群馬県伊勢崎市40.2℃。まだ6月なのに。梅雨明けしてないのに。
スマホにある写真の中で一番古い「夏」で検索した写真。
2001年とあります。Windyさんと孫さんと。台北近郊です。
台湾、高雄と台北での留学フェア、今年も行くのは無理です。
日本からの渡航は原則禁止。ああ、台湾遠いです、まだまだ。
台湾事務所の孫さんたち、今年もよろしく…と必然的に。
関係ないけど、今日、ジュリーの誕生日。
群馬県伊勢崎市40.2℃。まだ6月なのに。梅雨明けしてないのに。
スマホにある写真の中で一番古い「夏」で検索した写真。
2001年とあります。Windyさんと孫さんと。台北近郊です。
台湾、高雄と台北での留学フェア、今年も行くのは無理です。
日本からの渡航は原則禁止。ああ、台湾遠いです、まだまだ。
台湾事務所の孫さんたち、今年もよろしく…と必然的に。
関係ないけど、今日、ジュリーの誕生日。
学校の隣の酒屋さんのレジの脇にある地球儀です。
2008年に今の校舎に引っ越してきたとき、
700人もの外国人がいる日本語学校が、
いきなり自分たちの静かな町にやってくる!というのは、
口には出さなくても、やっぱり不安だったと思います。
もちろん、それを感じもしました。
なので、酒屋さんのお店に新しい地球儀が置かれたのを
見たときは、本当に嬉しかったです。
おそらく、休み時間にお菓子やジュースを買いに酒屋さんに
行く学生たちに、「どこの国?」と聞いてくれて、でも、
知らない国があったのでしょうね。50ヶ国もいるので。
酒屋のおじさんは、
今では、私より学生の色々を知っているような気がします。
コロナで学生が来ないことを心配し、来るとわかったときは、
本当に喜んでくれました。
これは、地球儀が置かれてすぐの10年前くらい前に撮った
写真ですが、今も同じようにこのように鎮座ましましてます。
土曜日の今日、朝からぽつぽつとパソコンの前に座って三つ。
午前中は日本語教育学会の春季大会。今回もオンライン開催。
インターカルトのイタリア人の在校生と、インド人の卒業生が、
他の国の人たちと画面上に並んで90分くらいのディスカッション、
「日本語から広がるライフ形成」に登壇していました。えらいな。
午後は、まず日本語教師養成講座の在校生への就職ガイダンス。
出口あっての養成講座。世の中がいよいよ動き出し、
国内外の人の行き来も可能になってきたので期待しています。
皆さんの活躍の場に繋げられることを。
最後は、再び日本語教育学会。
「日本語教育でも国語教育でもない、海外における継承日本語」。
アメリカ在住のカルダー淑子先生が動画で登場してくださいました。
一日が終わったら、名探偵コナンの時間。右のカエル状態。
一日終わってひっくりカエル。早寝早寝。
次はこれです。
結婚して、ギリシャとイタリアに住む日本語教師の方たちと
仕事やら何やらの話をする中で発せられた、
息子さんや娘さんに、どう日本語を伝えていったらいいのか、
という迷いとも悩みともいえる一言が発端でした。
私の“ことば”を子どもたちに伝えたい。
日本語教育学会春季大会の賛助会員ブースを、
日本語教育でも国語教育でもない「海外における継承日本語」
について知って、一緒に考える場にします。
事前に公開されている17分の問題提起の動画→
大会初日、5月21日(土)日本時間16:50からの30分間、
アメリカ在住の専門家、カルダー淑子先生から、事前動画を
受けてのお話を聴き、そして…という流れです。
こちら、ニュースリリース。
事前動画は日本語教育学会のサイト上にリンク先があるので、
インターカルト日本語学校の「録画」というところから。
自分の子どもに自分のことばを教える、伝えるという、
当たり前のことが当たり前じゃない日本の方が世界中のあちこちに。
その方たちの気持ちを、わかったように言っている自分。
歯痒さと申し訳なさがあるのですが、せめて知らせる場をという、
そういう気持ちでします。
是川先生と一緒に食べた、小倉トースト。
なごのキャンパスと名づけられた、
廃校になった小学校の校舎を使った施設で行ったセミナー、
『検証!日本はもう「目指されない国」なのか?』、
講師の是川先生に、データによるたくさんの実証結果を示して
いただけた、本当にものすごくおもしろい時間でした。
日本にとって、日本語教育に携わる者にとって、
そうかそうなのかと納得、勇気をもらえた実証結果でした。
2時間近くした振り返りの後の記念写真。
左から、東京の椿、加藤、是川先生、名古屋の都築、久我。
東京からサポートしてくれたのは谷口、辻本でした。
先生、ありがとうございました。みんな、お疲れ様でした。
そしてこれは、今日の会場参加者のお一人と。
一昨年の文化庁『「生活者としての外国人」に対する日本語教師
初任研修』に参加してくださった方で、
名古屋にインターカルトのサテライト?と来てくださいました。
研修受講後に、生活者として外国人のための日本語指導者として、
ボランティアではなく、有償の教師として採用されたそうです。
嬉しい報告。
日本語教師を職業に!を悲願に、今日まできました。
若い人たちに目指してもらえる職業に、日本語教師を。
完全成就できなくても、架けかけた橋に足跡くらい残したい、
残せるかもと思うことがぽつぽつある今日この頃です。