朝から味噌カツ丼を食べると、
お昼になってもお腹が空かないもの…でした。
しかし、食べた実績が重量に大きく貢献。
一昨日、大阪に行って、夜、名古屋に移動、
昨日のお昼ごろ、東京に戻ってきました。

名古屋では、
3年前アメリカ/オースティンでのSXSWという、
EdTechのイベントに一緒に行った皆さんと^^
留学生の論文指導をしている方とやり取りしていて、
突然、『言葉とは何か』(丸山圭三郎)という、
去年買ったままの本があったなと思い出したので、
今朝かばんに入れて行き、電車の中で第一章を読みました。
アジアの学生と日本の学生たちが、それぞれの国の
ポップスや民謡を翻訳し合ったという話がありました。
その翻訳作業が困難を極めたという話です。
大変だったのは文法などではなく、
文化そのものの違いだったそうです。
(引用)——
たとえば、かぐや姫が歌ってヒットした「神田川」を
マレー語に訳したマレーシアの留学生には、
まず「風呂屋」という語が翻訳不能だったし、
「同棲」は母国では恥ずべき行為。
まして「洗い髪が芯まで冷え、小さな石鹸がカタカタ鳴る」
まで待たされた女が、
「あなたのやさしさが怖かった」などと言うその心情は、
マレーシア人には到底理解できなかったと言っています。
——
日本語を教えるということも、昨今の自動翻訳機も、
冒頭の論文を書いている留学生も、
問題や課題は、つまりこういうことかな、と思った、
第一章でした。
ことばと文化は切り離せない。でもイコールではない。
写真は昨日、代々木のオリンピック記念青少年センターの
窓から見えた、赤い夕日と遠くの富士山。
ことばと文化です、今の興味とテーマは。
ダイグロシアは、二言語併用の社会状態のことです。
(バイリンガルは個人の話で、ダイグロシアは社会のレベルの話…)
日本語学校では、学生たちは教室はもちろん基本、日本語を使う。
けれど、同国の友だちとは母語で話すという、まさにダイグロシア。
さらに、私たちの学校なんかは、
常時いる50数カ国の学生たちの中に同じ母語集団が複数あるので、
学校が、複雑なダイグロシア構造!?になっているということかなと。
一方、、私たち日本人の教職員が置かれた環境も、ある意味特殊で、
日本語が母語の少数集団の私たち自身が、異文化に日々遭遇。
おそらく、基本的にそれをを楽しめる?人たちが働く職場だと思う
のですが,長年その環境にいて慣れているつもりでも、
それでもやはりびっくりするようなことが結構頻繁にあるので、
時に戸惑ったり、時に、え!なんで!?!?の日々です。
写真は、今日あった「先輩と話す会」(のfacebookの記事)。
新入生たちが、自分の国の言葉で同国の在校生たちと話すという
新学期の行事です。何を喋っているのか私たちにはわからないけど、
色々情報交換して、これから気軽に相談できるような仲になってね、
という会です。皆、楽しそうで何より^^
これは普通のコーヒーですが。
最近の私の流行、完全無欠コーヒー。
シリコンバレー発、まったくもう、またそんなことやってる。
コーヒーに無塩グラスフェッドバターとMCTオイルをいれて、
ブレンダーで泡だてて飲む。朝はこれだけ。
つまり、目的は減量です。(頭スッキリの効果もあるらしい。)
かつて手を染め、一時的効果の後、元に戻った経験は、
レコーディングダイエットと、酵素ダイエット(プチ断食)。
今となっては懐かしいです。
まあ、無駄な抵抗っちゃあ、無駄な抵抗なんですが、
痩せるのが第一希望だとしても、
コレステロールとか、中性脂肪とか、健康診断の結果表から、
そういう聞きたくない言葉を消し去るための活動と思ったら、
悪いことじゃないですよね。
日経のサイトにも出てました。私の今の流行を正当化する記事。
そして、こちら、完全無欠のロックンローラー。
もう40年前?
今日こそは寒いと聞いていたのに、大したことなく。
新宿南口のサザンテラスのイルミネーションを見て、
ああ今は冬だったんだと。これ、冬の風物詩だから。
価値観が似ている人と楽しいひと時でした。
ところで、今日の話題はノザキのコンビーフ、
くるくる開ける缶の廃止が決定したそうですね。
私の母が子供の頃コンビーフでお腹を壊したとかで(確か)
子供時代にコンビーフが食卓に出てきたことはないのですが、
信濃町にあった校舎のそばの「さくら」という名の呑むお店の
コンビーフとキャベツを炒めたのがものすごく美味しくて、
それを自分で作るためにコンビーフを買うようになりました。
なので、歴史は浅いのですが、廃止と聞くと寂しいものですね。
今日も色々あったなと思いながら、帰りの電車。
混んでます。
うちの近くの桜湯の前に郵便ポスト、らしきものが。
この間、夜中の帰宅途中に見かけてとりあえず撮ったので、
本物かどうかまでは気がまわらず。はて。
今度、明るい時に見てみます。
この写真を見ていたら、まだ小学校に入るか入らないかの頃、
うち(実家)の近くの八百屋さんの家の入口に突然ついた、
自宅用の小さな赤いポストのことを思い出しました。
当時はそんな風に各家庭用のポストなんて見たことがなく、
つまり、郵便は玄関をガラッと開けて投げ入れてくれるもの、
つまりつまり、玄関に鍵なんてかけない時代だったので、
みんな珍しくて、どこの誰かは知らないけれど、
郵便ポストと間違えて、手紙を投函しちゃった人がいる、
という話を八百屋さんのおばちゃんから聞きました。
ふう、昭和。
この話の意味、全然わからない人もいるのでしょうね、
昭和後期の人、平成の人、令和の人はまだ赤ちゃんか。