朝から仕事で学校へ。
日本語教師養成講座の、実りあり過ぎのミーティングでした。
お昼は、よく行く近くの焼肉屋さんで。
私の出張中に、なんと!ハラル対応のマークがついていました。
オリンピックを4年後に控えた東京下町、佐竹商店街。なるほど。
お店も学校も、社会の変化とお客さんの動向に合わせてですね。
(しかし、軸足がぶれてはいけない。←重要。)
これから、予約していた「びよういん」をキャンセルして、
「びょういん」に行きます。完治はしていないので、一応。
インターカルトの日本語教師養成講座に通う前の年に、
語学学校の学生を経験するため、イギリスに行きました。
そして、そこでの12週間の色々が、私の学校観の礎になっています。
ある日のクラスで、隣の学生とペアになって新聞記事を読んで何かを…
という授業で、私はスイス人の女の子とペアになりました。
渡された一枚のコピーを二人で一緒に読んだのですが、彼女が突然、
「あなた、どうしてそんなに読むのが遅いの!」と(もちろん英語で)。
クラスでたった一人の日本人だった私は、蒼白。
その時、バレリーという名の女性の先生が、
「sanaeの国ではアルファベットを使ってないの。」と、
皆に向かって淡々と日本の文字について説明してくれました。
私はもちろん、バレリーのような先生になりたいと思いましたし、
晴れて先生になった後は、漢字の国の学生たちに混ざって座る、
非漢字圏の学生にことさら気を配ったように思います。
写真は、今年届いたミャンマーの日本語教室の学生からの年賀状です。
こんな風に書いてくれて、ね、ほんとに、…です。
教え子なんていう言い方をするのは口はばったいのですが、
私が授業を受け持った学生は、外国人だけでなく、
日本語教師養成講座の受講生だった日本人たちも。
名前と顔、もしくは名前か顔、ほぼ全員覚えているつもりなのですが、
中でも、様々な理由で際立って鮮明に脳裏に焼きついている人たち…。
その中の一人、養成講座修了後にケニアに渡って十年以上、
日本語教師等々をして、今年帰国したMr.tawaraさんが、今度また、
エジプトに日本語教師として行くことになったという知らせが。
人と関わる仕事だからこその、このありがたい縁。
そして、彼の五年くらい後輩のもう一人、Mr.tsuzukiさん。
養成講座修了後、インターカルトの先生になり、その後韓国に、
帰国後大学院に入り、そこで知り合った人たちと会社設立。
その会社、セミオシスが開発したFinger Boardというアプリでの
教材開発を今一緒にしています。
今年の年末には、Finger Board Proで共同作成した『Magic Kit』
という、日本語教師のための製品版電子教材を公式に発売予定。
何より、受講生だった彼とこんな組み方ができたことに、
とっても感激しています。