• 271月

    今日は、惜しまれて辞めて行く人と会いました。ん?
    辞めて行くのは学校のWEBのサポートをお願いしている
    会社の人で、惜しんだのは…私たちです。

    本気で惜しまれて辞めて行く人って、そうはいないと思います。
    おべんちゃらや、社交辞令でではなく。

    「書く」とか「読む」とか、それは一人でもできるけれど、
    一人ではできない、二人以上の登場人物が必要な動詞、
    たとえば、「結婚する」とか「けんかする」とか「議論する」とか。

    「惜しまれる」も必ず、惜しむ人と、惜しまれる人。※受身形だから。

    MR.I

    惜しまれたいと望んで、惜しんでもらえるというものでもない。
    何がそんなに私たちを惜しませたか。それは、まあ、ここでは。

    でも、どんなに惜しんでも、
    自分で見つけて決めた道を進むなら、それは仕方がない。
    いや、それがあるべき生き方と明るく送り出しました。

    がんばれ!31才。男。Mr.I。

  • 211月

    今日の午前中は、文化庁の日本語教育小委員会。
    終わって学校に戻ったら、お餅つき。
    午前の部は終了、午後の部間もなく開始というところでした。

    ついたお餅でお汁粉。つきたては、つきたてだけのことはある。

    888_convert_20140121200942
    (写真、縮小してくっつけたらボケてしまったような。)

    さて。昨日書いた、
    「かっとして」と「がっと言って」と、さらに「がしがし」について。
    すべて、語頭が「か(が)」でした。音の印象ってありますよね。
    「か行」の言葉(擬態語)、何となくとんがった感じ、しません?

    ・・・で、加藤も「か行」だなぁと。
    さらに、はたと。私の前の名字の最初は「お」だったなぁと。
    確かに昔はもう少しおっとり、おだやかだった、・・・と思うのです。
    私は、社会に出て一年後に「か」になりました。
    社会の中で揉まれたら、まあ、「お」ばかりではいられませんよね。

    以上、二日続けて自分のどうでもいいことで恐縮です。
    でも、「か」である正当性を少し。