• 068月
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    夏の空。

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    先一昨年、2020年の夏、内臓の手術をした後の帯状疱疹。
    たまたま学校にいらした旧知の方が紹介してくれた鍼灸院に今も。
    帯状疱疹の痛みはすぐにすうっと消えたのだけれど。

    全身にする鍼とお灸と、そこでのやり取りで、
    気持ちも体もリセットさせてる気がしています。
    今日は、カチカチじゃないですか!という頭のてっぺんにも。

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    その、月に一度の行事に実家の母を誘ってから一年近く。
    地元から同行の妹と3人の鍼灸後のランチが定例になりました。
    私より内臓が元気と言われている母と昼からビール。

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    府中に帰ったら31.2℃と出ていました。30℃超えなのに
    涼しく感じるこの不思議。…40℃と比べたらそうなんですよね。
    基準をどこに置くかで感じ方(評価)は変わります。

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    家に帰ってトマトを収穫。この間1個、今日2個。
    労力と結果、必ずしも釣り合うものではないですよね。
    明日からまた月曜日。でも、木曜日から夏休みです〜。

  • 048月

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    私は、昭和62年(1987年)に、
    今はない国際教育専修学校日本語教師養成科、
    現在のインターカルト日本語教師養成講座に入学しました。
    インターカルトは昭和52年(1977年)創立なので、
    日本語学校としてのインターカルトと、翌年できた養成講座は
    すでにありましたが、学校法人の専修学校ができたのは、
    昭和60年(1985年)に文部省に置かれた「日本語教育施策の
    推進に関する調査研究会」が出した報告の翌年です。
    ※文化庁のこのページにそのあたりの流れが書いてあります。

    この報告書に初めて「標準的な教育内容」というものが示され、
    その内容に沿った、その後の資格につながる、いわゆる長期の
    日本語教師養成講座がインターカルトにもできました。
    私はそれから2年目の学生、1年に2期動いていたので、
    期で言うと4期生になります。今から36年前。

    令和元年(2019年)に日本語教育推進法が成立、
    今年、令和5年(2023年)6月に日本語教育機関認定法が成立、
    来年4月1日から施行されます。

    それに伴い、日本語教育小委員会(文化審議会)の下に、
    日本語教育機関と日本語教師養成機関のワーキンググループが
    できて、ものすごい勢いで政省令案について話し合われています。
    そして、その中の現職日本語教師にとっての重大事項、
    「登録日本語教員(国家資格)になるための経過措置」において
    とても重要なのが、自分がいつ養成講座で学んだか、です。

    日本語教師が学ぶべき内容は今まで何度か更新されています。
    まずは、私が学んだ昭和60年の①「標準的な教育内容」、
    次が、平成12年の②「日本語教員養成における教育内容」、
    そして、令和3年の③「必須の教育内容」が最新、50項目のです。

    この③→②→①の順に、学んだ内容が違う(=少ない)ので、
    移行措置の際、微妙に課せられるもの(試験や講習)に違いが
    でてくるかもしれない、というのが今の状況(未定)です。

    今日、久しぶりに学校に現れてくれた私の2期先輩、養成2期生の
    小林直人先生(平成5年(1993年)に奥さんのベッツィーさんと
    共に渡米して以来、ずっと日本語教師をしていた)のことを書く
    つもりが、前置きが長くなりました。

    写真の上2枚が今日撮った写真です。
    そして下の2枚は小林先生と私、それぞれの30数年前。…歴史。
    写真に写ってる人は全員、「必須の教育内容50」の前の前組です。
    (前置き以外が非常に短い・・・小林先生のことはまた改めて。)

  • 317月
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    2023年7月30日の台北101。懇親会の後。

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    コロナで中3年おいて開かれた留学フェア。
    80年以上前の煙草工場跡という松山文創園区の会場に、
    おそらく考えに考えられた台湾と日本を繋ぐ工夫の跡。

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    ブースで話を聞いてくれてありがとうの皆さん。
    なぜ日本に行くのか。その見ている先の変化を感じました。
    脱「ふわっと」。

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    そんな学生たちに混じって、懐かしい人たちがふらっと。
    日本語学校の卒業生、養成講座の修了生、共に仕事した人…。

    あと一日仕事をして帰ります。
    しかし、帰国予定の日、台風が来るらしい。
    もし飛行機が飛びそうになかったら、さっと滞在延長しますね。
    台湾はほんとに居心地いいから、これ幸いと^^

  • 267月

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    新大関・豊昇龍の口上。
    気魄一閃とは、どんなことがあっても力強く立ち向かう、
    という意味らしいです。彼、あの朝青龍の甥っ子。

    こんな難しいことば知ってて偉いね…は置いておいて、
    どんなことがあっても力強く立ち向かう。おそらく私も。
    でも、それに疲れてしまったような今日この頃。
    ため息の回数が半端じゃないらしいです。
    いや、らしいじゃない。自分でもわかっているので。

    本能的に力強く立ち向かっている。悪いことじゃない。
    ため息も、悪いことじゃないらしい。
    ため息は、バランスが崩れた自律神経の働きを回復させよう
    とする体の作用だとネット上にありました。

    本当に疲れきったらため息も出ないそうです。
    そして、ため息つくと幸せが逃げるなんてことも…ない。
    この間の日曜日の晩にアドラー心理学のセミナーに参加して、
    私はもっとありのままの自分の声を聴こうと思いました。

    写真。毎日力強く水をやってる私のトマト。うーむ。6つ。

  • 227月

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    水上温泉で泊まった部屋の窓下に川がありました。
    昨日と一昨日は、日本語学校の一泊旅行。コロナ禍を経て3年ぶり。
    大昔の進学課程のスキー旅行から数えたら、40余年続く旅行です。

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    ※私のスマホの中の写真を並べてみました。
     公式写真集は週明けに学校のFB等にあがると思います。完全版はそちらで。

    ここ20年の大人気、富士急ハイランドと石和温泉のセットは、
    御用達⁉︎の旅館がコロナ中に家族用の仕様に改装したため、
    団体で入り切るのが無理になり、担当スタッフと旅行会社の皆さんが、
    考えに考えて決めたのが、今回の東武動物公園と水上温泉のセットでした。
    バス9台連ねていざ出発。

    いやぁどうだろうと若干の不安ありでしたが、結果は大いにオーライ。
    上記予定にプラスαの企画地は地上の熱さを忘れさせてくれる涼やかさで、
    初日宴会と二日目車中での学生たちの「楽しかったー!」の声、信じます。

    学生たちとはもとより、普段話す機会の少ない非常勤の先生や専任の先生、
    スタッフの皆と、あちこちでちょこちょこと話せたこともまた、
    私にとっては心穏やかにさせてくれる二日間でした。
    時を経ても、自由の中に規律ある学生たちは変わらずでした。

    ※プラスαの一つの、お昼をかけての道の駅では、一人木陰に座って、
     今、審議中の認定日本語教育機関のワーキンググループの様子を
     視聴いたしましたよ^^ちゃんと。

    鴨長明が「方丈記」に、
    ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
    淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて
    久しくとどまりたるためしなし
    世の中にある人とすみかと またかくのごとし
    と。

    ※翌土曜日。
     頼まれ仕事をしに学校に。家ではおそらくだらんとして終わらないから。

  • 097月

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    しもしないで無理とは言わない。
    ・・・は私の主義だけれど、やっぱりこりゃあ無理だと思うこと。

    万葉仮名の書道。

    書道教員の免許を取ったときに受けた教職課程の実技の授業で、
    万葉仮名の真似ごとをして魅せられ、いつかこれをするぞと。
    いつかの想定は老後なのだけれど、暇があればできるものではない。

    知り合いに万葉仮名の達人がいて、書道展の度に知らせてくれます。
    その度に行って、見ては撃沈。無理。

    今日は午前中美容院、その後六本木の国立新美術館の書道展。
    その後高田馬場に移動して、夕方から戸塚地域センター。
    スマホの画面にぴろんと熱中症警報アラート。
    でも、日曜日に歩く歩く歩く。

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    高田馬場は、在日ミャンマー人コミュニティ、NPO法人PEACEの、
    来週から始まる日本語教室、その説明会とプレースメントテスト。
    インターカルトはそのサポーター、私はオブザーバーのような役割です。

    理事長のマリップさんはじめ、理事の皆さんは、
    正真正銘の、することをして無理の壁を乗り越えてきた皆さんです。
    その姿に学び学んでかれこれ10年近くになります。

    本日14,563歩。明日は普通に月曜日(*_*;

  • 087月
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    辻調理師専門学校が東京に開校〈予定〉で、お呼ばれしてきました。
    府中駅→国分寺駅、乗り換えて、→学芸大正門、所要時間40分ほど。
    バス2台乗り継いで行ったそこは、いろんな意味で素敵でした。

    実は辻調さん、初ではなく、大阪の本校を訪ねたことがあります。
    記録によると2015年4月16日。
    この年、インターカルトの台湾の学生が確か6人、大阪の辻調に進学!
    ということが突然あり、これはどういうところか見に行かなくちゃと、
    朝4時起きで大阪まで日帰りで行ったと記録に。
    とても丁寧に、東京校の数倍ある学校中を案内していただきました。

    この日の記録、日本一というタイトルの記事に書いています。

    2015年といったら8年前。
    タフと無茶、私はどっちなんだろう…で結んでいますが、
    この大阪行きに限らず、ん?と心に引っかかったら、まず行ってみる、
    見てみる、会ってみる、してみる、食べてみる。(私)
    そういう性格はいくつになっても変わらない。タフ過ぎ、無茶過ぎ。

  • 067月
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    昨日の夜は、
    東京SUGOI花火 2023「Yuming 50th Anniversary ~真夏の夜の夢~」。
    東京競馬場で。うちの南側のベランダの真正面。

    ユーミンの曲ひとつひとつに思い出いろいろ。
    ♪中央フリーウェイ 右に見える競馬場 左にビール工場
    は、ここに越してきてからの思い出。早28年。

    花火の思い出もいろいろ。
    でもやっぱり、花火は足利の渡良瀬川の花火。
    自分の原点。
    離れて月日が経った分だけ、
    さらにもっと心がそこに戻りますよね。

  • 017月

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    2023年、半分終わりました。
    そして、私たちが今の校舎がある台東区に移転してきてから15年たちました。
    写真は学校の隣の酒屋さんの店内です。以下、その酒屋さんに送った手紙。

    ・・・

    今日の日まで本当にお世話になりました。
    学校からのメッセージの色紙を準備していますが、
    それとは別にお礼を申し上げたいと思い、ここに記したいと思います。

    15年前の2008年の春に転居してきたときは、これからどのように
    この地に根ざすことができるだろうかという心配が大きくありました。
    それで、区役所や教育委員会を訪ねたりもしたのですが、
    なかなかぴたっとする感覚を持つことができなかった中で、
    新川屋さんがいつも私たちのそばに寄り添い、
    時に盾にもなっていただけたことに、
    私たちは心から感謝しながら今日までまいりました。
    本当にありがとうございました。

    そして何より、国を離れて日本にやって来ている学生たちにとって、
    新川屋さんのご夫妻は、お父さん、お母さんのような存在で、
    お店の中で、路上で、彼ら彼女らと温かい交流をしてくださったことは
    本当にありがたいことでした。

    写真は、私が地域における日本語教育に関する講座を委託されたときの
    資料の中に入れてきたものです。
    新川屋さんのレジカウンターに、いつの頃からか置かれた地球儀です。
    これに初めて気づいたとき、とても嬉しく思ったことを覚えています。

    私がどうしてこの写真を地域の日本語教育に携わる人たちに見せてきたか。
    それは、日本語を母語としない外国の人たちにとって重要なことは、
    日本語の学習だけでなく、日本人、日本社会との相互理解、つながりなのだ
    ということを言いたいためでした。
    この地球儀を見ながら自分の国の場所を指して自分の国のことを語り、
    やりとりすることがいかに有意義であるかということの象徴でした。
    この写真は、これからも私の話の中に登場していくことになると思います。
      :
    ・・・

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    酒屋さんはお店を畳んで、昨日、6月30日に引っ越して行かれました。
    インターカルトに来てくださった方の中には、学校の入り口の脇の、
    飲料水の自動販売機と並んであった、このお酒の!! 記憶にあるかも。

    でも、これももうありません。でもでも、思い出と縁は永遠。
    そして、時代は一つ一つ終わっていく。

  • 306月

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    6月2日に日本語教育機関認定法が成立しました。
    これは、私たちが国の中に位置付けられたということです。
    文部科学省という教育を所管するところに身を置くことは、
    今までとは違う動きにくさもあるかもしれませんが、
    それ以上に、私たちにとって意義ある歴史的な大きな出来事、
    だと思っています。

    法律の成立に伴い、日本語学校と養成講座に係る様々な細則を
    検討するためのワーキンググループが動き始めました。
    私も、登録実践研修機関と登録日本語教員養成機関のグループで、
    多くの大学の先生たちに混じって議論に加わっているのですが、
    私たち420時間の養成講座の文脈では一瞬理解できないような
    筋立てや書き振りに遭遇しては、ふうっ…と。
    これは日本語学校の議論も同様で、そもそも語学学校とは、
    というところでの理解を含め、ふうっ、そうじゃなくて!と。

    もう何十年も言い続けてきたけれど、でもまだまだというのは、
    こちらがまだまだちゃんと伝えきれていないからとも考えて、
    これからも丁寧に、エビデンスも示しながら伝えていきます。

    写真左は、1977年にインターカルト日本語学校を創った、
    山内庸生氏のことを書いた本です。(1987年刊)
    右は、1989年にインターカルト日本語学校の母体が窮地に
    陥ったときに経営に参画してくださった今野康裕氏の本です。
    (1993年刊)

    この間、その今野さんがふらっと現れたことがきっかけで、
    この2冊を並べるに至ったのですが、改めて読んでみたところ…。

    1987年の「はじめに」
    国際間の理解は口でいうほど簡単なものではない。
    いま、日本の新聞や雑誌には、国際化とか国際人とかいう言葉が
    しきりに使われているけれども、それは言葉だけが踊っているので
    あって、日本や日本人が国際的になっているわけでは決してない。

    1993年の「まえがき」
    日本語学校の経営に携わっていて痛切に感じさせられることがある。
    日本人の大半が日本語学校およびそこで勉学に励む外国人学生の
    存在を知らないということだ。

    あれから36年と、あれから30年の、今2023年。
    日本の国際化も、日本語学校の認知も、ほとんど変わっていない、
    ということなのだなと。
    でも、今度の法律が変えてくれる。じゃない。
    法律で変える。これから真のプレイヤーとなる私たちが。

    ・・・と思いながら、昭和の時代からインターカルトで36年、
    こんな立場になって23年の私、もうひと踏ん張り。