29年前に私の学生だった人たちとその家族、
現在の仕事のパートナーの皆さんと食事をして、
今、空港に。深夜便で帰ります。
マレーシアには、
つなげてくれる人、つながる人たちがたくさん。
ありがとうございました! 爆睡希望zzz。
マレーシアの人はすごいです。
今日会ったリャンさんの知り合いたちは、話す相手によって、
英語、マレー語、北京語、広東語、客家語、福建語を
使い分ける。リャンさんはさらに一つ、私に向かって話す日本語。
日本語しかない日本人にとっては、とても不思議な光景。
午前中お邪魔した高校はムスリムの学校なので、
皆さんの公用語はマレー語、私たちに対しては英語でした。
そこで日本語の授業を見学。
国際交流基金の北浦和での教師研修を受けたという、
メリッサ先生の授業はテンポよく明るく楽しく、
1クラス30人全員が一体化していたのは先生の手腕ですねー。
ところでマレー語とインドネシア語、
兄弟言語でかなりの部分が同じだけれど、微妙にちと違う。
でもコタキナバルがあるボルネオ島は、
マレーシアとインドネシアが半分半分、地続きなので、
コタキナバルで使われるマレー語はインドネシア語に近いのだと
校長先生がおっしゃっていました。
なので、私の(N5レベルの)インドネシア語もすんなり通じました^^
昔々インターカルトのクラスにいたマレーシアの女の子が、
子供の頃からいろんな言葉をまぜこぜに喋っているから、
どの言葉もちゃんと正確には喋れないのだと言っていたけれど、
どうなのだろう。
正確であることと、たくさんの言葉を使って人と意思を通じ合えること。
今日のコタキナバルの海。日が沈むずっと前もベスト10に入れたいなと…。
昨日来たマレーシアは、いつものクアラルンプールではなく、
ボルネオ島のコタキナバル。
コタキナバルの夕日。
世界の夕日ランキングのトップ10に入っているんだそうです。
時々こういうのを見るのは精神衛生上とてもよいですねー。
毎日見られたらきっともっと。
自分の歴史を振り返る機会が増えたのは、
自分の歴史がそれだけ長くなったから。
1988年に日本語の先生を始めた時は非常勤教師で、最初の1年は
とにかく早く一人前の先生になりたくて、3つの学校を掛け持ち。
その中の一校、渋谷の学校のクラスにいた人たちと再会。
リャンさんとチョンさん。あの時、私も皆も20代。
リャンさんの合気道仲間の方達とも。
先生と生徒、先輩と後輩。
私の周りに合気道をする人は1人もいないのに、すごいな合気道。
今回のプロデューサーATOZコタキナバル校のMs.kitadokoro先生も、
授業後に合流してくれました。これから合流者が続々と…2人。
ヒューストンの大学の日本語クラスでの写真。
あまた撮った写真の中で一番、仕事したぞという雰囲気がでているかと。
今回のびっくり、というか、気づき、というか、
当たり前のことなのに、ちょっと勘違いしてしまっていたこと。
秋葉原徒歩圏内に位置し、それに惹かれて入学を決めた多国籍の学生たち、
そういう、日本大好き!という外国人学生にごく普通に囲まれる環境にいるため、
今や日本の魅力は、アニメとマンガとゲーム、有名な場所はAKIHABARA、
好きな食べ物は、ラーメン、カレー、たこ焼き(寿司、天ぷらにあらず)、
というようなことを日々感じ、人にも話してまわっていたのですが…。
オースティンでのSXSWeduー教育展に来ていた高校生たち(日本展ではないので)、
ん?日本?ん?manga?何?、スシ? ya, I like …という反応少なくなく、
そりゃ、考えてみればそうだろう…と気づいて少々がっくりした…。
しかし、
ヒューストンに行き、大学の日本語クラスを訪ねたら、いました!
彼のTシャツとリュックは「東京喰種トーキョーグール」。
(私はもちろん知らないのだけれど、有名な漫画らしいです。)
そして「私の学校は秋葉原!」に、彼を含めほかの皆も、わーっ!と湧いてくれ、
ああ、いつもの反応…と、ほっとしたのでした。
今回の出張、ほかにも色々色々感じ、考えること満載でしたが、
成田からのリムジンに揺られながらの報告は以上、ということで、また。
昼間、ホテルのロビーで話したアメリカ人のおばさまが、
ここのラーメンは美味しいわよと言ったラーメン、
聞いたときは、どうしてここでラーメン?と思ったけれど、
夜になったら、無性にラーメンが食べたくなりました。
名前はダルマラーメン、地図で探して着いたら10時10分前で、
すでに鍵のかかっている、10時閉店と書かれたドアを叩くと、
中のお兄さんが、肩をすくめて残念でしたの顔。
仕方なくホテルに戻って、
(ダルマラーメンの隣のゲイシャという店には入らず)
イタリアンのお店で頼んだシーザーサラダが、
よく見るシーザーサラダと違ったので、撮りました。
確かに、ロメインレタスにパルメザンチーズ、クルトンは
丸のままのパンだったけど、味はシーザーサラダでした。
今日は一日会場で設営、そしてプレゼンの準備…は皆さんが。
いつも出る留学フェアとは勝手が違うので、
どんな感じなんだろうと応援団の私は呑気な構えだけれど、
チームの皆と同じユニフォームを着るから、外から見たら、
れっきとした一員、難しい質問されちゃいますよねえ。
背中に”Ask me !”と書いてあるんで(~_~;)
※今回、学習支援アプリFinger Boardの開発チーム、
セミオシスの皆さんと一緒に参加しています。
オースティンという町の存在も知らなかったのに、偶然来ることになり、
まさかここで会うことになると思わなかったピーターさんと張さん、
卒業生同士のMr & Mrsが空港に出迎え、買い物に連れて行ってくれ、
そもそも、ここに来るきっかけになったデジタル教材Finger Board 、
それを開発した養成修了生のMr都築さんと一緒にアメリカに!
乗り継ぎの飛行機に積まれず後からきたカバンとか、
カバンは予定の便できたけどご本人は次の便でとか、
結果オーライだからまあいいやというアクシデントいくつか。
お皿からあふれんばかりのメキシコ料理のランチ、
夜はここのところ断っていた大量のチップスに、ブルーチーズのディップ、
あのファスティング、あのデトックスは何処に〜(~_~;)
と、これで終わるかと思った39時間もある今日、食事の後皆で集まって準備準備。
目的が明確な人たちのパワー、ここに見たりです。
ジャラン ラトゥハルハリ ノモル スンビランブラス。
(ラトゥハルハリ通り 19番地)
今日は、予定の業務が少し早く終わったので、
我儘を言って、思い出の地に連れて行ってもらいました。
いつも呪文のように唱えている1992年、
インターカルトのインドネシア校があった場所です。
当時の学校。あの時があるから今の私がある…その象徴。
今もう学校の建物はなく、弁護士事務所に建て替わっていましたが、
前の道、木々、物売りのおじさん、それらは昔とまったく変わらない感じ。
びっくりしたのは、Daruma Educationのラマさんの家が、
目と鼻の先だったということ。
当時2才だったラマさんと、日本語を教えていた私、
その辺りですれ違っていたかもしれないのですよー。
ということで、郷愁を胸に明日ジャカルタを発ち、バンコク経由で帰ります。
羽田着は明後日の朝です。