
私の記事の右上の小山暁子さんが、
これをFBにシェアしてくださり、ああ、こんな時代もあったなと、
思わずしんみりした気持ちになっています。
2011年、15年前の『月刊日本語』のインタビューでは、
目指すは「歌って踊れる日本語教師」とは言っていないのですが、
振り返ってみると、歌うも踊るも、あれするもこれするも、
よし!これだ!と思い立っては、本当にいろいろしてきました。
記事によると、
教師になって早々、三校を目いっぱい掛け持ち。
授業のない夜と週末は、とにかく準備準備。
多国籍と欧米人中心と中国人だけという三つの学校。
テキストも、インターカルトのオリジナルと、
『An Introduction to Modern Japanese 』と、
『日本語の基礎』。とあります。
…とにかく場数を踏もうと思ったからでした。
その、私の日本語教師デビューの年、1988年に発刊された、
アルクのこの『月刊日本語』は、2012年から休刊のままです。
終わっていない、という生き方もいいのかもしれない。

ところでこれ、昨日の晩の高田馬場でのお酒。
学生時代に行っていた、村さ来(むらさき)とか養老乃瀧とか、
あと、清瀧とか、あの頃のそういうところの日本酒は、
今から考えると、悪酔いしかしないのだったから、
いい思い出はなく、日本酒は嫌だなと思ってきたのですが、
大人になって、いや、大人になりすぎた今頃になって、
日本酒って美味しいんだなと気づいている、のんびりした奴。
いいお酒だと、歌って踊りはしないのですよね。
