
フンさん1月、私5月、そして双子のタオさんとミナさんは7月。
以前は毎年していたそれぞれの誕生会を、久しぶりにまとめて。
20年前にホーチミンで初めて会ったときは、
三人とも日本語はまったくできなくて、
特に、タオさんとミナさんのときは三人きりになった時間があって、
でも共通語がなくて三人で筆談、と言っても文字じゃなく、
紙に絵を描いて、やり取りしたのでした。
フンさんは高円寺校、タオさんとミナさん(当時はノックさんと
呼んでいたのだけれど)は信濃町校でした。
あれから20年、それぞれ、進学したり、就職したり、結婚したり、
出産したり、皆それぞれ、ずっと日本でいろんな経験をしながら、
しっかり生きてきたんだなと、久しぶりに会って話して心にじんと。
娘の年の三人、実際、タオさんとミナさんのお母さんと私は同じ年
なのだけれど、ある年齢を超えたら、年は関係なくなるんですね。
五年後くらいには、もしかしたら四人で事業をしているかも…なんて。
私の人生の終盤戦、おもしろい展開を想像させてくれる人が次々と
現れて、ほんと、ありがたく、そして楽しみです。
それもこれも、この仕事のおかげ。

誕生会は、来日中のタオさんとミナさんのお母さんとおばさんと、
日本在住の弟のロックさんも。私だけ日本人なんて関係なーい。