卯月のはじめに~「如水会館」そして「植木等」~
日曜日は、あっちこっちのテレビ局で一週間を振り返る番組を放送しています。
私も今日は、この一週間のあれこれの中から心に残る二つのことを。
◆其の壱
27日火曜日、
朝の信濃町校での打合せが長引いてぎりぎりの出発になってしまったため、
日振協の評議員会がある一ツ橋の如水会館へは水道橋からタクシーで行きました。
行き先を告げ動き出してしばらくしたら、間もなく還暦といった感じの運転手さんが、
「如水会館には思い出があるんですよ」
と話し始めました。
数年前に車に乗せた、見たところ九十何歳というお年の男性のお客さん、
行き先は如水会館。
一橋大学の同窓会に向かう途中の、同窓会長を務める方だったのだそうです。
運転手さんには、よっぱど印象的なご老人だったようで、
杖をついてよろよろしていたと何回も言いつつも、
きっと、よき時代を彷彿とさせるしゃんとした紳士の姿が心に残っているのだろうなぁと
思わせる話しぶりでした。
如水会館の名前の由来を、そのご老人は彼にとうとうと語ってくれたのだそうです。
全文は忘れましたが、要は「水の如く」。
運転手さん曰く、いろんなお客さんを乗せて如水会館のそばを通ると、
知ったかぶりしたサラリーマンなんかが同乗の人に、
「これは、黒田如水の屋敷だったところだ」なんて説明してるんですよね。
何を嘘言ってんだろうと思いながら、私は知らんぷりして黙って聞いてるんですけどね、と。
一橋大学同窓会会長のご老人、タクシーの運転手さん、そして私、
不思議な出会いでした。
如水会が一橋大大学の校友会の名前であり、
如水会館が、かつて一橋大学が在った場所に建つなどということを、
無知な私は当然のことながら知る由もなかったのですが、
そのご老人と運転手さんが交わしたであろう会話を頭に浮かべ、
自分の置かれた状況(時間がない!ということ)をすっかり忘れて心動かされ、
タクシーを降りて入った会館の入口ロビーにある、
如水会の名付親、澁澤榮一翁の銅像を携帯のカメラに収め・・・
・・・なんてことをしていて、評議員会に遅刻しました。
大きな部屋での本格的な評議員会(!)でたった一人の遅刻、とても目立ちました。
心から反省。
しかし、入口のところで偶然京都の学校のY先生に会ったのも、私を狂わせた原因。
Y先生は「ちょっとその辺を歩いてくる」と言った⇒まだ時間に余裕があるんだと勘違い。
Y先生は評議員ではなく理事。評議員会の後に出番のある方でした。
続けて、さらに余談ですが、
この評議員会の後、28日からの研修会のために大阪へ。
羽田空港で携帯を落として、人に拾ってもらって届けられていたのを受け取り、
伊丹空港に着いたら、その携帯に日振協から「如水会館に忘れ物あり」と留守電。
まったく気づいていなかったのですが、名刺入れ。名刺より何より、運転免許証入り。
嗚呼。
念のため申し添えますが、心に残っているのは遅刻、携帯、免許証ではありません。
如水会館にまつわるあれこれです。
ご興味のある方、こちらをどうそ。
◆其の弐
同じく27日火曜日。
知ったのは次の日のニュースでですが、植木等さんが亡くなりました。
肺気腫を患っていたとのこと。
亡父と同じ病気、さらに、計算をしたら父とほとんど同じ年齢。
肺気腫でありながら、晩年の映画での歌を歌うシーンは辛かったのではないだろうか、
五十代でこの世を去った父も、生きていたら八十近くになっていたのだと、
色々な思いが頭をよぎり、大阪のホテルのテレビに釘付けになってしまいました。
植木等といえば、シャボン玉ホリデーにスーダラ節。
子供の頃、父の実家の仏壇がある部屋で、親戚みんなが集まる中、
従兄が♪スイスイ スーララッタ スラスラ スイスイスイ♪というところを、
振りつきで歌うのを見てお腹を抱えて大笑いし、
その後も従兄の顔を見ては、「またやれ、またやれ」と言っていた父を思い出します。
「スーダラ節」は今を時めくYouTube、こちらにありました。
閑話休題。
大阪からの帰りの飛行機の中で読んだ毎日新聞、「余禄 植木等」の結びの部分に、
「やりたいことと、やらねばならないことは別と教えてくれたのがスーダラ節だった」
とは後年の回想だ。「無責任男」という時代の僧衣をまとい、堂々と自らのなすべき
ことをやりとげた生涯である。
とありました。
「やりたいことと、やらねばならないことは別」、重い言葉です。
全文はこちら。
もしかして最後まで読んでくださった方、
年度初めのお忙しいところ、恐縮です。ありがとうございました。
以上、エイプリル・フールですけれど、とても真面目に書きました。
コメント
黒田如水の屋敷跡という説明は結構説得力があって信じてしまいますね。
一ツ橋という橋は何という川にかかっていたんだろうかと地図を見てみますとこれが日本橋川。
錦橋、神田橋、呉服橋、日本橋を経て隅田川に注いでいます。
明治の呉服橋辺りはまだ海水が来ていたようで、雛祭りに供えた蛤や栄螺を海に帰す意味で呉服橋の上から捨てる習慣があったようです。(鏡花の作品では)
東京も時代を遡れば結構田舎風の風習があって面白いですね。
ま何にせよ君子の交わり淡きこと水の如しといきたいものです。(そういえば、上善如水?とかいう酒が結構辛口でいいですね)
Posted by: 玉屋 | 2007年04月02日 10:48
「上善如水」―新潟県は南魚沼郡、白瀧酒造のお酒のようですが、その語源は老子なのですね。「最も優れた善は水のごときものである。」ああ、今日も一つ利口になりました。ありがとうございます。
Posted by: skato~玉屋さんへ | 2007年04月03日 00:04
老子?上善にはそんな深い意味があったのですか。
とすると中善如酒?下善は何の如しでしょうか。我田引水??
いやいやいつもながら有り難うございます。恐懼、恐懼。
Posted by: 玉屋 | 2007年04月03日 14:32
こちらこそ、いつも話題を高尚なほうへ持って行っていただき感謝しております。
中善如酒?下善は何の如し?・・・存じませぬ。
Posted by: skato~玉屋さんへ | 2007年04月03日 19:46