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2007年04月28日

春雷

ゴールデンウィーク初日の今日、午後3時ごろから春の雷が鳴り響きました。
春雷は、春の到来を伝えてくれるという事で大変おめでたいのだそうです。
雷鳴に驚き冬眠していた地中の虫たちが目覚めるという想像から、
「虫出しの雷」という呼び名もあると、こちらのページにありました。

今日のインターカルト日本語学校の午後3時は、2007年度第1回勉強会、
40数名の教職員が集まりました。
新宿日本語学校の江副校長先生においでいただき、
「日本語教育スタンダード」についてのお話をうかがいました。

講義は春雷、そして「虫出しの江副先生」。
私たちの中で冬眠していた虫を起こして目覚めさせてくださったと思います。
お世辞でも何でもなく、江副先生は凄い、凄すぎます。
今日は(今日も)本当にありがとうございました。

さて、明日からお休みをいただきます。
ちょっと遠出をしますので、ここもしばらくお休みです。また!

2007年04月27日

変わります宣言

日本体験プログラムの最終日。
タイのティーンエイジャーを中心とした学生たち20人、
初日の自己紹介では、自分の名前を言うのがやっとだった子が大半だったのに、
今日の修了式のスピーチでは、ほとんどが全ての内容を暗記していて、
日本でのあれこれについて話してくれました。
あの、恥ずかしそうに小さな声でしか話せなかった人たちが、堂々としていて立派でした。

変わることは嬉しいこと、満足感を得られること。じゃありません?

コースを担当したMs.Saito先生が、
学生と一緒に自分自身も変わったという内容のスピーチをしていました。
私は開講の日と修了の日しかコースに登場していないのですが、
だからこそ、なおさら客観的に彼らの変化が見てとれました。

ゴールデンウィーク直前の今晩は、
私たちの授業、カリキュラム、クラス、教師、教室、システムなどなど、
‘学校’というものそのものに対する考え方を土台から‘考え直す=ひっくり返す’、
そのための大準備委員会でした。

今年の夏、私たちは変わります。

2007年04月26日

十五の春に

今日も修学旅行生たちがやってきました。
宮城県から31人の中学生、それに教頭先生と引率の先生お二人。
今日は人数が多かったので、二手に分かれて別々の教室で交流会、
外国人の学生たちがお兄さんお姉さん顔に変身して、
ゲームを進行している姿が微笑ましかった。

こうやって、日本人の若い学生さんたちが訪ねてくれるのはありがたいです。
先生のように言葉のコントロールをしない、生の日本人ですから。

でも、私はいつも思うのですが、若い日本人たちにとってこそ、ありがたい体験です。
おそらく外国人に接する機会のほとんどない地方の中学生、高校生たちが、
ほんの数時間でもこうやって実際に話したり遊んだりすることは、
これからの彼ら彼女らの人生に大きなプラスになりますよね、絶対に。
特に学生の大半はアジアの国々から。
相手を身近に感じ、好感を抱けたら、そこに偏見は生まれないと思います。
これからの日本を担う若き日本人たちに、私たち、ちょっと貢献。

2007年04月25日

駅のホームでおばさんに怒られた

今朝、JR新宿駅千葉方面行き総武線ホームで学校に電話をしていたら、
知らないおばさんが近寄ってきて、いきなり怒られてしまいました。
たぶん携帯電話をしているのが悪いと言ったように思います。
でも、電話していたの、"ホーム”でです。

が、恐かったので、場所を移動してホームの真ん中あたりまで行って、
なかなか来ない電車を待っている間に、携帯を出してメールなどを見ていたら、
また隣で声が。見たら、また、
さっきと同じ、青い水玉模様のレインコートを着たおばさんが私の脇に立っていて、
怒って私に何か言っています。どうして。どうしてまたここにいるの。

恐かったです。
昼間で、人が大勢いるホームで、相手は私よりも体の小さいおばさんだったけれど。
私は何か悪いことをしただろうか、人に気に食わないと思わせる何かがあるだろうか、
などなど、電車に目立たないように乗り込んで信濃町に着くまでの間、
いろいろ考えてしまいました。

2007年04月24日

元気に挨拶

今朝、ちょっと早めに信濃町校に出勤、
学校のドアを開けたら、ロビーにセーラー服の高校生たちがたくさんいて、
「おはようございます!」と元気に挨拶され、びっくりしました。
鳥取県から修学旅行でやってきた女子高生14人、男子も3人、先生1人。
約束の時間よりかなり早く着いてしまったようで、
テーブルを囲んでお喋りしながら待つ子、PCをする子といろいろ。
その彼女彼ら全員が、学生や先生たちが入ってくるたびに元気に、
「おはようございます!」と声をかけていました。
入ってきた人たちは、一瞬一様にぎょっとして「お、おはようございます!」。
挨拶しなさいと言われてしていたのか、自主的にしていたのかわかりませんが、
なんであれ、元気に声を掛け合うっていうのはいいもんです。
朝は元気な挨拶から。気持ちのいい一日のはじまりでした。

別件ですが、30周年記念の掲示板(BBS)、
ジャンクの書き込みがたくさんくるようになってしまったため、
ユーザー名とパスワードを入力して、トップページから入っていただくようになりました。
ユーザー名は‘30th’、パスワードは‘bbs’です。
(これが読める人間には秘密じゃありません。)どうぞご利用ください。

2007年04月23日

習慣

しばらく会っていなくても、ブログを見てるからいつも会ってるみたいな気分、
と、時々しか会わない人に言われました。あな恥ずかし。

今日も一日、一生懸命仕事しました。
たくさん歩いて、たくさん人に会って、たくさん頭使って、たくさん喋って聞いて。
ああ疲れた、ああ眠い。

(内容ないなぁ。)でも書く。

2007年04月22日

観世能楽堂にて

本日、「謳潮会大会」。
数年前までインターカルトで教鞭をとっていらした須田先生が、
翔(かけり)という能の修羅ものでよく舞われる舞を舞いました。
ちょっとのぞいてとお誘いをいただき、そのつもりでいたのですが、
急な用事ができて行けず。ここにご紹介だけさせていただきます。
数年前の発表会で拝見した須田先生の舞姿、
颯爽と舞台の袖から扇を手に登場し、謳って舞い、トントンと舞台を踏んで足を鳴らす姿、
一言、かっこよかったです。今日はほんとうに残念。

2007年04月21日

明治記念館にて

日本語教員養成研究所の評議員会があり、
水谷修先生、西原鈴子先生、細川英雄先生がご出席くださいました。
当たり前のことですけれど、外の声に耳を傾け、変わっていくことはとても重要。
評議員会は、1986年の420時間長期コースができた時に発足、
玉村文郎先生、宮地裕先生、奥津敬一郎先生にご就任いただきましたが、
諸般の事情により1997年に制度廃止。
けれど今年、30周年を機にメンバーを一新して再開しました。

会の後は、在日歴15年になる卒業生D君と新宿で会って食事をし、
府中に帰ってきてから整体に行って、今日が終わりました。
暖かい一日でした。

2007年04月20日

不惑のリカちゃん

リカちゃん、40歳だそうです。こちら

近くにいた同世代のMr.T先生と、お互いどのくらい老眼かという話を
今ちょうどしていたところでした。私たち、不惑の年を迎えて早数年。
子供時代、着せ替えをして遊んだリカちゃんが40でもおかしくないのですよね。
でも、リカちゃんは永遠の11歳。
私も、気持ちは永遠の20代のつもりでいるのですが、
親の年齢が私の年を下回る学生が、すでに何人もいるのに気づいています。

2007年04月19日

「北斗の拳」ラオウのお葬式

昨日、東京・高輪の高野山東京別院で営まれたそうです。
葬儀委員長は谷村新司。なんとも不思議な感じ、北斗の拳は漫画ですよね。

昔、「あしたのジョー」の力石徹の告別式に
ファンが大勢参列したというのがあったなぁと思ったら、それは1970年のことで、
1980年にはガッチャマンの誰だかの追悼式もあったとか。
ラオウのお葬式には3000人の人が集まったそうです。冷たい雨降る中をですよ。
詳しくはここに出ています。

こういう現象、私は100%は理解できないのですけれど、でも興味はとてもあります。

今日は、仕事で久しぶりに渋谷へ行きました。
なんだかとってもいい雰囲気で、休みの日にぷらっとまた来ようと思いましたが、
ま、行かないんですよね、きっと。
いつだったか神楽坂にも改めてゆっくりと思いながら、全然です。
でも、こんなに寒くちゃあ、どこにも行く気にはなりませんね。仕事でもない限り。
ほんとーーーーーに寒いです。

2007年04月18日

留学生100万人計画

今日は一日、と~っても忙しくてメールチェックできず。
帰って見たら、東京地区評議員MLにニュースが送られてきていました。
日本への留学生、2025年に100万人へ・教育再生会議
(4月18日付「日本経済新聞」)

先週、カイのyamamotoさんがyamamotoさんのブログに書いてくださったように、
今年も早稲田大学大学院での授業が始まりました。
今日の初日は私の番で、1983年の「留学生受入れ10万人計画」、
それによって起こった上海事件、そして日振協の設立に至るまでを話したところでした。
なんと100万人、無茶しないでください。
2025年といったら18年後。ううん、私はどこで何をしているやら。
日本語学校から足を洗っているのかいないのか。
計画通りに2025年に達成できたとしても、すでに結構な高齢になっています。

まずはインターカルト創立30周年。卒業生総数は16,000人です。
掲示板、こちらです。

2007年04月17日

全身疲労×2

今朝も電車はとても混んでいました。
一度片足でも上げようものなら、私の足があった場所にすぐに誰かの足がずずずっと来て、
下ろそうと思った時には、もう足をつく場所がないといった感じ。

さらに今日の最悪は、運転士さんの運転が非常に下手だったことです。
アクセルとブレーキの踏み方がなってない。
動き出す時と止まる時、その度にガッタンと揺れて私たちはバランスを崩す。
倒れないために、ずっと体中に力を入れていなければならない。朝から全身疲労。

ところで、友人の紹介で「精神年齢鑑定」というのをしてみました。
私の精神年齢は、なんと24歳。一瞬喜びました。しかしコメントによると、
私は実際の年齢よりかなり幼稚。これは『若い』のではない。『幼稚』。
もっと大人になる努力をしないと、これから先苦労する。・・・らしい。
どっと疲れた。

2007年04月16日

すごい会議

というタイトルの本を先週から読んでいて、さっき読み終えました。
スポッとはまった感じです。
4月4日に「さくさく」というタイトルでここに書いた文章、
要は私は会議の進行が上手じゃありませんと書いたのですが、
それを読んだ方が、この本を貸してくださいました。
いいでしょ?そういうことをしてくれる人が身近にいるって。感謝。

ところで、さくさく春になってほしいと書いた4月4日は、
「春雷、霙(みぞれ)も降ったそうです。震えるほど寒い一日でした。」
そして今日は午前中から雨。菜種梅雨だそうです。しばらく降り続くんですよね。
うう、さぶっ。

2007年04月15日

ベニカナメモチ

漢字で書くと、「紅要黐」だそうです。

070415.jpg

春になると見るこの赤い葉、一体何なんだろうと前から思っていたのですが、
一昨日の晩、たまたまこの木の葉っぱの色が話題にのぼり、
今日、たまたまこの木が植えてある道を通ったので写真に収めました。
Googleで「赤 葉 春」と入れて検索したら、
この木の名前はベニカナメモチ、赤く見えるのは新芽だとわかりました。
ほんにインターネットは便利、そして日本は春なのですね。

2007年04月14日

ZAKKA

ドラえもんのランチボックスと、キティちゃんの手提げ袋。

070414.jpg

高円寺校のそばのコンビニで、それぞれクジを引いてもらいました。
ドラえもんは数週間前に、キティちゃんは先週。
別に、こういうものが好きというわけではなく、集めるのが趣味なのでもないのですが、
お釣りを待っている間に、ぬいぐるみとか座布団とか湯飲みとかトースターとか、
レジの前に並べてあるそういうものが目に入ってしまうと、どうしても欲しくなってしまう。
一度は我慢するんですが・・・。クジを引くのタダじゃありません。

こういうようなもの(こと)、日本独特なんだそうですね。
‘おみくじ綿棒’とか、ペットボトルについてるおまけとか、こういうのとか、
なんだか、なんでもうちにあります。ZAKKA=雑貨。

2007年04月13日

2007 これからのいろいろ

◇入試対策講座
今月から日本留学試験がある11月まで、進学課程(信濃町校)で開講。
科目は、英語、数学理科系、数学文科系、物理、化学。

◇修学旅行生来校
4月と5月、信濃町校、高円寺校それぞれに、
鳥取県、宮城県、石川県、岐阜県の中学生が、総勢87人やってくるそうです。

◇大運動会
6月18日新宿の体育館で開催。30周年記念行事です。
その他、いつもやってるスピーチ大会も、今年は30周年記念大スピーチ大会。
地域の人たちに学校を開放するオープンスクールも企画しています。

◇里帰りデー
これは、日本語教員養成研究所が新たに始めました。
日本語教師養成コースを修了した人たちが、里(研究所)に帰ってくる日。
まずは5月19日、巣立っていった元卵たちを生みの親たちが迎え、
独り立ちの日々について、あれやこれや語り合う日です。

その他、まだまだいろいろありますが、とりあえず今日はこのあたりまで。

2007年04月12日

1977年、インターカルトができた年

王貞治国民栄誉賞受賞、
三田誠広 『僕って何』、池田満寿夫 『エーゲ海に捧ぐ』 芥川賞受賞、
勝手にしやがれ(沢田研二) 、渚のシンドバッド(ピンク・レディー) 、
昔の名前で出ています(小林旭) 、津軽海峡冬景色(石川さゆり) 、
秋桜(山口百恵) 、あずさ2号(狩人) 、酒と泪と男と女(河島英五) ヒット、
八甲田山 、幸福の黄色いハンカチ 、ロッキー 、スター・ウォーズ上映、
「ヤッターマン(タイムボカンシリーズ)」、「ルパン三世」放映開始 。

養成修了生のブログにヒントを得て、Wikipedia から拾ってみました。

1977年、つい最近のような気がするのですが、
その年、私はまだセーラー服の女子高生でした。
その10年後の1987年に、
学校法人国際総合学園 国際教育専修学校 日本語教員養成課に入学。

インターカルトの養成コースは29年前、1978年の開講ですが、
420時間という指針が文化庁から出た1986年に、
それに対応するコースを有するこの専修学校が新たに作られました。
日本語学校の名前は今と同じ、インターカルト日本語学校でした。

嗚呼、歴史ですねぇ。どうにかこうにか今日までこられたのは、
卒業生、在校生、そしてインターカルトを支えている皆皆皆みんなのおかげです。

2007年04月11日

友、遠方より来る

養成の1期後輩、早稲田校時代を教師として共に過ごしたH明子さんが、
イースターの休暇でオーストラリアから一時帰国、学校を訪ねてくれました。
思い出話から始まって、オーストラリアの日本語教育事情、
もしかしたら実現するかもしれない修了生のためのオーストラリアでの研修の話、
当時20代だった私たちも今は老眼、肉もついたね、老後をどこで過ごそうか・・・等など、
午後2時過ぎからの長くはない滞在でしたが、たくさん話して楽しいひと時でした。

ミクシーにインターカルトのコミュニティーがあって、
そこで、インターカルト養成修了生たちが期を越えて話をしているのだそうです。
在日本だけでなく、在オーストラリアも、在ドイツも。

修了生の皆さん、
インターカルト日本語学校創立30周年記念の掲示板にも、ぜひ一言。
修了生でない皆さんも、もちろんどうぞ。

2007年04月10日

ほんとは今日が100日め

昨日ここに、2007年になってから100日めと書きましたが、
間違えました。昨日は99日め、今日4月10日が100日めでした。
どうしてそんなことがわかるかというと、私が使っている手帳に書いてあるからです。
どうして間違えたかというと、一日見間違えたからです。

今年から使い始めた手帳、「ほぼ日手帳」っていうんですが、
去年の年末にネットで見て一目惚れして、買って使ってみて本気で惚れ、
今は、どうか末永くよろしくお願いしますっていう気持ちの手帳です。
これの前は、日経のビジネス手帳をちょうど10年間使いました。
これもいい手帳だったんですが、小型過ぎて(といっても普通のポケットサイズ)、
書くこといっぱいの私にはスペースが足りず、字を小さく書くと読めずで、
一回り大きい文庫本サイズのこれに変えました。

なんであれ、私にとって手帳は命の次に大事と言っても過言ではない。
これなしでは、明日私はどこで何をするのかわからない。
ほぼ日手帳とは一生のお付き合い・・・と思ったのですが、そんなことはないのです。
こういう忙しい生活をしているから、こういう時間刻みの分厚い手帳も必要だけれど、
暇人になったら、手帳なんて、おそらく必要なくなるのですよね。
考えてみたら、手帳のいらない生活、憧れかも。。。

というわけで明日は101日め。ちなみに200日めは7月19日です。

2007年04月09日

デビュー戦

早稲田の斎藤くん、楽天の田中マーくん、レッドソックスの松坂に続き、
今日、インターカルトでも、新人先生たちの中のトップバッターがデビューを飾りました。
松坂ほどの快挙ではなかったものの、KOにはあらず、
元気に引継ぎをしていた様子から、まずまずの好スタートと見ました。
続くみんなも、頑張り過ぎないで普通にいきましょう。
養成研究所の教え子たちなので、我が子を送り出した親の気持ちです。
養成の父、Y先生は送り出した子たちにリポビタンDを手渡していました。

記録によると、私の日本語教師デビューは4月6日。
(物持ちがいい(=物を捨てられない)ので、そういう記録もしっかり残っている。)
今はない早稲田校で、日本語のまとめ20-(2)、聴解20-(3)、漢字とあります。
1988年のことなので19年前。でも、昨日のことのようによく覚えています。
今日デビューの先生は、引継ぎの後に「でも楽しかったです」と言っていました。
そう、まずは楽しいことが一番。

ところで今日は、2007年になって100日めの日。
もう100日たっちゃったんですよ。あと265日しかないんですよ、今年は。
速いぞ、2007年。

2007年04月08日

不思議

「確実」と言い切るからには、
それを立証する裏付けと確信と自信がなければならないと思うのですが、
いつものことながら、いや、今回はことさらスピーディに「当選確実」が出ました。
開票開始後、わずか数分後、私の時計では2分後に。
出口調査とか何とか、いろいろデータを集めているのでしょうが、
「当選確実」と言い切ってしまえるのが不思議、よく理解できません。
が、なんであれ、東京都知事は石原慎太郎氏に決まったようです。

070408.jpg

アメリカ大陸の北東地域、学校が軒並み休校になるほどの大雪だそうです。
同じ地球上で、雪が降っていたり真夏だったりというのは理解できるのですが、
ふと夜空を見上げ、そこにある月を見たとき、
ああ、この同じ月を別の国のどこそこの誰々も見ているんだなんて思うこと、ありませんか?
そういう時、私はとてもとても不思議な気持ちになります。

ついでにもう一つ。
写真を送ってくれたメーン州のKさん、元インターカルトの先生。
彼の息子さんが、この夏、サマーコースで勉強するために来日します。
他にも、日本語学校の卒業生たちの娘、息子、甥、姪・・・などなど、
親類縁者がインターカルトのあっちこっちにいるようになりました。
ああ、それだけ私たちも年をとったのだなぁとわかってはいるのだけれど、
ジュニアたちを見ると、なんとも不思議な気持ちになります。

2007年04月07日

好き、嫌い、上手、下手

好きだから上手は、「好きこそ物の上手なれ」。
最近がんばってやっていないので、あまり自慢できないのですが、
料理は好きで、ま、下手じゃあない部類に入るかと。

下手だけど好きは、「下手の横好き」ですね。
上手だけど嫌い、こういう意味のことわざありましたっけ?
私にとっての下手だけど好きなこと、上手だけど嫌いなことは何だろう。

嫌いだから下手、下手だから嫌いは、迷うことなく掃除。・・・これこそ自慢できない。
今朝、家人に唐突に「大掃除をしよう!」と号令をかけられたため、
予約しておいた美容院をキャンセルし、マスクかけて、
たまりにたまった物を処分するための掃除をして一日が終わりました。。(-_-メ)

教師を始めたばかりの時に作った教材とか、学生が書いた作文とか、
みんなと撮った写真とか、そんなものを発見するたびに、それらに見入るための休憩。
その時だけは楽しいひと時。下手だけど好きは、意外と片付けかもしれません。
「下手の横好き」とは意味が違いますけど。

2007年04月06日

にぎにぎしく

外務省のホームページによると、
今年は、
日マレーシア国交樹立50周年、日中国交正常化35周年、
日モンゴル外交関係樹立35周年、日タイ修好120周年、日印交流年、
日豪通商協定署名50周年、ニューヨーク・ジャパン・ソサエティ設立100周年、
日チリ修好110周年、メキシコ移住110周年、
日・ポーランド国交回復50周年、日・チエコ国交回復50周年、
日・スロバキア国交回復50周年、 日・スロベニア外交関係樹立15周年、
日・アイルランド外交関係開設50周年、日リビア国交樹立50周年、
日・モザンビーク外交関係樹立30周年、日ガーナ国交樹立50周年、
・・・だそうです。

インターカルトはお伝えしている通り、おかげさまで創立30周年です。
(HP上に「30周年記念掲示板」ができました。
 トップページ右下の、BBSのマークをクリックしてください。)

インドネシアの提携校、ジャカルタコミュニケーションクラブは10周年で、
その記念パーティーが3月25日に、にぎにぎしく執り行われました。
私は年度末のいろいろで出席できなかったのですが、その様子、こちらです。
いやぁ、ほんとににぎにぎしい。

2007年04月05日

おみくじ綿棒

書くことを思いつかなかったので、
年末だったかお正月だったかにコンビニで買った綿棒について。
その名も「おみくじ綿棒」。
神社にあるおみくじの六角形の筒様の紙の箱を逆さにして振ると、
穴から綿棒が出てきます。そして、その一本一本に、
 超吉・大大吉・大吉・中吉・小吉・吉・凶・小凶・中凶・大凶・大大凶・超凶
のいずれかと、コメントが書いてあります。
今振って出てきた二本、
 中吉 ええがな!ええがな!
 小吉 こんぐらいが一番やねん

こういうつまらないもんを見つけちゃあ買い、
そしてその辺に置きっぱなしにするので、ちっとも片付きません。

そうそう、今日から2007年4月期のスタート、皆にいいことたくさんありますように。
 超吉 あんた今日は最高の日やで!

2007年04月04日

さくさく

最近よく聞くけれど、私は使わない表現です。でも、意味はだいたいわかります。
「さくさくっとやっちゃった」とか、「この小説はさくさく読めるよ」とか、
短い時間で手間ひまかけずに、っていうような意味ですよね。

さくさくやりたいことの筆頭格は、会議。
今日した会議は、少々時間はかかったけれど結果的にはかなりさくさくだったと思います。
さくさく会議の要件。
一人一人がちゃんと根拠に基づいた考えを持っていること。
それぞれの価値観が、お互いに歩み寄れる範囲内にあること。
発言が要領よく端的であること。
そして、それより何より会議を進行する人の手腕。
私は会議上手を目指してかれこれ○○年、ですがまだまだ修業が足りません。

今日は、春雷、霙(みぞれ)も降ったそうです。震えるほど寒い一日でした。
真冬日。どうかしてるぞ、地球。
さくさくと春になってほしい。(って言うんだろうか。)

2007年04月03日

さまざまなこと思い出す桜かな

芭蕉。
・・・なんて言っている間に東京の桜は満開の時を過ぎ、
枝の先に葉っぱを少し覗かせ始める季節になりました。
が、しかし、数日前のあの唐突に記録した真夏日は一体何だったのでしょう。
そして、昨日今日は小雨そぼふる肌寒い一日。地球はどうなってしまうのやら。

さて、今日は2007年度4月期生の入学式でした。
新入生は、10ヶ国から約250名。
四谷区民ホールでの式では、恒例の新入生一人一人全員壇上一言挨拶。
いろんな年齢の人がいましたけれど、何歳であっても新入生は初々しい。
ぴっかぴっかの一年生。またにぎやかになります。
インターカルト日本語学校創立30周年、その最初のイベントでした。

HP上には「30周年記念掲示板」ができました。
トップページ右下の、BBSのマークをクリックして、
掲示板に行って、何か一言残してくださったら嬉しいです。

2007年04月02日

虫のいろいろ

もう何度も聞いて聞き飽きたという方もいらっしゃるかと思いますが、
今日もこの話を人にする機会があり、
したら、「ううん」と感心してもらえたので、改めてここに紹介します。
以下、尾崎一雄『虫のいろいろ』からの引用です。

        * * *

 また、虫のことだが、蚤の曲芸という見世物、あの大夫の仕込み方を、昔何かで読んだことがある。蚤をつかまえて、小さな丸い硝子玉に入れる。彼は得意の脚で跳ね廻る。だが、周囲は鉄壁だ。散々跳ねた末、若しかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。試しにまた一つ跳ねて見る。やっぱり駄目だ、彼は諦めて音なしくなる。すると、仕込手である人間が、外から彼を脅かす。本能的に彼は跳ねる。駄目だ、逃げられない。人間がまた脅かす、跳ねる、駄目だという蚤の自覚。この繰り返しで、蚤は、どんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。

   (中略)

 「丁度それと反対の話が、せんだっての何かに出ていましたよ。何とか蜂、何とかいう蜂なんですが、そいつの翅(はね)は、体重に比較して、飛ぶ力を持っていないんだそうです。まア、翅の面積とか、空気をうつ振動数とか、いろんなデータを調べた挙句、力学的に彼の飛行は不可能なんだそうです。それが、実際には平気で飛んでいる。つまり、彼は、自分が飛べないということを知らないから飛べる、と、こういうんです」
 「なるほど、そういうことはありそうだ。―いや、そいつはいい」私は、この場合力学なるものの自己過信ということをちらと頭に浮べもしたが、何よりも不可能を識らぬから可能というそのことだけで十分面白く、蚤の話による物憂さから幾分立ち直ることができたのだった。

        * * *

暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇
尾崎 一雄 高橋 英夫
4003115716

高校三年の時、現国(現代国語)の橋本という先生から聞いて以来、
私が、とてもとても好きな話です。

PS.今日、この話をした方へ。ハエじゃなくてハチでした。

2007年04月01日

卯月のはじめに~「如水会館」そして「植木等」~

日曜日は、あっちこっちのテレビ局で一週間を振り返る番組を放送しています。
私も今日は、この一週間のあれこれの中から心に残る二つのことを。

◆其の壱
27日火曜日、
朝の信濃町校での打合せが長引いてぎりぎりの出発になってしまったため、
日振協の評議員会がある一ツ橋の如水会館へは水道橋からタクシーで行きました。
行き先を告げ動き出してしばらくしたら、間もなく還暦といった感じの運転手さんが、
「如水会館には思い出があるんですよ」
と話し始めました。
数年前に車に乗せた、見たところ九十何歳というお年の男性のお客さん、
行き先は如水会館。
一橋大学の同窓会に向かう途中の、同窓会長を務める方だったのだそうです。
運転手さんには、よっぱど印象的なご老人だったようで、
杖をついてよろよろしていたと何回も言いつつも、
きっと、よき時代を彷彿とさせるしゃんとした紳士の姿が心に残っているのだろうなぁと
思わせる話しぶりでした。

如水会館の名前の由来を、そのご老人は彼にとうとうと語ってくれたのだそうです。
全文は忘れましたが、要は「水の如く」。
運転手さん曰く、いろんなお客さんを乗せて如水会館のそばを通ると、
知ったかぶりしたサラリーマンなんかが同乗の人に、
「これは、黒田如水の屋敷だったところだ」なんて説明してるんですよね。
何を嘘言ってんだろうと思いながら、私は知らんぷりして黙って聞いてるんですけどね、と。

一橋大学同窓会会長のご老人、タクシーの運転手さん、そして私、
不思議な出会いでした。

如水会が一橋大大学の校友会の名前であり、
如水会館が、かつて一橋大学が在った場所に建つなどということを、
無知な私は当然のことながら知る由もなかったのですが、
そのご老人と運転手さんが交わしたであろう会話を頭に浮かべ、
自分の置かれた状況(時間がない!ということ)をすっかり忘れて心動かされ、
タクシーを降りて入った会館の入口ロビーにある、
如水会の名付親、澁澤榮一翁の銅像を携帯のカメラに収め・・・

・・・なんてことをしていて、評議員会に遅刻しました。
大きな部屋での本格的な評議員会(!)でたった一人の遅刻、とても目立ちました。
心から反省。
しかし、入口のところで偶然京都の学校のY先生に会ったのも、私を狂わせた原因。
Y先生は「ちょっとその辺を歩いてくる」と言った⇒まだ時間に余裕があるんだと勘違い。
Y先生は評議員ではなく理事。評議員会の後に出番のある方でした。

続けて、さらに余談ですが、
この評議員会の後、28日からの研修会のために大阪へ。
羽田空港で携帯を落として、人に拾ってもらって届けられていたのを受け取り、
伊丹空港に着いたら、その携帯に日振協から「如水会館に忘れ物あり」と留守電。
まったく気づいていなかったのですが、名刺入れ。名刺より何より、運転免許証入り。
嗚呼。

念のため申し添えますが、心に残っているのは遅刻、携帯、免許証ではありません。
如水会館にまつわるあれこれです。
ご興味のある方、こちらをどうそ。

◆其の弐
同じく27日火曜日。
知ったのは次の日のニュースでですが、植木等さんが亡くなりました。
肺気腫を患っていたとのこと。
亡父と同じ病気、さらに、計算をしたら父とほとんど同じ年齢。
肺気腫でありながら、晩年の映画での歌を歌うシーンは辛かったのではないだろうか、
五十代でこの世を去った父も、生きていたら八十近くになっていたのだと、
色々な思いが頭をよぎり、大阪のホテルのテレビに釘付けになってしまいました。

植木等といえば、シャボン玉ホリデーにスーダラ節。
子供の頃、父の実家の仏壇がある部屋で、親戚みんなが集まる中、
従兄が♪スイスイ スーララッタ スラスラ スイスイスイ♪というところを、
振りつきで歌うのを見てお腹を抱えて大笑いし、
その後も従兄の顔を見ては、「またやれ、またやれ」と言っていた父を思い出します。

「スーダラ節」は今を時めくYouTube、こちらにありました。

閑話休題。
大阪からの帰りの飛行機の中で読んだ毎日新聞、「余禄 植木等」の結びの部分に、

  「やりたいことと、やらねばならないことは別と教えてくれたのがスーダラ節だった」
  とは後年の回想だ。「無責任男」という時代の僧衣をまとい、堂々と自らのなすべき
  ことをやりとげた生涯である。

とありました。
「やりたいことと、やらねばならないことは別」、重い言葉です。
全文はこちら

もしかして最後まで読んでくださった方、
年度初めのお忙しいところ、恐縮です。ありがとうございました。
以上、エイプリル・フールですけれど、とても真面目に書きました。