10年くらい前に、赤い財布を使っていたら、 金運が落ちるからダメ!と、台湾事務所の面々に。 以来、金運アップと(風水が言う)黄色です。
新しいのを買いました。黄色の縁起物、 加えてフクロウ(不苦労)の柄とチャーム付き。
日が沈んで、月が昇って雲に隠れて、 明日の朝にはまた太陽が顔を出しますね。
雲の影から出てきたお月さまは今日も美しいです。 こんなに、月が話題の中心になるって、 そんなにないですよね。でも、それはいいこと。
カメラを向けたときの中秋の名月は、 雲の向こう側にありました。
明日からまた新しい週、今月はあと三日。 いろんなことがあり過ぎて、…。 ごしゃごしゃ考えずに、前を向いて進むのみ。 です。
あれ?ここ何があったんだっけ?と、忘れないうちに写真。 ここには、銭湯がありました。一度も入ったことはないのだけれど。
お休みするときには、「二十日マデ休業シマス」というように、 ひらがなのところがカタカナで書いてあって、 きっとここのご主人は年のいった人なんだろうなと思っていました。
うーん、なんとも。
夏の真ん中あたりから、一匹、二匹、 玄関のドアを開けたところにいます。いや、あります、か。
蝉の一生。 地中に十年、地上に出たら一週間と言われますが、 人に捕まらなければ一ヶ月くらいは生きるそうです。 いずれにしても長くはない。
表舞台の短さに、切なさを感じるけれど、 それはものすごく一面的な見方のような気が、 最近とってもするようになりました。
先週伺った、おすしと和食の調理専門学校さんで。 和食のプロの料理人は、出汁を、 「とる」ではなく「ひく」というのだと聞きました。
昆布や鰹節から、無理やり旨味を取り出すのではなく、 旨味を引き出す・・・そういうことだそうです。
これ、すべてに通じる、そうありたいことのような。 ぐいぐいとではなく、自然にまかせて引き出すって、 なかなか難しいことですが。
あっと言う間に八月があと一日に。 残暑は何処へ。外はひんやり冷たい雨、ですね。
高田馬場と言えば、歴史が苦手な私でも堀部安兵衛。 ですが、今日はそれと関係なく久しぶりの高田馬場。
私が通ったインターカルトの日本語教師養成講座は、 当時は高田馬場にあり、その時の文章表現の授業で、 作文の課題が「高田馬場」だったことがあり、 「ばば」を競馬場の「ばば」とかけて、競馬好きの 早稲田大学8年生の知り合いのことを書いたなと懐かしく…。
思い出がある時代が、年々遠く離れていきます。 朝晩だいぶ涼しくなってきて、またゴールに近づいた感じ。 果てしない未来の中で生きてきた自分にとって、 あるまじき台詞なのですが、最近そんな風に思うことしばしば。
螺旋階段のように、ねじれた感じで花をつけるので、 ねじり花。または、ねじ花、ねじれ花、ねじり草とも。 蘭の一種、夏の季語、花言葉は思慕。 そして「ねじり花踏まれても尚芝に咲く」だそうです。
今月、もう半分以上過ぎたところで、 カレンダーの絵が青森のねぶた祭りだと気づきました。 本物を見たことはないのですが、 ラッセーラッセーとアクセル全開のようなお祭り…ですよね。
アクセルを踏むのは得意(好き?)なほう、 でも、ブレーキも時に必要だなと思う場面が、最近時々。
ご先祖さまを迎えるお盆の入りの日に帰省。 生きている人がこんな日に帰って来るものではないと、 学生だった父を祖母が叱ったという話、何度も聞いていたけれど、 生きている人間からすると、休みの都合上そうせざるを得ない。 …というのは時代が変わっても。
その祖母は私が生まれる前に、父ももう三十年近く前に他界しました。 子供の頃はお墓に迎えに行って背中に背負って、 車に乗っても潰れないように気を遣って座ってたなと、 お盆は、そんなことを思い出す日でもありますね。
十五才までの思い出だけがたくさんある人達とも会って、ああ!お盆です。