今回、マレーシアに来て、本当によかった。
誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった けれど 確かに歩んできた道だ
いくつもの日々を越えて辿り着いた今がある
だからもう迷わず進めばいい 栄光の架橋へと♬
(ゆず「栄光の架橋」)
インドネシア帰りですが、フランス語です。vingt-cinq ans。
出張の最終地ゴロンタロで、
今回一緒にセミナーをしてまわったH社の皆さんが、順次、
それぞれ自分の本拠地、ジャカルタやマカッサルに帰って行き、
最後、ラマさんと二人。…夜、ジャカルタで別れました。
25歳というラマさんと私、考えてみたら母娘ほどの年の差。
仕事に年は関係ないので違和感はないけれど、
25の頃、そうだったな、私は…と。
『25ans(ヴァンサンカン)』、
その頃、職場の先輩からまわってきた雑誌、今もあるみたいですね。
新卒で勤めたそこは、いい人ばかりで居心地よかったのですが、
26で辞めて、今の仕事を目指す準備を。
あれから早、ん年。ずっと辞めずにきて、気づいたら今です。
今、次の世代に渡すための今のように思って色々していますが、
でも、まだ私がすることあるなと今回とっても思い、
それはとても嬉しいことでした。無事帰国しました。
良きパートナーとの三日間、
年齢とか国とか所属とか、そういうこと全てを越えて。
GW中にはるばるやってきた甲斐、ありました。
今日はゴロンタロの大学でJapan Study Seminar、
今日も“Building your path to Success in Japan”。
本当は、暑いインドネシアで食欲が落ちて痩せる予定でした。
が、さにあらん、初めてのものも懐かしいものも、
バクバクと口からお腹に入っていき、
私だけでなくおそらく全員、確実にかなりの増量だと思います。
ま、体が資本(…ですけど。)
以上、暑くて熱い、bagusバグースなインドネシアから。
明日、マカッサル経由でジャカルタまで、
乗り換えてジャカルタから深夜便で…明後日の早朝成田です。
Terima kasih!ありがとうございました!〜皆さんに。
赤道直下のスラウェシ島、マカッサルでの二回目のセミナー、
今日は、マカッサル国立大学の大教室で。
ここでも(世界中どこでも)AKIHABARAは有名で、
「学校は秋葉原!」と言った瞬間、ほ〜っという歓声。
私がインドネシア語が(少し)できるのは、
ジャカルタに住んでいたことがあるから。で、その時期は、
「1992年!」と言った瞬間に流れる、え〜!という空気。
つまり、会場の皆はまだ誰も生まれていない時代なのですね。
昨日も今日も。こっちが、え〜!?です。
「 Jembatan(ジュンバタン)」はインドネシア語で「橋」、
いろんな意味で、今日もJembatanをたくさん感じました。
終了後、チョトマカッサルのお店へ。
マカッサルの名物料理、一番古くて一番人気の店だそうで、
壁に、私の知らない有名人の写真がいっぱい。
チョトマカッサルは、牛の肉と内臓と血の塊の入ったスープ。
こういうのでも何でも大丈夫なのが、出張者の必須条件ですね。
私はもう何でもかんでもOKで、おかわりも。
そして、赤道を渡って北半球のゴロンタロへ。
こちらに来るまで、地上の移動だと思っていたのですが、
飛行機で1時間50分、車だと3日かかるのだそうで。
ゴロンタロ、なんたって名前がかわいいですよね。
我ら一行、オールインドネシアン、私はオンリーワンの日本人。
あっちこっち遠足みたいで、楽しいGWを過ごしています。
本日、八十八夜と手帳にあります。
「夏も近づく八十八夜 ♫」の八十八夜でしょうか?ね。
そして、同行のAriefさんのお誕生日。
朝食を食べていたら、ホテルの人たちがロウソクを立てた
ケーキを持ってきてくれました。おもてなしですねえ。
そして今日は、インドネシアは「教育の日」なのだそうです。
私たちがした日本教育セミナーもその一環で、
学校やホームステイの紹介をさせていただいたんですが、
主催者のAriefさんやIrwanさんが、インドネシアの若者たちに、
彼ら自身の将来をどう考えるか、その道筋をどう作っていくか…、
そういうことを熱く語るのを聞いて、おお!いいぞと。
タイトルの「心の友」は、インドネシアでは誰もが知っている
1982年の五輪真弓の歌(→画像よくないですがこれです)。
これを、学校紹介のスライドショーのBGMに。
そうしたら会場中で皆が口ずさみ、小さな大合唱になりました。
こじつけではなく、たくさんの心の友と会った一日でした。
インドネシアは、私の第二の故郷なので。
@スラウェシ島・マカッサル。