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「みんなの日本語」症候群

早稲田大学の細川先生が主宰する
NPO法人「言語文化教育研究所」発行のメルマガ『ルビュ言語文化教育』で、
細川先生が提起した「みんなの日本語」症候群について論争が続いています。

インターカルトの初級のテキストは「Fundamental Japanese」、
なので「みんなの日本語」は使っていないのですが、
“だから関係ない”という論争じゃあありません。

『教室実践においてもっとも重要なことは、
「自分の教室活動をどのように設計できるか」ということである』
と、細川先生は書いていらっしゃいます。
『この「設計」という観念を持たずに、教室に臨むと、
かならずや教科書の言いなりになる。』

ん?どういうこと?それ、という方、
ユビキタス講座「言語文化教育入門」の開講間近だそうです。
私は、去年の秋に受講したのですが、
インターネット上で、日本国内外の「ことば」の教室を持つ人たちとした討論を通して、
自分が目指す教室が見えてきたような気がしています。
一人で考えることには限界があります。
人と一緒に、ああでもないこうでもないと言い合うことで気づく何かがあると思いました。

最近、どうして教室に復帰したか。
それは、自分が目指す教室を試したかったから。なんですが、目指せてますかねぇ。。。

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コメント

香港に来たばかりの頃は、今までのやり方でうまく行かない時がよくあって、学生のせいにしてしまったり、香港人の先生の授業を見た時も、どうして?!と正直腹が立ちそうなときもありました。でも、それは自分が正しいと思っていた(思い込んでいた)からだと思います。
何かに固執したり自分以外の何かを頭から信じきっていたり、その逆に、気がつけば何かに支配されてしまっていたり・・・気がつかないうちにそんなことってありがちですが、状況や環境・相手によって何をどうするかを、大事なところはちゃんと持ったまま、かなり根本的なところから考えなおすことは、結局、楽しく仕事時間を過ごす一番のコツかもしれない・・・と、思いました^^;。

そうですね。
授業の方法でも教材でも何でも、常にチャレンジしつつ、そして何に対しても疑問を持っていきたいと思っています。
で、話がはずれますが、これは授業だけじゃなくて、学校を運営していくことにも、ひいては人生にも言えるかな・・・と思いました。
一人よがりのチャレンジだったり、私がこう思ったのだから皆にとってもいいんじゃないかと思ったりすると、うまくいかないんですよね。
ごめんなさい、ちょっと関係ない話。^^;

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