今回のTeam Intercult、
台湾事務所の2人と、日本のインターカルトの2人。
上から誰かが私たちを写しているのではなく、
建物のガラスに映った自分たちを下から撮りました。
この建物。
一昨日の留学フェアの会場、微風南山藝文中心。
するべきことをして、会いたい人に会って、
台湾事務所との協業、親睦、懇談、会食、相談、議論、
それらも一通りすべてして、これから日本に帰ります。
台北駅が美しかったです。
台湾と日本の新たな始まり・・・に。
クロアチアのドゥブロヴニクにいます。
30年前に日本に留学していた元少年が、今、
日本で知り合った奥さんとフランクフルトに住んでいるんですが、
深い縁あって彼の日本での大学の面接や入学式にも同行していた
うちの母に、クロアチア一緒に行きません?と言った一言から、
母が行く気になり、じゃあと同行しての今です。夫も共に。
この間米寿を迎えた母は、年相応の足腰の状態にもかかわらず
数年前まではあっちこっち。でも、コロナはそれを確実に進行させ、
今回は全行程、車椅子の手配をしました。
成田、乗り継ぎのウィーン、到着のミュンヘン、すべての空港で、
車椅子と共に押してくれる人も待機、ほんと、いいです。
これ、前に中学の同級生に教えてもらった航空会社のサービス。無料。
不可能と思っている人の可能性を広げてくれてます。
ユーロもクロアチアの旧通貨クーナも持たずにカードだけで事が済み、
便利な世の中になったものだと改めて。
と、敬老の日を入れての連休で行っちゃえと思って決めたのだけれど、
一生の大不覚、出発日を学校の一大行事の日に設定、
それに驚いたのは私以上におそらく担当のみんなで、でも、
快く行ってらっしゃい♪と言ってくれてありがとう…の今回のこれ。
FBのスピーチ大会の写真に私が写っていないのは、そういうわけです(^^;;
バンコク日本博、3日間に集まった人々は10万人を超えたみたいです。
思いを確実に実現させている長谷川さん、スタッフのみんな、すごい。
私はその間の正味42時間に、
過去と未来と10月からの学生、養成講座を終えて先生をする人たち、
そして他校の皆さん、・・・まあ、たくさんの人たちと会いました。
ここ2週間のあっちこっち、インドネシア、マレーシア、北海道、タイ。
コロナで止まっていた時間が動き出し、元のマグロに戻りました。
(※マグロ:泳ぎを止めると酸欠状態で窒息死してしまう。)
3年間のロスタイムを経たマグロのこれからの時間は、
今までみたいに何でもかんでもしたい、できる、じゃないとわかって
いるから、慎重にすること選ばなくちゃ、と思いながら、
でも、新たな餌が現れると、前のようにぴくぴく、そして、ぱく。
ジャカルタから飛行機で2時間、クアラルンプールに来ました。
昔、インドネシアに駐在していたとき、マレーシア兼務でした。
世間には、アジア統括やヨーロッパ支社長という人もいるけれど、
当時、実際に両国間を月一で行き来しながら、
なんという大胆な人事なんだと32才の私は思っていました。
クアラルンプールでは、当時の私よりさらにずっと若い年齢で、
AtoZ Language Centreを創った西尾さんと、元気な皆さんと。
AtoZは私たちの姉妹校であり、養成サテライト校です。
AtoZの意味は、初めから終わりまで、何から何まで、すべて。
私は、すべてのうちの何%あたりのところにいるのだろうとふと。
・・・思って、明日帰ります。
今回の“Team Intercult” @Jakarta、
ナミラさんとエディスさん、最強のサポーターでした。
インドネシアで活躍する、日本語教師養成講座の修了生たち。
2019年、福島サテライト修了の佐藤さん、
1991年、早稲田校時代に修了の川原さん、僭越ながら教え子。
これからの日本の労働人口問題に関わる有益な話を聞きました。
リミさんは、かつてあったインターカルトインドネシア校、
私の時代の事務経理担当で、私にインドネシアのことばと習慣、
すべてを教えてくれた人です。
インターカルトの撤退後、川原さんと同じところに30年勤務、
縁が縁を呼んで、他の◯さん△さんたちもインドネシアで繋がってました。
コンビニ、ショッピングモール、高層ビルの脇に、
30年前とまったく同じ、たばこや雑貨を売る屋台が普通にある不思議。
30年待って、日本留学がようやく本気で動き出しそうだと思えた一方で、
日本がいつまで選ばれる国でい続けられるのかと、改めて考えさせられた
ジャカルタでの三日間でもありました。
2023年7月30日の台北101。懇親会の後。
コロナで中3年おいて開かれた留学フェア。
80年以上前の煙草工場跡という松山文創園区の会場に、
おそらく考えに考えられた台湾と日本を繋ぐ工夫の跡。
ブースで話を聞いてくれてありがとうの皆さん。
なぜ日本に行くのか。その見ている先の変化を感じました。
脱「ふわっと」。
そんな学生たちに混じって、懐かしい人たちがふらっと。
日本語学校の卒業生、養成講座の修了生、共に仕事した人…。
あと一日仕事をして帰ります。
しかし、帰国予定の日、台風が来るらしい。
もし飛行機が飛びそうになかったら、さっと滞在延長しますね。
台湾はほんとに居心地いいから、これ幸いと^^
ここ数年、決して熱くなかった両国の関係。
そこにコロナ、私たちのことを宣伝しながら仲介してくれる
留学院の数はおそらく激減。その結果、
日本留学の情報そのものが消え失せ、リセットされてしまった?
というのが、ブースで対応していての感想でした。
昔ちょっと有名だった、なんていうのは何の意味もない。
だから、改めて「位置についてよーいどん!」だなと思いました。
これは韓国に限らず、世界中の語学留学がそうかもしれません。
昔と同じように、日本語がすでにできる人が多かったです。
ですが、どこで勉強したの?と聞くと、ほとんどが「自分で」。
本やネットで、自分である程度できると言うのです。
でも、留学は違う、学校に行く意味があるんだと言われました。
今一度スタート地点に立って、日本留学を人生の新たな一歩に
してもらえるようにしなければなりません。
コロナ明けの今、会場に来てくれた日本留学希望の皆さんには、
心からありがとうです。
そしてフェア終了後。
懇親会、二次会、三次会のカラオケまで、4年ぶりの炸裂。
韓国、4年ぶりです。
インターカルトのポスター、コロナを経て一新しました。
ブース用の5枚セット、まずは韓国語版を持って行ってきます。
今までなかった韓国入国前「検疫情報事前入力システム」の入力済み、
プリントアウトしたバーコードがついた紙、ちゃんと持ってます。
コロナかオンライン化かどっちかの理由での前との手続きの違い色々。
韓国といえば30代の終わり、財閥企業をまわって仕事をしていたのが
ついこの間のことのようです。が、もうはるか昔の話。
そしてその後、学生の8割近くが韓国という時代もありました。
こういうことの一つ一つが分厚くなった私の記憶のアルバムに。
ということで、新たなページ作りに、ですかね。。
マリップ・センブさんとカルダー淑子先生と、
中川正春先生を訪ねました。
マリップさんとカルダー先生、それぞれを知っている方、
なぜこの二人が一緒に?は、
それぞれにとっての「海外」を拠点にした、ことばの継承と活動。
どうして中川先生と私?は、
別々にこのお二人を知り、それぞれ支援や活動をしているから。
お二人が背負うものは、
過去と現在と未来。想い、責任。
お二人の共通点は、
切り拓く、突き進む、挑む、越える、超える。
ひるまない、失速しない、諦めない、折れない。
一昨年と去年、お二人にご登壇願った私たちの文化庁委託事業の
セミナーのチラシの紹介文です。
海外に飛び立つ日本人の若者、日本に来る留学生、
彼らは日本にとってのグローバル人材の卵と言われているけれど、
複数の国の文化とことばを知る子どもたちもまた(彼らこそ)
グローバル人材ではないですか、とカルダー先生はおっしゃいます。
マリップさんとカルダー先生の、課題に対する共通語と
社会の認識が難しすぎて、ああ、私はまだまだだなぁと。
想いと責任は同じくらい背負っているつもりだけれど、
昨日の私は、聞き役のおとなしい加藤でした^^