にY理事長が興したインターカルト、
    その後、色々色々、本当に色々を経ながら、
    T本部長、O社長の後、2000年に私が引き継ぎました。

    2002年の25周年の時は、創設以来の教職員の方々を招いて、
    それまでのお礼と、これからは私たちが!宣言の会をし、
    2007年の30周年の時は、お世話になっている外部の皆さん、
    他校、進学先や業者さん、そして応援団の方々を招いて、
    私たちはこういう学校を目指します!のような宣言の会を。
    2012年の35年目の年は、震災の翌年、そして…、
    すべてにおいて原点に立ち返る年となり、会はもちろんなし。

    そしてこの間、11月にした教職員の自己評価のシートに、
    40周年記念に何を?…を記入してもらったところ、
    今までの“卒業生&教職員”で大同窓会!が断トツという結果。
    …よって、来年します。

    目的地(羽田)までの飛行時間 1:05。
    大晦日に、日にちが変わる前に大急ぎで家に帰ります。

    香港の皆さん、ありがとうございました!
    皆がいた2つのクラスを持てたことは、本当に幸運でした。

  • 1412月


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    インターカルト日本語学校 代表・校長
    1988年より、日本語教師、海外勤務、教師養成、ビジネス研修、
    いろいろを経て、2000年から現職です。

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