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大声で泣き叫ばない日本人

今見た「googleニュース」のトップニュース、
ピックアップというところに出ていた朝鮮日報の記事です。

「「他人に迷惑をかけない」という鉄則は、
日本人が幼いころから学ぶ社会生活の第一の基本原則だ。
他人に不快感を与え、他人に心配をかけ、気を遣わせることを、
すべて「迷惑」と表現する。
韓国人ならこんなとき、大声を上げて慟哭(どうこく)し、
周りの家族が支える姿が、リアルタイムで放送されるものだ。
だが、日本人は、自らに振りかかった不幸を嘆く前に、
他人が自分たちの不幸を案じ、気を遣ってくれることに対し、
すまないという気持ちを見せる。」

と、記事にあります。
釜山の室内実弾射撃場の火災、ほか災害や事件を例にひいて。

異文化理解とかコミュニケーションとか、文化を教えるとか伝えるとか、
私たちは、そういうことを仕事にしているけれど、
(いいとか悪いとかではなく)元々の根っこのところが違うのだから、
そんなに簡単にできるものではないよなあと、改めて思います。

今現在、私たちの学校にいる学生の国、23カ国、
それだけでも、日本を合わせて24の文化があるのですよね。
さらに、一人一人がそれぞれ別々の文化を持っている…。

韓国の射撃場は、行ったことはないけれど、
韓国出張の時にホテルのフロントにチラシが置いてあったり、
街中で看板を掲げて客集めをするおじさんを見かけたり、
そんなことで、決して遠い存在ではありません。

韓国の男性たちは軍隊に行くから珍しくはないのでしょうけれど、
日本人の、それも男の人たちにとっては魅力なのですよね。
今日も一人増えたという犠牲になった方たち、ご冥福を祈るだけです。

記事をお読みになりたい方は、こちらを。

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コメント

多文化共生の考え方でいいなと思うのは、「日本ではこうするんですよ」と新しく来た外国人に伝えるのは大切。
だけど、それをしないことの不利益を知ったうえで、どうするかは外国人地震が判断すること、というものでした。

朝鮮日報の記事に関しては、距離感によって変わる気持ちの複雑さは、一般的に理解しがたいと思います。
たとえば人に何かをしてあげたとき、「自分を認められたい。感謝されることを期待するけれど、その気持ちを表に出すことはしない。
が、もし相手が感謝の言葉を言わなかったときは、とても落胆する」
察してくれるのが当たり前だと思い、その要求が、ここ数年でますます強くなって、スムーズに察してくれない人をKYとか言って非難するんだと思います。
はっきり表す人達からすれば、わかりにくい屈折した態度ですよね。
ちょっと知りあい程度の近さの人達には気をつかってほしいとか、賠償請求なんてできない。
でも、会社やお役所など「無関係」で遠い距離感の人には請求できる。
距離をはかるのは、ときどきウンザリします・・・。

かもいぬさん、コメントありがとうございました。
とても難しいことを書いてしまったのかもしれません。

私たちの学校の設立理念はCCC(Cross Cultural Communications)、
国とか文化とか価値観とか、それぞれ違いがあることを認識し、
それを認め合って、その上で共存していくこと…という意味です。
理念としてわかってはいるけれど、難しいです。つい、ということ、あります。

距離感によって変わる気持ちの複雑さ、…難しいです。

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