Archive for 神本令子

語意の拡大化現象番付 (平成・令和版)

語の意味の中の、不当に軽い用法、拡大用法は、

今、巷にはびこりつつあります。
実は、8年前にこの誌上で扱ったのですが、確実に勢力を確固たるものにしているので、
令和3年現在の、番付を発表したいと思います。私 神本選です。

横綱  大丈夫
大関  号泣
関脇  秘境
小結  ヤバい
小結  こだわる
前頭  担保する
(新入幕)

 

「大丈夫」は、本来の「具合悪そうですね。一人で帰れますか?」

「えぇ、大丈夫…」の用法も、もちろん使われていますが、何かを断るときの使い方は、若者に限らず超高齢の方以外の人々に、広く使われています。
ファミレスで、長く談笑している席に、水をつぎに来たウェイターに

「大丈夫です」を連呼しているお客たちがいます。それが、60代後半ぐらいのグループで、びっくりしたことがあります。ここまで来たかと‥

また、笑っちゃうのがありました。秋葉原駅の昭和通り口近くに、ひとかたまりのいわゆる風俗店があって、呼び込みのスタッフの

「お兄さん、キャバクラいかがですか~?」に

「ダイジョブで~す!」と、とてもリズムよく声をそろえた、                              若い男子三人組。
「僕たちに、そんなキャバクラの心配してくれなくても、                                  気にしてくれなくても大丈夫」
と言っているようで、笑っちゃった。
ことほどさように、広く、各世代に浸透していて、もう大横綱の貫禄です。

「号泣」は、甲子園球児が試合に負けて、特にエラーをした選手が、

ワ~ワ~大声をあげて仲間に抱きかかえながら、去っていく様を表す言葉なのに、
「美人女優、号泣!」というタイトルで、ただ涙ぐんでいるだけのシーンをテレビなどで見ます。

数年前に、兵庫県の県議がカラ出張を疑われ、「私は知りません~ワ~ワ~」と号泣して、疑惑を否定している会見が報道されていました。大人が、県会議員という偉い人が、人目もはばからず、見苦しい泣き場面をせっかく見せてくれたので、おかげで「号泣」の誤用ともいうべき拡大用法は、  姿を一時消したと思われました。それがまた、盛んにやられている。みんな、特にテレビ局の人は記憶力が悪いんですね。               結局、「涙ぐむ」とか、「涙する」という雰囲気のある言葉が消えていくのでしょうか。

関脇の「秘境」は、今やただ単に交通の不便な山奥を、センセーショナルに言っているだけの言葉になっています。

しかし、今、広い世界のいずこかはいざ知らず、日本には、秘境はないと言えるのではないでしょうか。
死語は、例えば「アベック」、見ばが悪いの「見ば」のように、実体はあっても「古くさい」感じを与えるもの以外に、実体がないために死語になったものがあります。「ポケベル」「ブルマー」のような語です。

今や「秘境」は、「ポケベル」と同じ運命なのでしょう。しかし、「秘境」という字面から来る神秘性によるのか、拡大用法がまかり通っているのかもしれません。

小結の二語については、息が長いおなじみのものなので、説明は割愛。

 

新入幕の「担保する」は、今回、番付を作ろうと思ったきっかけの語ですが、

ここ1~2年でしょうか。ビジネスの世界で、見かけるようになりました。

・安全性を担保する(医薬品メーカー)
・公平性を担保する
・経営の独立性を担保する
などなど。
初めて耳にしたとき、「おや!」と感じましたが、

要は、安全性を保証する/保障するの意味。

担保というと、「借金のかたに、家屋敷を取られる」の「かた」の意味で、やや古い感が否めないのですが、

「安全性を担保する」というと、保証するより物々しい感じ。
意味も強度アップです。
それで、いつの間にか、市民権を得つつある用法になったのかもしれません。

これは、使い慣れた語には、従来あったインパクトがだんだん薄れ、

より衝撃が強い新しいものが求められることになるということでしょうか。

皆さんはテレビのCMで、Y倉R嬢が濃いピンクと赤を組み合わせたスーツで、元気に叫んでいるのをご覧になったことがありますか。私はあれを見て、実はとても衝撃を受けました。もともと、赤とピンクの組み合わせは、合わない組み合わせだと長く思っていたものだったのに、その違和感が、 とてもかっこいいと思ったのです。新奇なるものが持つパワーでしょうか。「マゼンタ色と赤」の新しさ。新奇なるものは、語意拡大化の要因の一つだと言えると思います。

語彙は、カタカナ語を中心に、新しい言葉が増え、また、意味の拡大化現象も、多く見られます。言葉は生きているとつくづく思います。

今回は、長期コース教師の神本令子でした。

マゼンタと赤

ゆうべ3時まで起きていたので・・・

長期コースの教師、神本です。
中級や上級のクラスで、「基礎文法」を担当する時には、
「基礎文法ができる人が、本当に日本語が上手な人です。」と学生にいつも言っています。
ちょっとの違いが大きな違いだからです。
基礎文法は、助詞・動詞の変化「辞める/辞められる/辞めさせられる」又は文末表現
の使い方が主ですが、
動詞を「~る」で言うか「~た」で言うか「~ている」で言うか「~ていた」で言うかは、とても学生が苦戦します。

例えば
「ゆうべ3時まで(起きていた)ので、今日は眠い。」は難しい。
同じ状況を言いたかったら、学生は間違いなくみんな、
「ゆうべ3時に寝た」と言います。
「ゆうべ3時まで起きていたので…」をすっと使えたら、かなりの実力者。自然な日本の使い手と言えるでしょう。

他の例で言うと、
A《動物園のサル山を見て》
暑いからかな?サルたちみんな寝ているね。あっ、あの子(起きている)。かわいい!
B《完全に徹夜をして、翌日の正午》
あ~あ、疲れたな。昨日の朝は7時に起きたんだから、
もう、29時間も(起きている)んだもん。
AもBも、難しくありませんが、「ゆうべ3時まで起きていた」は日本語らしい表現(日本語ならではの表現)と言えるでしょう。英語母語話者の学生に聞いてみたら、英語にその表現がないわけではないが、あまり使わないとのこと。中国語も、この言い方はないそう。
日本語では逆に、「ゆうべ3時に寝た」はあまり使わないと言えるのではないでしょうか。「3時に寝た」というより、「3時まで起きていた」の方が過酷な感じを受けます。

また、学生にとって難しいものをもう一例。
《会社で》
S:今日の打ち合わせ、何時からでしたっけ?
T:えっ、今日だったんですね。すっかり忘(れていまし)た。
これも、殆どの学生が、「忘れてしまいました」。や「忘れました」という誤答。
学生は、どういうわけか、「~てしまいました」が大好きで、この間違いが多し。
そんなに「~てしまいました」を使いたかったら、
「えっ、今日だったんですね。すっかり忘(れてしまっていまし)た。」になりますね。
相手に、打ち合わせのことを言われて、思い出したその時点で、
「忘れている」から「忘れていた」に変わるダイナミズムはすごい。すごいぞ!日本語!

同じく、(PCをチェックして)「修理に出したのに、(直っていない)。変だなあ。」
の「直っていない」も正解できる学生はごく少数。
「直らなかった」の誤答が多いです。

日本語の基礎文法の中でも、このアスペクト(その動き・動作などが、今どんな段階にあるかという文法表現)を、使いこなすのは至難の業。
「基礎文法ができる人が、本当に日本語が上手な人です。」と言っている由縁です。
アスペクトの説明の時は、線を引いて、区切りを付けたり、波線にしたり、いろいろ工夫して、わかってもらう努力を重ねているわけです。わかってくれると、私としては、とてもうれしい瞬間を迎えます。

☆最近の私の疑問(基礎文法ではありませんが)
お笑いの人で、「シュウペイです!」と言って両手をクロスして、おどける芸人がいますが、
なんで、「シュウペイ」なのか。「シュウヘイ」じゃないのか。
「シュンペイ」なら、わかる!「純白」「新品」「三分」「短編」「憲法」などで分かるように、
撥音「ん」の後のハ行音がパ行音になる音変化です。

みんなが、「シュウヘイ」と読み間違えるから、
わざわざ「シュウペイです!」と自分の名前をアピールしているのでしょうか。そうなら、涙ぐましいですし、この名前は、言わなくては読めないので、納得します。真相はいかに?

わたらせ渓谷鐡道「線路は続くよ どこまでも」

誰にでも 優しい人に 雪つぶて

 

暗く暑く 大群集と 花火待つ

これは、私が好きな西東三鬼の俳句です。直接、花火の鮮やかな光のことは言っていないのに、次の瞬間に、暗闇にばっと広がる明るく大きい花光が見えるようです。おそらく花火を知る人ならみんな、想像をかき立てられるのではないでしょうか。これが、私が俳句にひかれる由縁です。

今までも、上級のクラスで何度か教室で「句会」をやってみましたが、今学期もやってみました。
「冬の俳句」のJ7bクラスの句会。

まず、次のことを伝えました。
【1】5・7・5 → 17文字 ~ 世界で一番短い詩 ~
【2】季語を入れる  季語 ・・・ 季節を表す言葉

【3】~や ・ ~かな  ( 冬空や / みかんかな )

【4】たて書き   *小さい「っ」「ゃ」「ゅ」「ょ」は右の方に書く。

文字数ですが、
⑦ 学校 ②インターカルト ③セーター ④じゃんけん ⑤ちょっと ⑥お正月
⑦プレゼント ⑧授業中 ⑨郵便局 ⑩結婚式
このような単語で、「いくつの言葉?」を練習してみましたが、拍感覚がきちんとありそうな
上級のクラスの学生でも、間違えたり、迷ったりする学生もいて、ちょっとびっくり。

そのあと、
冬の季語を
天気・自然 / 行事・衣食住 / 植物 / 食べ物ごとに紹介。

次に、
「なべ囲み みんなで食べる 〇〇〇〇〇」
の五字を、皆に出してもらい、次々に板書。
おいしいな / 楽しいな / にぎやかに / わいわいと・・・・・
この場合、「楽しいとか、にぎやか」と直接言うより、「わいわいと」のように、楽しい雰囲気を
想像させる方が「俳句らしいのです。」と私が言ったら、L君が大きくうなずいていました。

そして早速、それぞれに指を折りながら、自分の俳句作りをスタート。学生によっては、一人で五句作った人も。

できた人の分を、番号をアトランダムにして、A4に無記名で羅列。
15名出席で、1人1~2句を取り出し、全体で25句を並べました。それを全員にコピーして配布。1人3句ずつ好きなものを選んでもらいました。
私も選んだのですが、この時間が、また楽しからずや。「句会」も最高潮です。

25句中、6~7票、4~5票、人気があったものもあり、1票も入らぬものも5~6句有り。以前、学校の句会で、2回連続私のが全然選ばれず。それを申し出たら、学生たちが一応、ばつの悪い顔をしてくれたことがありましたが、全然 票が入らなかった人には、少し慰めになったかも。今回は、私はあえて提出しませんでした。でも、気持ちはわかります。一般の(外部の)句会でも、入らなかった時の悔しさはすさまじく、また、票が入った時は、舞い上がるほどの幸せを感じた経験があります。

さて、結果は
1位  初雪だ 足跡二つ 思い出に  (Hさん)
もっと喜べばいいのに、と思うぐらいポーカーフェースでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その他、
誰にでも 優しい人に 雪つぶて
真っ白な 千本桜 舞っている
谷の村 太陽輝く 初雪だ
ひっそりだ 満月ひとつ 冬の空
冬の雪 降りしきるもの 屋根かくす
こたつかな ゴロゴロしすぎ 出たくない
クリスマス イルミネーション デートなし

大雪後 ぬかるんだ道 野垂れ死ぬ
これは、悪の美学に惹かれるL氏

最後に全員が、一句ずつ色の紙に清書して、貼り出しました。
楽しかったと言ってくれた学生もいましたが、実は私が一番楽しんだかも・・・。

今日は、長期コースの日本語教師、神本令子がお送りしました。

今どきの日本人の名前考

長期コースの教師の神本令子です。

インターカルト在籍中の欧米人学生の名前、ファーストネームですが、見ていて本当に感心します。というのは、オーソドックスというか、昔ながらの名前が多いからです。イタリア人なら、マルコ・パオロ・エレナ・マリア・シルビア・ソフィア

ロシア人なら、イーゴリー・アレキサンダー・アンドレイ・ウラジミール・マキシム・アナスタシア・ユリアナ・・・・

特に、ロシア人の名前は、小説や映画や、また、どこかで聞いたような名前ばかり。イワンさんが入ってきた時は、「イワンの馬鹿」の名前が本当にあることに、感激したものです。

寡聞にして、よく知らないのですが、上記の名前には、キリスト教の聖人の名前から来ている名前が多いとのこと。欧米文化には、キリスト教が厳然として、大きな影響力を持っているんですね。

それに比して、今どきの日本人の子供の名前は、「人と同じ名前はイヤ」とばかりに、極極(ごくごく) 個性的なものが多いようです。

世愛(せな)日本語なのにリエゾンしてる? 愛彩(あや) の愛はどこに行ったの?空星(そら)の星はどこに行ったの?

美里(みさと) じゃなくて、(みり)。これについては、元々「美」の(み)は、

音読みなので、弘美や明美が湯桶読み(訓+音)なんですね。(みり)が音読み同士で、正統かもしれません。でも、ほとんどの人は美里(みさと)と読むのではないでしょうか。

読めない名前の、最高傑作は、春風と書いてチューリップちゃん。確かに、チューリップの茎は細く、しなやかで、風が吹くと、一斉に同じ方向に花がなびきます。本当に春の風を感じます。この名前は、「土産」「雪崩」と同様に熟字訓の発想ですね。でも、カタカナ語まで、広げてしまうのは、やりすぎ!!

現在、長期コースに、インターカルトに入る前に日本の中学や高校で、外国人英語指導員を務めていた人が三人いますが、そのうちの一人、Lさんが言っていました。彼は、伊豆諸島の青ヶ島の中学にいたのですが、「先生たちが、『生徒の名前が読めない』と言っていました。」とのこと。

名前は、個人のものであって、使うのは個人だけではなく、いわば公のもの、

人と違うのは、名前じゃなくて、人そのもので勝負すべきではと思うのですが。これは、昔ながらのオーソドックスな名前の有名人が出てきて、感化される人が増えるのを待つしかないかとも思います。

ちなみに、昔風の名前で、かっこいい名前の人がいます。プロ野球・楽天のショート、茂木 栄五郎選手です。彼が活躍して、知名度が上がることを祈っています。

「情けは人のためならず」考

インターカルトの中級・上級レベルには「目的別授業」という選択授業があります。

学生のニーズによって、いろいろ選ぶのですが、日本語能力試験対策の読解を担当していて、

「そうか~ !」と、ちょっとびっくりした文章に出会いました。

 

「情けは人のためならず」ということわざの解釈についての文章です。

 

このことわざの意味は、「人に親切にするのは、人様のためではない。人に親切にすれば、良いことが自分に返ってくる」という意味で、つまり、「情けは人のためではない」と言っているのですが、何ゆえ、多くの人に、「親切は、本当にはその人のためにならない」と誤解されているのかについての考察でした。

いわく、誤りのポイントは、「ならず」という部分にあるという指摘です。古語「ならず」は、「なり」の否定形で、意味は、現代語の「ではない」。「情けは人のためではない」が本来の意味であるのに、「人のためにならない」と解釈してしまうので、意味の取り違えが生まれるのではという解釈でした。

私は、この解釈を見て、長年の疑問が晴れた思いがしました。「なり」は、「時は金なり」などにも見られ、現代人にも流通している語彙でしょう。また、「逆は必ずしも真ならず」の「ならず」の方も、多くの人に知られているだろうと思います。

例えば、「そばかすのある肌は、きめ細かくてきれいである」。その逆の「肌がきめ細かくてきれいな人は、そばかすがある」が、「逆は必ずしも真ならず」の一例です。しかし、これを、「逆は、必ずしも本当ではない」と解釈しても、「逆は、必ずしも本当にはならない」と解釈しても、一向に構わないでしょう。つまり、誤解は生じません。

しかし、「情けは人のためではない」と「情けは人のためにならない」は、全然違うのです。

「~になる」「~にならない」のところは、変化の先を表しています。例を挙げると、「僕は、お父さんのような普通の会社員にならない。僕は、ミュージシャンになるんだ。」

私は、「情けは人のためならず」のことわざに接すると、思い出す光景があります。中学生のころ、「友達に宿題見せて」と言われた時に、私は、習ったばかりの正しい意味の、「情けは人のためならず」の裏側にある「親切は、本当にはその人のためにならない」を同時に心に感じたものです。でも、もちろん、断ったことはありませんが。

このように、「頼まれるのは、何だかうれしい」 「頼まれると嫌と言えない」という人は、少なくないと思いますが、その時、きっと、「親切は、本当にはその人のためにならない」と感じながら・・・ということが多いのではないでしょうか。だから、正しい方ではなく、間違った意味の方が、現実生活に合っているとも思いました。

それに、ぜひ言いたいことですが、親切にする時は、普通、見返り、将来的な効果は期待しないのではないか。とも思い、「情けは人のためならず」の正しい意味の方に、少し、功利的なわざとらしさを感じてしまうのです。

目指すべきは、「善意の伝染現象」とでも言うのでしょうか。

 

「情けは人のためならず」の、もっと感じのいい言い方はないものでしょうか。

 

《JR三鷹駅の跨線橋から》 行き交う中央線や電車庫から出入りする総武線が一望できます。

今日は、日本語学校長期コースの神本令子がお送りしました。

「you」 を何と呼びますか?

ちょっと前になりますが、台湾出身で、長らく日本で一緒に仕事をしている彭さんのスタッフ・ブログを見て、さすがと瞠目しました。

日本語で、「名前を知らない相手を何と呼べば良いのでしょうか?」という命題です。

今日は、彭さんの文章に触発されて、以下、考察を試みてみたいと思います。

 

呼びかけたい時、彭さんが言うように「あの・・・、すみません」または「もしもし」などと言うしかありませんね。

初めて、呼びかける時だけでなく、話し相手の「you」を何と呼ぶかも、同様に困ります。

 

A:その方は、おいくつぐらいですか。

B:そうですね。ちょうど、「あなた」ぐらいでしょうか。

という会話は通常しません。この「あなた」を使わないということ自体が、本当に不思議な事ですが…

 

場や、状況によって、「あなた」ではなく、

「先生」・「運転手さん」・「店長さん」・「皆さん」などに入れ替えて話していますよね。

小さい子なら、

「坊や」・「お嬢ちゃん」

場合によっては、

「お二方」・「お三方」これは、若い人は、使用語彙ではないと言ってもいいでしょう。

「あなた様」もかなり丁寧ですし。

私も、二十代の頃は、初対面の年下の女の子に「お姉さん」と言われたことがありますが、年格好に合わせて、「おばさん」と言うのは、決して許されません。それを言ってもよいのは、子どもだけ(高校生ぐらいまで?)です。

ということで、「あなた」に言い換えることができない時は、ちょっと首をかしげながら、人差し指から小指まできちんと揃えて、相手を指し示すしかないのかもしれません。

 

と言うより、面と向かって、相手を話し相手として接する時は、会話の途中でも、

「あ、お名前、教えていただけますか」と言って、聞いてから会話を続けるのが、普通のことのようです。

「名前も知らない赤の他人」という言い方がありますが、日本語では、名前を知らないと、会話が出来ない言語なのかもしれません。

「名前なんか、あと、あと」というコピーの新興住宅街のテレビCМが、以前あったのを覚えています。

その住宅街に引っ越してきたばかりの子どもが、公園で、自然と仲間に加わっていく場面でした。名前を知らなくても、一緒に遊べるのは、やはり子供だけなのでしょう。

 

日本語クラスで、文型や表現の練習プリントをする時、

 

リン:サラさんは今夜の飲み会、行きますか?

サラ:私が言い出した会ですから、行       わけにはきませんよ。実は、体調が良くないんだけど。

サラさんが、第三者ではなく、「あなた」の意味だということが分かるように、上の文のように配慮しなければならないゆえんです。

同じく、

リン:サラさんは今夜の飲み会、行くかな?

トム:サラさんが言い出した会ですから、行       はずがないですよ。

のように、トムさんに、登場してもらって、会話の状況を学生にわかってもらう訳です。

 

彭さんは、「あの・・・、すみません」または「もしもし」などは、日本語独特な持ち味だと言っていましたが、同じ職場に外国人がいて、その人の自然な一言を聞けるのも、グローバルな職場の醍醐味だと思い、改めてありがたく感じています。

 

今日は、長期コースで日本語教師をしている神本がお送りしました。

 

写真は、夏草の中を走る「わたらせ渓谷鐵道」です。

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なぜ人は詩にひかれるのか?

インターカルトでは、中級以上のクラスで「目的別授業」という科目をやっています。

学生の好きなもの、ニーズによって選んで登録する、つまり、選択授業です。

この1月~3月の学期では、新しく「詩を音読しよう」という科目を私、神本令子が担当しています。

 

日ごろから特に詩というものに傾倒しているわけではないのですが、日本語で書かれたいろいろな詩を紹介し、学生一人一人に自分の好きな詩を見つけてもらえたら面白いなと思ったからです。また、「歌は歌われるために作られ」、「スピーチは語られるために書かれる」と同様に、「詩は読まれるために作られる」と思ったからです。この読むは、黙読ではなく音読です。

今学期は、卒業をひかえている学期ゆえ、その作品のよさをきちんと表現できるような発音で読んでみましょうという目論見もありました。

 

中から、一つでも二つでも「自分の好きな詩」を見つけるためには、選択肢が多いほうがいいとの思いで、できるだけたくさん紹介し、学生たちと解釈し合い、読んでみました。

扱った詩人は、

まど・みちお/茨木のり子/三好達治/木村信子/川崎洋/寺山修司/高村光太郎/

長田弘/工藤直子/辻征夫/山村暮鳥/大木実/河井寛次郎/岸田衿子/俵万智

 

有名な詩としては、

「雨ニモマケズ」

学生が気に入っていろいろな作品を紹介したのは

「相田みつを」と「金子みすゞ」

 

他に、現代社会を今、生きている人たちの詩として、

新聞に投稿された一般の人、いわば「無名の詩人」のものも紹介しました。10作品でした。

短くて読みやすいものを、一回に3~4つ紹介したので、その中からお気に入りの詩を選ぶのは、比較的たやすかったようです。

神本008

また、阪田寛夫の「葉月」という大阪弁の詩は、大阪出身のH先生に大阪弁で録音してもらい、

その圧倒的異次元の世界に一同驚愕しました。

 

ロシアのI君は、恋愛っぽいロマンティックな詩が好きなようでした。

韓国のC君は、詩それぞれのよさを発見し、広く受け入れてくれたようです。解釈が常に深く、

私は時々、自分の浅薄な発想に恥じ入りました。

 

そして、台湾のS君、「これ、何を言いたいか全然わからない」「これが詩ですか。」といつも、

なかなか気に入ったものが見つかりませんでした。

その彼のリクエストで、「百人一首」の中から四つ紹介したら、「今までで一番いい」と言ってもらえました。中国の詩に似ているとのこと。もしかしたら、中国人の彼にとって、五言絶句や七言律詩の世界が詩の世界なのかもしれません。山水や草木、日や月を描き、あまり感情を語らないのが彼にとっての詩なのかも、と思いました。

 

以上、

いろいろな詩を探しながら、私にとっても幸せな目的別授業でした。

学生たちが「日本語が上手ですね」とほめられるのは なぜ?

インターカルトは4学期制で、10月10日から秋学期がスタートしました。

私が新しく、クラス担任をすることになった中級中期のクラスで

「日本に来てわかったこと/外国へ行ってわかったこと」というテーマで作文を書きました。イギリスで思ったこと、エジプトで感じたことを書いた学生もいましたが、あとは皆、日本でわかったことを作文にしていました。「日本に来てわかったこと」とは、「来る前は知らなかった」ということで、つまり「日本に来てびっくりしたこと」を挙げていました。

①街にごみ箱がない。自動販売機は多い。

②電車が激しく混んでいる。

③夜遅くまでやっている飲食店がないので、おなかがすいた時、困る。開いているのはコンビニと居酒屋だけ。

④各地にいろいろなお祭りがあって、祭りの時の日本人はとても元気。特に「よさこい祭り」

などなど・・・

その中で、アメリカからの女性Мさんの作文には、「う~ん」と考えさせられました。

数年前に来日し、当時は現在に比べて、ほとんど日本語が出来なかったのに、時々「日本語が上手ですね。」と言われたそう。その時、どうして日本人はそんなウソを言うのかと不思議だったとのこと。最後にМさんは、「日本人は、外国人が日本語を話すのはとても難しいと思っている。その日本語を話している外国人にお礼が言いたくて『日本語が上手ですね。』と言うのだと、今はわかった。」と考察している。

なるほど。

日本語学習者であるインターカルトの学生が、学校の外で出会う日本人によく言われるのは、「いつ日本に来ましたか?」と「日本語が上手ですね。」だと聞いたことがあります。

日本語教師である私たちは、学習者にとって何が難しいかということを知っていることが、教える際の大いなる道具、いわば財産なのです。でも、日本語教師でない一般の方々が、「日本語は難しい」と思っているだろうことは、何となくわかります。日本に来る外国人が珍しかった時代を知っている年配の方は、殊更そう感じるのではないでしょうか。

だから、お礼を言いたくなるのでしょう。Мさんは、作文に「外国人にお礼をしたくて」と書いてありましたが、それこそ、気のきいた和菓子でも持っていればそれをプレゼントしたいぐらいの気持ちでしょうか。

インターカルトで学んでいる学生たちは、それぞれの目的を持って来日していますが、日本が好きと言ってくれる人が多いです。しかし、日本語には、めんどくさいと思われる文法や、数多い様々な語彙、そして読み方が多く、音変化もある漢字の読み、いろいろな覚えることがたくさん。日本語学習に果敢に挑戦している学生たちを敬服します。

Mさんは、「ウソ?お世辞?」とも書いていましたが、自分の母語を学んでくれることのありがたみを改めて感じた次第です。

神本136

まっすぐのびるJR身延線

今日は、鉄道ファンの神本令子がお送りしました。