2015年の今日は、ミャンマーにいました。
ある業界団体の皆さんの視察ツアーにお誘いいただいたのですが、
気づいたらツアーコンダクターのような感じでの参加でした。
でも、その役ができるほどに、何度か赴き、行く度に皆さんに
良くしていただきました。
今、ミャンマーを案じています。Pray for Myanmar…
アメリカ在住の元カル(インターカルトで仕事をしたことがある人を
暫定的にそう呼ぼうと今思った)のMr.小林さんがシェアしていた
記事のマスクの写真。2枚重ねのマスク、やはり推奨しているんですね。
さっきこっちでもテレビで特集していました。
その投稿に対して、
>もう空気を信用していないので、私もalreadyダブルマスクです!
という軽いコメントをしたら(私がです)、
オーストラリア在住の元カル、ほとんど同期のMs.明子さんに、
>Kato Sanaeさん
>オーストラリアは昨日パースで帰国者が入るホテルで働いていた人
>1人が感染したのでパースは5日間のロックダウンになりました。
>今日から国会が始まるんですが西オーストラリアからの国会議員は
>これが決まった時もう機上の人だったんですが、
>5日間のロックダウン中国会に入れません。このくらいしないと
>感染は防げないってことを日本も認識しないとオリンピックほんとに
>やるんだったら大変なことです。
と。
台湾の感染防止対策の凄さは、よく報道で話題にしているけれど、
オーストリアも、Ms.明子さんから聞くだけでも、その徹底ぶりは凄い。
いや、凄いって称賛してる場合じゃないんですよね。
ms.明子さんのコメントに、
私は、スガ総理でも、モリ五輪大会組織委員会会長でもないのですが、
そのお言葉しかと・・・という気持ちでした。
マスクを二重にしているだけでは、感染者数聞いて一喜一憂だけでは。
7年前の一昨日、
>今日は、プロポーズのお手伝い。
>在校生のMs.キュウさんに彼女の教室で結婚を申し込みたいという
>大学生の彼からの希望に応えて、セッティング。
ここに書いていました。
授業中のプロポーズを許しちゃう、だけじゃなく皆で乗っちゃう、
今論議されている日本語教育機関の類型化の一つに、こういうのも。
勉強だけが留学じゃない、これも日本語学校(と発言はしないけど)。
写真は、実家の母からLINEできたピカチュウゲットの写真です。
ポケモン、数年ぶりのマイブームのようで、車で近所をまわって…。
集中することがあるのはいいことですよね、でも85歳、
今年の誕生日で免許返納するそうです。当然の年齢だけど思い複雑。
母とは24歳違い。同じ血をまるまる引き継いでいたら、
私もあと24年以上、好きなことに熱中できるということだなと、
ほっと嬉しかったピカチュウゲット。
ところでプロポーズ大作戦の二人、今どうしてるのかな。明日確認。
願わくば、さりげなく生きていきたいと願っているのだけれど、
さりげなくって、それは無理か。
…と昨日書きましたが、こういう場面で私が「さりげなく」という
言葉を使うようになったきっかけは、山口百恵です。
「精一杯、さりげなく生きていきたいと思います」と言って、
舞台にマイクを置いて引退した山口百恵。
私は山口百恵の一つ下の学年です。※学校違います。
山口百恵と桜田淳子と森昌子が中三トリオだったとき、中二でした。
NHKでさっきまで放映していた引退コンサートは、
間の1時間、zoomミーティングのため見られず。
今思い出してもほんとに楽しかった中学時代の思い出に浸りながら、
現実と行ったり来たりって、まさに自分そのもの。
自分の引退はいつなのだろうと思います。
そもそも引退って何を指すのか。人生最後の日が引退の日のようにも。
まだまだしたいことがいっぱいありすぎて、
でも自分は一人しかいなくて、時間も1日24時間しかないのに、
どうしましょうね。優先順位つけられないから。
写真は、季節外れですが曼珠沙華。山口百恵の歌では「まんじゅしゃか」。
昨日ここに「勘と勢いで生きながらえてきた私…」と書きましたが、
「生きながらえる」の『大辞林』の例文がふるっていて、
「生きながらえて老醜をさらす」。私、大丈夫か。
5年ほど前に、内部の先生たちの勉強会「語りを聴く」というのに
呼んでもらったときに、話しながら引用した我が拙歌、
2015年前後に詠んだのを並べます。
22歳、新卒で就職した職場時代
・百歩前いでてゴールで一等賞取ってようやく男と並ぶ
・課長いる?男はほかに誰かいる?その要件をなぜ吾に言わぬ
日本語教師初期、インドネシア時代、ビジネス部門時代
・はしたない仕事の対価言うなかれ女の前に女はだかる
・呑み食いで仕事はせぬと電話切る打ちっぱなしも三度でやめる
・ニッポンの女は凄いとサムスンの男言いしをしかと受け取る
そしてごく最近
・第一線退いたならこの鎧シールを貼って火曜に出すべし
・引き時と言いつつ我は澱のごと瓶底にあり時に漂う
・棺まで持ちゆくことの随分とたまれり春の還暦間近
今もこれからも
・隔てなきたった一つの太陽を七十億の民が眺むる
生きながらえて老醜をさらすことのないように、
願わくば、さりげなく生きていきたいと願っているのだけれど、
さりげなくって、それは無理か。
写真は今朝の朝焼け、うちのベランダから。
威張れる話ではないですが、見切り発車が得意で、
かなしいかな、さっさと見切るのも得意です。
短歌もその一つで、2012年ごろ勢いよく始めたものの、
数年前に断念し、さっと身を引きました。
365日毎日一首詠むぞと決めて成し遂げたのは、
今、毎日書くぞと決めてこれを書いているのと同じですが、
生き方が短期決戦だから、燃え尽きるのも早いのでしょうね。
しかし、華々しいことがなかったわけではなく、
2015年に、近藤芳美賞という短歌の賞に入選しました。
一つのタイトルで十五首詠むというものです。よかったら以下。
「余瀝飲み干し…」
・図に乗って昨日は少し飲み過ぎた朝のトイレにニッカが香る
・呑み食いで仕事はせぬと電話切る打ちっぱなしも三度でやめる
・大事なる和なれど和のみで成り立たぬ組織もビールもまとめて苦し
・神谷バー寄りて求めし電気ブランノスタルジアが味覚鈍らす
・「おお!さすが獺祭」などと言うてみて名に呑まれたと顔赤くする
・賀茂鶴は戦艦大和とうんちくを言いて止まらぬ蕎麦屋の酔漢
・奈良漬けで酔いし父より生まれたる我は好んで酒の歌詠む
・遺言にあらねど父の通夜振る舞い酒なきことをいかに思いし
・爪先に心臓ありと思ゆほど我を酔わせし初コークハイ
・ビール壜片手に勝手にシンドバッド居酒屋清瀧今もあるらし
・巫女にまだ注がれぬうちに盃の余瀝飲み干し妻となりにし
・味噌汁を小鍋に分けて酒粕を落として溶かすわたくし用に
・雨の日はマッコリですと教え子が言っていたなと棚に手延ばす
・上海で好かぬ人よりもらいたる紹興酒の瓶捨てずに飾る
・イスラムの教えによりて飲めぬ国だからなおさらビンタン旨し
写真は、私が好きなお酒、東の横綱の紹興酒です。
誘惑に勝てないもの。東の横綱、歌舞伎揚(写真)、
以下順不同で、干し柿、漬け物一般、ナッツ類、オリーブ…。
夫は三つ上で、ということは引退に片足突っ込んでるってことですが、
数年前から料理にハマり、その上達の勢いとどまるところを知らず。
好きでやってくれているので、恩着せがましく言われることもなく、
ただただよかったよかったです。
昔、誘惑の横綱だった脂身の多い肉、私も年をとってきたので、
前頭くらいに降格して、毎食毎食、肉肉言ってないんですが、
いいか悪いか夫と食べ物の好みが似ていて、油/脂の登場回数多し。
・・・よって、コルステロールたまるたまる。
ふう。
プライベートの話をするのはあまり好きではないので、
普段、ここには実家の母くらいしか登場しないのですが、
書くことに事欠いて、夫と歌舞伎揚まで登場させてしまいました。
継続は力なり、だけれど、継続は大変。だから力になるんですね。
以上、どうでもいい話でした。失礼しました。
左上から、東京kの主婦会館、
その右、インドネシアのメダン、
下のは、ミャンマーのヤンゴンの、足跡です。
タイトルの『地に爪跡を残すもの』は、
佐々木邦という人が昭和9年に書いた小説で、
亡き父がよくこの本のことを話していたのは、おそらく、
「地に爪跡を残せ」と言いたかったからだと思います。
「地に爪跡を残すもの」、知ってるような顔して、
この話をよくしているけれど、実は読んだことがありません。
それはやっぱり、父に対してもまずいだろうと思って、
Amazonを見たら、出品者という人から買えるとわかったので、
さっき注文しました。
親しくしている人たちが今、様々な足跡を残しています。
大事に作り上げてきたen塾に終止符を打とうとしている人、
韓国の『きらめく拍手の音』というドキュメントを翻訳した人、
・・・人、・・・人、・・・人。
僭越ながら自分の人生と重ね合わせて、ちゃんと整理して、
改めてひとつひとつ、ここに書いていこうと思います。
・・・あぶない、またうたた寝。