• 2710月

    無事、昨日が終わりました。
    創立40周年記念イベント第一弾の公開講座、
    ご来場くださいました皆々皆様、
    ご登壇くださった落語家の春風亭小柳師匠、
    吉野家ホールディングスの安部会長、
    司会の大迫さん、カメラマンの朱さん、
    本当にありがとうございました。

    そして、昨日の開催のために、
    事前、当日、準備を進め、それぞれの係に当たった、
    インターカルト教職員の皆さん、
    (本当に骨を折ってしまった私は置いといて)
    やる時はやる、インターカルトらしい骨身を惜しまぬ働き、
    大変大変お疲れ様でした!
    (諸々の色々はご愛嬌とさせていただきましてm(._.)m)

    昨日の写真がまだないので、
    「専門学校進学フェアinインターカルト」の受付の写真。
    一昨日、リニューアルしたばかりの1階学生ラウンジに、
    新しい椅子とテーブルが入りました。

    そして、公開講座の打ち合わせ時の資料。
    全体スケジュール、役割分担、司会原稿などなど。

    それでは皆さま、一瞬、骨休めをして、
    次なる「大同窓会」12月3日に向かってまいりましょう^^

  • 1910月

    明日、午後からある外の会議が終わったら、
    羽田空港、そしてそれから台湾に行きます。
    台北で、日本での就職のセミナー。
    今やっと、自分のパートの資料ができあがり、
    大急ぎで台湾事務所に送りました。あわあわ。

    綱渡りか、自転車操業か。
    この仕事を始めた20代の頃は(ピンクのスカート)
    何であれ、こんなバタバタはしていなかった。

  • 1310月

    ホームページを作ってくださっている会社から、
    創立40周年のお祝いのお花をいただきました。
    奥深い色合い、品格、華麗さ、100%私の好みで、
    さらに100倍嬉しかったです。

    写真に写っている人の中の一名が、明日から産休です。
    さて誰でしょう?…って、ダメですよね、そんな問題。
    左端のMs.tataiさん、お帰りをお待ちしてますねー。

    夜は、日本工学院さんの創立70周年記念祝賀会。
    うちより30年多い…を大きく超えた盛大なパーティー。
    5日前に97歳になられたという理事長先生の、
    ユーモア溢れるお話がとても楽しかったです。
    創設者が創立70周年を迎えるというのはギネスブック級
    …らしいです。

    さらに、理事長先生のご出身が栃木県佐野市と知り、
    え、お隣ではないですか(私は足利なので)!…と。
    突如湧き上がった親近感と共にいただいたお料理の食材、
    お肉や野菜や果物…それらが栃木県産だと聞き、
    ああ、故郷への思い、こういう表し方もあるのだ…と。

    インターカルトの70周年はどんなでしょうね。30年後。
    今、30歳の人が還暦を迎える年ですよねえ。
    私は限りなく90に近い年齢。…招待してくださいねー。

  • 1210月

    2010年にイタリアのLucca Comics and Gamesの会場で初めて会い、
    2011年にフィレンツェでのフェアのブースでお手伝いをお願いし、
    2012年にインターカルトのウィークリーコースに入学してきて、
    2013年にインターカルトの長期コースの留学生として再び来日し、
    その後、日本で就職し、日本人と結婚したジョルダーノさんが
    奥さんと娘さんと共にイタリアに帰ることになり、
    その挨拶に来てくれました。

    イタリアのルッカで初めて会った時は、意思の疏通できず、
    翌年、フィレンツェで会った時は、ジョルダーノさんが辞書を引き引き…、
    それが、インターカルトのおかげ(…も少し)と、
    社会で揉まれる中で身につけた日本語とその背景の知識と経験により、
    今日はもちろん日本語で、縁と恩の話などしてしまいました。
    また、会えます。会います。Grazie!

  • 1010月

    30数年前にイギリスの語学学校に短期遊学した時に
    ホームステイをしていたのですが、その家には同じ学校に通う
    イタリア人とスペイン人とタイ人と日本人がいました。
    そして、ある日のホストファミリーの奥さん(ランドレディ)の
    誕生日に行われたホームパーティに、私たち学生も一緒に参加…。

    夜も更け、お酒が十分にまわってきた頃にワールドカップの話に。
    その頃、タイも日本もワールドカップにはまったくの無関係、
    イギリス人とイタリア人とスペイン人が尽きることなく
    「俺の国が一番強い!」
    と言い合うのを、驚きと羨望の気持ちで眺めていました。

    そして、その流れで今度は昔の自分の国について、
    「◯◯年代には俺の国の領土はここまであった!」と。
    えー?そんなー、そんな大昔のことで言い争ってしまうわけ⁉︎
    と、そりゃもうびっくりでした。

    地続きで領土の取り合いをした歴史を持たないタイ人と日本人は、
    わからないよね、私たちにはね、と…こそっと。

    本日、2017年10月生の入学式。
    100人を超える30近い国と地域の新入生たちが入学してきました。
    ああでも、国と地域って、国際人が集う学校と自負する私たちは、
    いつの何を根拠に言うのがいいのだろうか。

    私がイギリスの語学学校を選んだ時のポイントは、
    在籍する学生の国籍の豊富さと、日本人の割合の低さでした。
    そうやって選んだ学校での勉強、アクテビティ、そして友だち、
    30年たっても失せない思い出を、なんであれ、
    今日入学してきた新入生たちにも持ってもらえたらいいな、
    嬉しいなと、とっても思った今日でした。

  • 0510月

    以前、ある大学の学生さんが論文を書くために、
    しばらくクラスに入って学生観察をしていたことがありました。
    もう10年くらい前のことなので詳しいことは覚えていないのですが、
    彼の論文(だったか、そのサマリーだったか)によると、
    入学したてのクラスでは、言葉が通じないクラスメイト同士が、
    まずはひたすら笑顔を送り合い、休み時間には、買ってきたお菓子を
    お互いに配り合っていたというのです。
    それが日にちを経るにしたがって、徐々に無駄な笑顔の交換も、
    お菓子が飛び交うこともなくなっていったというのです。

    これはつまりクラスメイト同士、人間関係が築けた結果、
    国を超えて日本語での意思疎通ができるようになったということ。
    …おそらく。
    とても興味深い観察結果で、今でも時々思い出します。

    さて、こちらは日本語教師養成講座2017年10月期生の皆さん。
    いつの代もたいていそうですが、初日は一様に緊張顔、ですよね。
    これから笑顔やお菓子の交換が始まるのかどうかは不明ですが、
    せっかく選んだこの道、
    選んだ以上は徹底的に大変な思いも嬉しい思いもして、
    半年後にほんとの笑顔で修了していってくださったらと…(祈)。

    追伸:
    私の咳は徐々に良くなってます。
    でも電車の中で咳き込んでいたら、今日も隣の人に遠い席に移動
    されてしまいました。これ、結構落ち込む。

  • 279月

    昨日修了した日本語教師養成講座の皆さん。
    皆でいることがとっても嬉しく楽しそうで、
    だから昨日は、とっても名残惜しそうでした。
    羨ましいほどに。

    私は1987年の10月生なので、
    日本語教師を目指して勉強を始めてから丸30年。
    皆さんの顔を見ながら、初心忘るべからずだなと。

    なんだか最近、余計なこと(とは言わないけれど、
    本来するべきこと、することを望まれていること以外の諸々)
    に忙しく、反省すべき点大ありです。
    (と言いつつ、こういうぶっ飛んだ人間は必要だと
    思っているんですけどね。)

    なんであれ、このとっても厳しいコースを修了した皆さん、
    おめでとうございました!
    これから皆さんは何者にも打ち勝っていけるはず…。
    でも、それぞれのペースで、ふぁいと!
    大同窓会での再会を楽しみにしてますね。

  • 259月

    私が安室奈美恵のようなことをしようとしているのではないか、
    と思ったという人に今日会ったので、急遽、しません宣言。
    安室奈美恵ならかっこいいけれど、この私がこの中途半端な今ではねえ。

    思わせた原因は「俺のバトンの渡し方」。
    これは、40周年の総合テーマ「つなぐ・つなげる」に紐づいたもので、
    ご登壇くださる吉野家の安部会長とも落語家の春風亭小柳師匠とも、
    それぞれの縁でつながっているのですよ。

    …で、今日はちょっと、吉野家の安部会長とインターカルトの縁について。
    倒産から奇跡の復活を遂げた吉野家さんと並べ記すのは申し訳ないのですが、
    敢えて書かせていただくと、たどった歴史が似ています。
    吉野家さんのちょうど10年後に我らが母体はつまずき、にもかかわらず、
    日本語学校として存在し続けている過程で私たちを支えてくださった方が、
    偶然、吉野家さんを復活に導いた方々のうちの一人だった…。
    それが縁で、吉野家さんは私たちの1995年の独立劇以降、様々な支援を…。

    安部会長と私はちょうど10歳違いです。
    安部会長はご存知の通りアルバイト出身、私も非常勤教師出身
    (いや、正確には創立10年目の日本語教師養成講座の学生出身)。
    母体のつまずきの後、安部会長も私もおそらくとっても頑張ってしまい、
    同じ40歳の時、つまり私は会長の10年後ですが、
    組織のバトンを受け取りました。(※組織の大きさはまーったく違います!)

    去年の9月に日本経済新聞に連載されていた安部会長の「私の履歴書」、
    読んでいらした方も多いと思いますが、
    その最終回、9月30日のタイトルが「次代にバトン」でした。

    バトンを渡した後、経営に関しては一切口出ししない、
    しかし、未来を担う新しい世代に向けて開いているという吉野家塾。
    そこで語っていること、伝えていることの一端も、
    10月26日の公開講座でお話しくださることになっています。

    10年前、インターカルト創立30周年の記念誌に記した私の文章です。
    「2000年10月に現職に就いた時は、歴史と伝統の詰まった「インターカルト」
    という、ずしんと重い包みを両手に乗せた気分でした。
    それを無事に次の世代に渡すことが私に課せられた使命だと思いました。」。

    その使命を果たす日はまだ少し先という話が、こんな長文になってしまいました。
    ※公開講座のお申込みは→こちらです。
    ※安部会長の基礎知識をという方は→こちらなどいかがでしょう。

  • 229月

    今の若い子たちは、
    伝統的なお菓子よりもこういうのが好きなんですよ!
    という、あちらの事務所の皆々の助言に従って買った
    ポテトチップス、などなど。
    特にこれをつぶさないように、満員電車の中でした私の踏ん張りが、
    少しでも、これをもらう子たちに伝わったらなと思います。

    出張前々日に突然思い立ったビデオ撮り計画に、
    期末試験ほか諸々ある中、ガッテン!承知だ!と言わんばかりに、
    喜んで協力してくれた在校生たちに感謝感謝です。

    彼らは、去年ジャカルタでした学校説明会に参加してくれた学生たち。
    先輩となった彼らのビデオを見て続く後輩たちがきっときっと。

    ところで、出張中に我がサツマイモはこんなに成長していました。
    花はまだです。

  • 029月

    昨日食べたプーパッポンカリー。蟹と卵のカレー炒め。
    15年前に初めてタイに来た時、
    当時バンコクに住んでいた養成講座の後輩、
    moriさんに連れて行ってもらったお店、ソンブーンで食べ、
    えー?こんなに美味しいカレーが世の中にあるのー?
    と思ったそれ。

    その頃タイで、インターカルト日本語学校はまったくの無名。
    今日のJAPAN EXPOにもつながるJeducationフェアで、
    畳を敷き、花を飾り、日本の雑誌を置いたブースに
    まずは立ち寄ってもらおうとした時期、それはmakiさんと。
    入学者第1号第2号を迎えた後は、
    kidoさんやsakamotoさんと着物を着て臨み、
    フェアの度に、帰国した卒業生たちに声をかけて、
    小さな同窓会を開いた時期。色々を経て、今。

    皆々多忙等々につき、一人でやって来た今回、
    卒業生たちがブースを手伝ってくれたり、訪ねてきてくれたり、
    さらにマレーシアから養成の後輩nishioさんが助っ人で!
    今年、フェア開催15年目、第30回の開催だと聞き、
    改めて、懐かしさとありがたさを噛みしめています。
    ここまで導いてくださった、hasegawaさんとjuneさんにも、
    心からコップンカーです。

    実は今日の夕食は、15年よりもっと前に、
    インターカルトに学生を送ってくださっていたhattoriさんと。
    創立40周年の節目の年、歴史を感じながらの旅(出張)だなと…。

    長時間で少々過酷で怒涛の、スケール半端じゃないフェア、
    今日と明日も。ふぁいと!でまいります〜 ٩( ᐛ )و