「お巡りさんが自転車に乗って道を走っていたこと」
30年以上前のことですが、びっくりしたことを聞いたら、
香港男子が真っ先にこれを言って、私の方がびっくり。
でも、ほかの国の学生たちも、確かにそうだと。
みんなの国の警官はもっと威張っていて、自転車なんかには
乗らないのだそうです。おそらくかっこいいオートバイ。
ところ変われば、文化も習慣も何もかもが違う。
違いが現れるのは、国だけでなく、究極、人によっても。
だから難しい。
一生懸命とか、頑張るとか、努力とか、
そんな言葉をわざわざ使うのはカッコ悪いと思うので、
あえて使わないようにしているんですが、
一生懸命生きている人は、実はカッコいいと思います。
学校の近くの商店街にある、ネパールのカレー屋さんの
壁に貼られた、一生懸命書かれたカタカナ。(写真)
カレーもナンも、一生懸命作っているから美味しくて、
お店を出るときの、独特のイントネーションで言う、
「ありがとうございましたぁ、ありがとうございました」
も、惰性っぽく聞こえるけれど、たぶん一生懸命。
私は基本、したいことを力強くしているだけなのだけれど、
それを一生懸命と言うのだったら、
一生懸命生きるのは本当に疲れます。特に最近は。
身体がコロナ仕様になってしまっているので、なおさら。
でも、あともうひと本気、ふた本気、一生懸命やらねば
ならぬのです。
父、
「うちの子が足が速いわけない」とか、
「歴史ができるはずがない」みたいなことを、
普通に言いました。
小学生の頃、学校に行きたくない朝、
「おなかが痛い気がする」みたいなことを言うと、
父は、「休んじゃえ」と言い、私はテレビの前に布団を
敷いてNHKの教育テレビを見て過ごしたりしていました。
いや、毎日休んでいたわけではないです。時々です。
高校卒業前には、
「進学でも就職でもいいから、一度は東京で暮らしなさい」、
「アルバイトと学生運動はしてはいけない」。
まさに昭和の父で、怖いなんてもんじゃないほど怖かった、
はずなのに、思い出して書き並べるとそうでもない不思議。
ついでに思い出したこと。
私の大学時代に流行っていた、オーバーオールで帰省したら
「作業員みたいな格好するな」(父)
小学生の時にミニスカートで祖母の家に行ったら、
「きれ(布)が買えないみたいじゃない」(祖母)
「お嫁に行くのが遅くなるから、短大に」(母)
この考えは、当時は割と当たり前だったかも。
あと一つ。
就職した私に「職場の花になりなさい」(祖母)(-。-;
以上。芋づる式に思い出したこと。
父と祖母はすでに他界。母は非常に元気に暮らしています。
ムーミンを初めて見た子どもの頃から、スナフキンが好きです。
さっき見つけた「Asahi Shimbun GLOBE+」の記事。
スナフキンは、自分が自分であることを邪魔されたくない。
そして、ムーミンたちは、そんなスナフキンを理解し、
一緒にいても、彼が彼であることを邪魔しません。
だから、スナフキンは、ありのままの自分でいることが
できるんじゃないかと思います。
(内山さつき)
自分がどうしてスナフキンに魅かれたかがわかった気がしました。
基本、私も孤独でいたい。人に邪魔されたくない。私でありたい。
実際、かなり孤独、いや、ありのままでいられている気がしてます。
多くの場合、私がそういられているのは、私の周りの人たち、
学校の人、その周辺の人、家族、それらの人たちが、
私が私であることを邪魔しないでいてくれているからだと、
スナフキンの文を読んで、なんだか、しっくりきてしまいました。
思いが強すぎて、ガーッと単刀直入に、とんがった物言いをして、
でもその後、気にしいなんで自己嫌悪に陥ること度々なのだけれど、
でも、それでここまでこられました。
見放さないで、支えてくださっている皆さんに感謝なのだと改めて。
写真は、私の普段使いのどたバッグ、記事の出どころはこちらです。
今日から、教育ITソリューションEXPO(EDIX)出展のため、
東京ビッグサイトに直行。
乗り換えの汐留で「加藤先生!」と声をかけられました。
私と同じく今日午前中担当の学務のMs.Nさん。
「ああ!一緒に行けてよかった!」
と言われたけれど、いつでもどこでも何度行っても迷う私。
「よかった!じゃ全然ない!」と喋りまくってたら、
早速、ゆりかもめ乗り場を見失う^^;
EDIX、お昼で抜けて永田町に。
日本語教育の会合で、議員さんや省庁の方に向けてお話を少し。
地下鉄の駅から地上に上がったところで、「加藤さん!」
と声をかけられました。同じ会合に出る方。今度は私が、
「ああ、一緒に行けてよかった!」
と言ったら、「ダメだよ、会ったのが俺じゃあ」。
早速二人で、あっちの方まで歩いて行ってしまいました(゚o゚;;
仕方ないです。
おそらく脳みその方向感知の部分が抜け落ちているので。
午前中のNさんは東京が短いから。午後の方は同類項^o^
連休明け初日。いろんなことを同時進行でする係⁉︎なので、
今日は、超ウルトラスーパー色々なことに追われた一日でした。
写真は、連休中に、実家の斜向かいの家の
90近いご主人にもらったキャラメル。
奥さんを数年前に亡くし、息子さんたちとは別に住んでいるので、
今は一人暮らし。
タバコの量を減らすためにキャラメルを舐めているのだそうです。
「いつもお世話になってます」と挨拶したら、
手に提げたビニール袋からこのキャラメルを一個、
「あげるよ」と言って手渡されました。
私もいつか年をとるんだなと思ったけれど、まだまだまだまだ。
もう少し超ウルトラスーパーの日を過ごしてから。
まだ家に帰り着きません。暗い車窓に映るマスクの自分を見ながら。
この間壊れた傘、
なんとか自力で直そうとネットで検索したら、
Amazonにありました。「あなたも傘職人」!
なのですが、まず、破損したハトメという名前らしい
部分がなんとしても外れないのです。で、諦め。
次は、傘の修理をしてくれるお店を検索。
なあんだでした。よく靴のかかとを直してもらう、
いろんな駅やショッピングセンターなんかにある、
ミスターミニットというお店。
傘直し、ぷらりと京王府中店でも扱っていると!
で、昨日預けて、今日取りに。
人間の骨折の手術のように(知らないけど)、
骨の一部を切り取って、新たな骨を継ぎ足して、
新しいハトメ(なんでしょうか)がついてました。
完璧。
長い人生の中で、壊れた傘を直そうと思ったことは
一度もないので、佐竹商店街で買ったこの傘は、
なんぼのものです。よかった。
※使えなかったけど「あなたも靴職人」は152円、
直してくれたミスターミニットは1100円でした。
お昼から3時間半、21才、大学4年生の姪とランチとお茶。
1年生が終わらないうちにコロナの日々に突入し、
2年間、ほとんど生身の友だちと会うことなくした
オンラインでの授業とインターンシップと就活。
数十年前は、大学4年の10月1日が就職活動の解禁日で、
そこまでの3年半、常に生身の人と一緒の、満喫に満喫を
極めた自分の学生時代とは大違いで、何ともでしたが、
2000年生まれの稀有な話の一つ一つには重みありでした。
就職決まったからご飯行けるよと連絡もらっての今日。
最後の一年は本物の大学生活を送ってね、です。
写真、姪からもらった中身は紅茶。箱…捨てられない。
そして、その後の5時間は、場所を東口から西口に移して、
26のときのイギリスの語学学校時代の友だちとの二人飲み。
微妙に接点がありつつも、違う世界で果敢にチャレンジし
続ける彼女の話はいつも刺激的で爆笑で、生きてる実感。
当時、旦那さんを日本に残して一人で留学していた人。
夫と共に行っていた私は、驚きつつも、それありなんだと
おそらく思い、その6年後のインドネシア単身赴任に自然に
繋がった気がしています。
あのインドネシアがあったから今の自分があるので、恩人。
ということで、ゴールデンウィークあと一日。
特段大きなことは何もなかった飛び石連休だったけれど、
命の洗濯、少しできたかも…です。