Archive for 神本令子

「情けは人のためならず」考

インターカルトの中級・上級レベルには「目的別授業」という選択授業があります。

学生のニーズによって、いろいろ選ぶのですが、日本語能力試験対策の読解を担当していて、

「そうか~ !」と、ちょっとびっくりした文章に出会いました。

 

「情けは人のためならず」ということわざの解釈についての文章です。

 

このことわざの意味は、「人に親切にするのは、人様のためではない。人に親切にすれば、良いことが自分に返ってくる」という意味で、つまり、「情けは人のためではない」と言っているのですが、何ゆえ、多くの人に、「親切は、本当にはその人のためにならない」と誤解されているのかについての考察でした。

いわく、誤りのポイントは、「ならず」という部分にあるという指摘です。古語「ならず」は、「なり」の否定形で、意味は、現代語の「ではない」。「情けは人のためではない」が本来の意味であるのに、「人のためにならない」と解釈してしまうので、意味の取り違えが生まれるのではという解釈でした。

私は、この解釈を見て、長年の疑問が晴れた思いがしました。「なり」は、「時は金なり」などにも見られ、現代人にも流通している語彙でしょう。また、「逆は必ずしも真ならず」の「ならず」の方も、多くの人に知られているだろうと思います。

例えば、「そばかすのある肌は、きめ細かくてきれいである」。その逆の「肌がきめ細かくてきれいな人は、そばかすがある」が、「逆は必ずしも真ならず」の一例です。しかし、これを、「逆は、必ずしも本当ではない」と解釈しても、「逆は、必ずしも本当にはならない」と解釈しても、一向に構わないでしょう。つまり、誤解は生じません。

しかし、「情けは人のためではない」と「情けは人のためにならない」は、全然違うのです。

「~になる」「~にならない」のところは、変化の先を表しています。例を挙げると、「僕は、お父さんのような普通の会社員にならない。僕は、ミュージシャンになるんだ。」

私は、「情けは人のためならず」のことわざに接すると、思い出す光景があります。中学生のころ、「友達に宿題見せて」と言われた時に、私は、習ったばかりの正しい意味の、「情けは人のためならず」の裏側にある「親切は、本当にはその人のためにならない」を同時に心に感じたものです。でも、もちろん、断ったことはありませんが。

このように、「頼まれるのは、何だかうれしい」 「頼まれると嫌と言えない」という人は、少なくないと思いますが、その時、きっと、「親切は、本当にはその人のためにならない」と感じながら・・・ということが多いのではないでしょうか。だから、正しい方ではなく、間違った意味の方が、現実生活に合っているとも思いました。

それに、ぜひ言いたいことですが、親切にする時は、普通、見返り、将来的な効果は期待しないのではないか。とも思い、「情けは人のためならず」の正しい意味の方に、少し、功利的なわざとらしさを感じてしまうのです。

目指すべきは、「善意の伝染現象」とでも言うのでしょうか。

 

「情けは人のためならず」の、もっと感じのいい言い方はないものでしょうか。

 

《JR三鷹駅の跨線橋から》 行き交う中央線や電車庫から出入りする総武線が一望できます。

今日は、日本語学校長期コースの神本令子がお送りしました。

「you」 を何と呼びますか?

ちょっと前になりますが、台湾出身で、長らく日本で一緒に仕事をしている彭さんのスタッフ・ブログを見て、さすがと瞠目しました。

日本語で、「名前を知らない相手を何と呼べば良いのでしょうか?」という命題です。

今日は、彭さんの文章に触発されて、以下、考察を試みてみたいと思います。

 

呼びかけたい時、彭さんが言うように「あの・・・、すみません」または「もしもし」などと言うしかありませんね。

初めて、呼びかける時だけでなく、話し相手の「you」を何と呼ぶかも、同様に困ります。

 

A:その方は、おいくつぐらいですか。

B:そうですね。ちょうど、「あなた」ぐらいでしょうか。

という会話は通常しません。この「あなた」を使わないということ自体が、本当に不思議な事ですが…

 

場や、状況によって、「あなた」ではなく、

「先生」・「運転手さん」・「店長さん」・「皆さん」などに入れ替えて話していますよね。

小さい子なら、

「坊や」・「お嬢ちゃん」

場合によっては、

「お二方」・「お三方」これは、若い人は、使用語彙ではないと言ってもいいでしょう。

「あなた様」もかなり丁寧ですし。

私も、二十代の頃は、初対面の年下の女の子に「お姉さん」と言われたことがありますが、年格好に合わせて、「おばさん」と言うのは、決して許されません。それを言ってもよいのは、子どもだけ(高校生ぐらいまで?)です。

ということで、「あなた」に言い換えることができない時は、ちょっと首をかしげながら、人差し指から小指まできちんと揃えて、相手を指し示すしかないのかもしれません。

 

と言うより、面と向かって、相手を話し相手として接する時は、会話の途中でも、

「あ、お名前、教えていただけますか」と言って、聞いてから会話を続けるのが、普通のことのようです。

「名前も知らない赤の他人」という言い方がありますが、日本語では、名前を知らないと、会話が出来ない言語なのかもしれません。

「名前なんか、あと、あと」というコピーの新興住宅街のテレビCМが、以前あったのを覚えています。

その住宅街に引っ越してきたばかりの子どもが、公園で、自然と仲間に加わっていく場面でした。名前を知らなくても、一緒に遊べるのは、やはり子供だけなのでしょう。

 

日本語クラスで、文型や表現の練習プリントをする時、

 

リン:サラさんは今夜の飲み会、行きますか?

サラ:私が言い出した会ですから、行       わけにはきませんよ。実は、体調が良くないんだけど。

サラさんが、第三者ではなく、「あなた」の意味だということが分かるように、上の文のように配慮しなければならないゆえんです。

同じく、

リン:サラさんは今夜の飲み会、行くかな?

トム:サラさんが言い出した会ですから、行       はずがないですよ。

のように、トムさんに、登場してもらって、会話の状況を学生にわかってもらう訳です。

 

彭さんは、「あの・・・、すみません」または「もしもし」などは、日本語独特な持ち味だと言っていましたが、同じ職場に外国人がいて、その人の自然な一言を聞けるのも、グローバルな職場の醍醐味だと思い、改めてありがたく感じています。

 

今日は、長期コースで日本語教師をしている神本がお送りしました。

 

写真は、夏草の中を走る「わたらせ渓谷鐵道」です。

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なぜ人は詩にひかれるのか?

インターカルトでは、中級以上のクラスで「目的別授業」という科目をやっています。

学生の好きなもの、ニーズによって選んで登録する、つまり、選択授業です。

この1月~3月の学期では、新しく「詩を音読しよう」という科目を私、神本令子が担当しています。

 

日ごろから特に詩というものに傾倒しているわけではないのですが、日本語で書かれたいろいろな詩を紹介し、学生一人一人に自分の好きな詩を見つけてもらえたら面白いなと思ったからです。また、「歌は歌われるために作られ」、「スピーチは語られるために書かれる」と同様に、「詩は読まれるために作られる」と思ったからです。この読むは、黙読ではなく音読です。

今学期は、卒業をひかえている学期ゆえ、その作品のよさをきちんと表現できるような発音で読んでみましょうという目論見もありました。

 

中から、一つでも二つでも「自分の好きな詩」を見つけるためには、選択肢が多いほうがいいとの思いで、できるだけたくさん紹介し、学生たちと解釈し合い、読んでみました。

扱った詩人は、

まど・みちお/茨木のり子/三好達治/木村信子/川崎洋/寺山修司/高村光太郎/

長田弘/工藤直子/辻征夫/山村暮鳥/大木実/河井寛次郎/岸田衿子/俵万智

 

有名な詩としては、

「雨ニモマケズ」

学生が気に入っていろいろな作品を紹介したのは

「相田みつを」と「金子みすゞ」

 

他に、現代社会を今、生きている人たちの詩として、

新聞に投稿された一般の人、いわば「無名の詩人」のものも紹介しました。10作品でした。

短くて読みやすいものを、一回に3~4つ紹介したので、その中からお気に入りの詩を選ぶのは、比較的たやすかったようです。

神本008

また、阪田寛夫の「葉月」という大阪弁の詩は、大阪出身のH先生に大阪弁で録音してもらい、

その圧倒的異次元の世界に一同驚愕しました。

 

ロシアのI君は、恋愛っぽいロマンティックな詩が好きなようでした。

韓国のC君は、詩それぞれのよさを発見し、広く受け入れてくれたようです。解釈が常に深く、

私は時々、自分の浅薄な発想に恥じ入りました。

 

そして、台湾のS君、「これ、何を言いたいか全然わからない」「これが詩ですか。」といつも、

なかなか気に入ったものが見つかりませんでした。

その彼のリクエストで、「百人一首」の中から四つ紹介したら、「今までで一番いい」と言ってもらえました。中国の詩に似ているとのこと。もしかしたら、中国人の彼にとって、五言絶句や七言律詩の世界が詩の世界なのかもしれません。山水や草木、日や月を描き、あまり感情を語らないのが彼にとっての詩なのかも、と思いました。

 

以上、

いろいろな詩を探しながら、私にとっても幸せな目的別授業でした。

学生たちが「日本語が上手ですね」とほめられるのは なぜ?

インターカルトは4学期制で、10月10日から秋学期がスタートしました。

私が新しく、クラス担任をすることになった中級中期のクラスで

「日本に来てわかったこと/外国へ行ってわかったこと」というテーマで作文を書きました。イギリスで思ったこと、エジプトで感じたことを書いた学生もいましたが、あとは皆、日本でわかったことを作文にしていました。「日本に来てわかったこと」とは、「来る前は知らなかった」ということで、つまり「日本に来てびっくりしたこと」を挙げていました。

①街にごみ箱がない。自動販売機は多い。

②電車が激しく混んでいる。

③夜遅くまでやっている飲食店がないので、おなかがすいた時、困る。開いているのはコンビニと居酒屋だけ。

④各地にいろいろなお祭りがあって、祭りの時の日本人はとても元気。特に「よさこい祭り」

などなど・・・

その中で、アメリカからの女性Мさんの作文には、「う~ん」と考えさせられました。

数年前に来日し、当時は現在に比べて、ほとんど日本語が出来なかったのに、時々「日本語が上手ですね。」と言われたそう。その時、どうして日本人はそんなウソを言うのかと不思議だったとのこと。最後にМさんは、「日本人は、外国人が日本語を話すのはとても難しいと思っている。その日本語を話している外国人にお礼が言いたくて『日本語が上手ですね。』と言うのだと、今はわかった。」と考察している。

なるほど。

日本語学習者であるインターカルトの学生が、学校の外で出会う日本人によく言われるのは、「いつ日本に来ましたか?」と「日本語が上手ですね。」だと聞いたことがあります。

日本語教師である私たちは、学習者にとって何が難しいかということを知っていることが、教える際の大いなる道具、いわば財産なのです。でも、日本語教師でない一般の方々が、「日本語は難しい」と思っているだろうことは、何となくわかります。日本に来る外国人が珍しかった時代を知っている年配の方は、殊更そう感じるのではないでしょうか。

だから、お礼を言いたくなるのでしょう。Мさんは、作文に「外国人にお礼をしたくて」と書いてありましたが、それこそ、気のきいた和菓子でも持っていればそれをプレゼントしたいぐらいの気持ちでしょうか。

インターカルトで学んでいる学生たちは、それぞれの目的を持って来日していますが、日本が好きと言ってくれる人が多いです。しかし、日本語には、めんどくさいと思われる文法や、数多い様々な語彙、そして読み方が多く、音変化もある漢字の読み、いろいろな覚えることがたくさん。日本語学習に果敢に挑戦している学生たちを敬服します。

Mさんは、「ウソ?お世辞?」とも書いていましたが、自分の母語を学んでくれることのありがたみを改めて感じた次第です。

神本136

まっすぐのびるJR身延線

今日は、鉄道ファンの神本令子がお送りしました。