さよなら!信濃町校
信濃町校のまわりにはご飯を食べる店がほとんどありません。

学校裏のおそば屋さん「兎月(とげつ)」。
作る人、運ぶ人、喋る人、すべて一族。けんちんうどんが好きでした。

学校脇の道を入ったところにある「SAKURA(さくら)」
(アクセントは桜ではなく佐倉と同じ(=ドミミではなくミドド))。
ニヒルなマスターが作るキャベツ&コンビーフ炒めが絶品。
以上。
なので信濃町にいる時は、よく「宝来」から出前をとりました。
昔、1993年から97年のILC時代は、なすみそ炒め丼、
2000年以降本部勤めになってからは専ら、レバニラ炒めと小ライス。

学校の看板が、白字に青い文字からオレンジの地になったのは、
いつだったのでしょう。あらま、と気づいたらだったのですが。
壁の色が、濃いグリーンから薄緑に変わった時だったのでしょうか。
信濃町校開校は1992年5月。
私はインドネシア校にいて、いる間に学校が始まっていました。
結果的にインドネシア校からのただ一人の募集学生だったダビッド、
9月末の私の一時帰国の時に、一緒に連れて帰りました。
tanakaさんとsudaさんが車で迎えに来てくれました。
19才だったダビッドは、15年たって34才、今は日本のサラリーマンです。
その後の学生で懐かしいのは、
元相撲取りのタイさん、台湾のコーココ、香港のトーさん…。
wada先生と共に信濃町校を立ち上げたishikawaさんから、
その頃のいろいろな話を、懐かしく聞きました。
それぞれに、それぞれの思い出。
千日谷の坂を下ったところで、さっと視界に入る桜、今日が満開でした。
たぶんもう、一生見ることはないだろうと思います。あの桜。