お時間があったら・・・。
お知らせです。
2月1日から、アルクのHP上でブログが始まります。
皆様、お忙しいことと存じますが、
どうぞそちらへもお出でください。お待ちしております!)
こちらとあちら、どうぞ引き続きごひいきに。ブログはココ→★
(こちら、そちら、あちら・・・ああ、むずかしい。)
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お知らせです。
2月1日から、アルクのHP上でブログが始まります。
皆様、お忙しいことと存じますが、
どうぞそちらへもお出でください。お待ちしております!)
こちらとあちら、どうぞ引き続きごひいきに。ブログはココ→★
(こちら、そちら、あちら・・・ああ、むずかしい。)
ここに何度となく書いている「老酒会」のニュースです。
蘇州、鄭州、曲阜で日本語教師をしている
50代、60代の養成修了生たちが集まってきました。
老酒ならぬ麦酒を飲みながら、へぇ!とか、ほぉ!とか、
とにかく楽しくお話を聞きました。
食事、交通、暖房器具、トイレ事情、床屋、雇用関係、そして物価などなど。
日本とはもちろんまったく違いますが、広~い中国、地方によっても違いがあり、
聞くこと、聞くこと、すべてが珍しく、楽しく、おかしく、とにかく楽しいひと時でした。
前々から約束していた今日のために、
今朝39℃の熱があった方は病院で注射を打って、
ノロウイルスが体に入り込んでいるという方は
お酒を控えて熱いウーロン茶を飲みながらの参加でした。
次の会は夏だそうです。
今日来られなかった他のメンバーも集合なのだと思います。 謝謝!再見!
足首の腓骨をパキンと折った、あれから一年たちました。
体調があまりよくなく、でもお昼に教師養成の必修選択があるために
少し遅れて家を出た。ここまでは去年と今年、まったく同じです。
駅に行く途中にあるライオンズマンションの前で
高円寺校に電話をしようかと思った。これも同じ。
でも違うのは、去年は電話をしてカバンに携帯をしまおうとした時に
足首がグギッとなったのだけれど、
今年は、電話をしたら骨を折る!と思って電話を断念した。よって、無事でした。
今日のニュース。東横イン偽装工事。
駅から近く値段は安い、部屋はきれいで朝ごはんにおにぎりとお味噌汁がつく。
と、かつてインターカルトにいた在台湾TT氏の推薦を受けて、
何かの折に泊まってみたところ、これはよい!と思っていたのに・・・。
真面目にやらなくちゃいけないってことだと思います。
この間あった外の会議の時にも改めて思ったのですが、
守るべきことは守り、ちゃんとやらなくちゃいけないのです。
IT企業も投資家もホテルも日本語学校も。
ちゃんとしないで、潰れたり破綻したり発覚して逮捕されたり
学生がいなくなったりしても、それは仕方がないと思うのです。
「きれい事言ってる」と、本当によく言われますが、いいんです。
一生きれい事を言っていくつもりです。
「真面目なんていうのは偉くもなんでもないんだ」
と言われて育ちました。真面目なのは当たり前、
真面目だと言われて喜んでいるのは大ばか者、真面目な人っていうのは、
ただの普通の人だってことだ、と。
当たり前を前提に、その先何をするか。そう言っていた人の娘です、私は。
日本語教員養成研究所のHPに、先日の研究発表会の模様が出ていました。
4月期生も募集中。
日本語学校の多くの学生たちの国々は、まもなくお正月。
明日は旧正月の大晦日です。
ほんと、ひどいんです。大声でたくさん話すと、「グェン!グェン!」と、
人間とは思えない、怪獣のような音の咳が喉の奥から出るので、
なるべく喋るまいとしていたのですが、
午前中のクラスとお昼の必修選択の授業があったので、
まるで喋らないというわけにはいきませんでした。
このとんでもない音を発する咳は、子供の頃からで、
本人の苦しさよりもまわりの人を心配させ恐怖に陥れる代物で、
「大丈夫?大丈夫?」と昔も今も声をかけられてしまうのですが、
そう言われて焦ると、もっとすごい音をたてて出続けます。まいってます。
一生懸命しゃべると咳が出て止まらなくなります。
写真は、昨日の高円寺校の鏡開きの様子です。
手前は作っている人たち、向こう側は食べている人たち。
週末の大雪は、空の便に大きな影響を来たしました。
香港に出張していたL氏とH氏も、日曜日に帰る予定だったのですが、
飛行機が飛ばず、一日遅れの昨日帰ってきました。
でも、今はもう大丈夫のようですね。台湾とシンガポールから、
明日スタートの冬季短期遊学コースに参加する学生たちが、
無事やってきました。
そして今日もライブドア。
新社長は弥生の人だそうですが、代表取締役は、以前テレビで見て、
なんとなくいけすかないなぁと思っていた人でした。
なんだかよくわからないけど、なんだそれ。
と、タイトルをつけましたが。
やっぱり今日のトップニュースは、ホリエ氏逮捕ですね。
氏じゃなくて、今は容疑者か。
数日前にも、その前にも、彼のことを憎からず思っているということを書いたので、
一応このことに触れておかなければと思いました
(今日会った他の学校の人に、「ホリエモン残念でしたね」と言われたので。
見てくださっている人がいるということを実感)。
悪いことは悪いから、悪いとわかったから逮捕はいいのですが、
手のひらを返したように批判にまわっている人たち、うるさいぞ!
さて、今日のお話。
ILCで新たに始まるコースの打合せをしてから、
午後、代々木のオリンピック記念青少年センターへ。
日振協主催の、表題の研究協議会でした。
日本語学校を統括する三省(文部科学省、法務省、外務省)と日振協から、
現状と今後についての話を聞きました。
ほとんど、今まで聞いた話・・・という気がしないでもありませんでしたが、
定期的にこういう場でこういう話を聞いて、
各校(今日は東日本地区の全日本語学校が対象)が一斉に襟を正すという意味で、
いい機会なのかもしれません。
私自身は、ちょうど明日、
日本語教員養成研究所の「日本語教育概論」という授業があり、
そこで日本語学校事情を話すことになっているので、
そうだ、このことも話の中に入れようなどと思いながら、
まめにメモをとりました。
それから、今日は高円寺校の鏡開きでした。明日写真を載せます。
一面の銀世界に朝日があたってキラキラ輝いています。
ふと思い出して「ねばプーのぶらぶらぶらじる滞在記」を見てみたら、
ねばプーのNさん、すでに帰国。
年末に、そろそろ帰りますという連絡をいただいていたのでした。
Nさんは日本語教員養成研究所2000年4月生。
インターカルトの非常勤教師になった後、
2年前に青年海外協力隊の日本語教師としてブラジルに派遣されました。
お帰りなさ~い!ブラジルでのお話、ぜひぜひ聞かせてください。
雪のない国から来た学生たちは大喜びですね。電話一本ありました。
日本語教員養成研究所は、「教育実習コース」初日です。
学校に電話をしたら、ちゃんと始まっていました。
下の写真左のKさんとY先生が出勤。お疲れさま~!
お餅の食べ方。
台湾人スタッフBさんは、日本の固くて四角いお餅を初めて
見た時ビックリしたそうです。台湾ではお餅はつきたての
柔らかい状態で食べるそうです。
韓国は鍋に入れて食べることが多い。
養成研究所スタッフ、日本人のTさんは、大根おろしで
食べるのが大好きだそうです。
今日は、信濃町校の鏡開きでした。
高円寺校は、さらに遅ればせながらの、来週の月曜日です。
夕飯を一緒に食べた一昨年の高円寺校の卒業生に、
今日のお汁粉の話をしたら、
「私の時は水が少し多くて味が薄かったけど、楽しかった」
と言っていました。確かにそうでした。
私たちにとっては恒例行事となった鏡開き。
ああ、また今年もお餅とあんこを買ってきて・・・ですが、
学生にとってはたった一度の(在籍期間によっては二度の)
大事な大事な日本での思い出なんですよね。
写真は、(右から)一番上のクラスのオランダE君、I先生、T校長、養成スタッフKさん。
その他みんな総出で、学生ご一同様におもてなしをしたようです。
「ねえ、いいと思わない?いいと思わない?」
と、日本語学校校長のTさんはよく言います。
それに対して「いいね、いいね」と最も積極的かつ肯定的に反応するのは
私らしいです(Tさんによると)。
日振協主催の主任教員研修で、自分の学校のパンフレットを持ち寄って、
その内容について質問し合うプログラムがあるというのを聞いた時も、
「いいね、いいね」でした。
管理職でもある主任教員が、
自分の学校のことをきちんと知っていてきちんと説明できるか、
また自分の学校のパンフレットは本当に学校の特徴を言い表しているのかどうか、
などなど、そういう活動を通して“気づく”のは「いいね、いいね」と思ったのでした。
今年初の「いいと思わない?」を聞いたのは今月の初め、
冬休み中に見たというお笑い番組の話でした。
たとえば、「逆です」というようなフレーズが提示され、
それを知らされていない人に、あの手この手を使って「逆です」と言わせる、
それをお笑いの面々が競う。
「インターカルトの考え方そのものだと思わない?」
★新規事項の過程では、意図的・計画的に、かつ自然に指導項目でしか表現できないような「伝えたいこと」を想起させるように[働きかけ]をしていく。[働きかけ]に対して「応答」をしたいが言語表現が未習であることを認識させるように「追い込み」、指導項目を導入する。
「Fundamental Japanese for Expressing Ideas<教師用手引き>」より
「養成の授業でやってみたらいいと思わない?」と、
Tさんがキラキラ瞳を輝かせて言うのを聞きながら、私は「いいね、いいね、
“徹底的に文法語彙B”でも使えそうだね」と考えていました。
“徹底的に文法語彙B”は、私がこの1月から日本語学校で持ち始めた授業のタイトルです。
そして今日。
「考える文法」「考える語彙・表現」(と私が名づけた項目)の後にやってみました。
けれど対象はなんといってもBレベルだから、名詞編でと始めたところ、
なんとまあ、学生たちはその名詞をちゃんと想起させるようなヒントを
日本語でバンバン出してきたのでした。
だったらやってみようか。予定を変えて「どうしてですか」。
まずは練習で私に言わせてみてと言ったら、
いきなり「私は先生が大嫌いです」ときました。「え?どうして?」と私。
つまり一発でノックダウン。
じゃあ、「逆です」。今度は本当にそれを知らされていない学生3人を前に並べ、
他の皆が「逆です」と言わせるべく、次々と声をかけました。
「○○さんは、仏教徒ですね」(○○さんはクリスチャン)。「いいえ、違います」。
あれ?
「△△さんは、男ですね」。「いいえ、女です」。
だめ。
「夏は暖房、冬は冷房ですよね」。「そんなことはあり得ません」。
ああ、そうじゃない。
「○○さんは学校に来る時、新宿の方から来ますね」
(○○さんの家は国分寺。学校は高円寺)。「いいえ、反対です」。
「ああ、惜しい!反対じゃなくて・・・」と皆。
「え? ああ、逆です」。パチパチパチ!
(ちなみに、テレビ番組ではタバコを逆さまに持って火をつけようとして
「逆です」と言わせたそうです)。
授業の最後に15分ほどやってみました。
学生に、「いいね、いいね」と言われるような授業ができたら、
それは本当に「いいね、いいね」です。
あ!これだ!と思ったら、とりあえず「ねえ、いいと思わない?」と
まわりの人に喋ってみたらいいですね。そして喋っている人がいたら、
ちょっと耳を傾けて聞いてみたらいいと思います。
衛星放送で、ホリエ氏のニュースを見ました。
今まで、世間がなんと批判しようと、あれはあれでいいんじゃないか、
すごいんじゃないかと思って密かに支持していたので、
報道されていることが事実であるならとても残念です。
偉そうなことを言うわけではありませんが、
社会的な責任を伴う事業をする者は、いかに果敢な挑戦、派手な発展をしようとも、
守るべき線は守る、常軌を逸してはならないと思うのです。
品よく。これは私の信条・・・。
別に心頭を滅却していたわけではないのですが、 韓国の零下は暖かし、でした。
マイナス10℃、15℃と聞いていた気温が日本同様に高かったからだけなのですが。
腰用、足の裏用、握ってホカホカ暖かいの、と
準備したホッカイロはすべて持ち帰りました。
氷雨。夕方からは土砂降り。
そんな中、日本語教員養成研究所主催の研究発表会がありました。
ここのところイベントづいていて、
「お天気=客の入り」という思考回路がすっかり定着してしまいました。
今日は25年前から2年前まで、
合計6名の日本語教育界で活躍する養成修了生たちが基調講演、
シンポジウム、研究発表をしてくださいました。
悪天候にもかかわらず代々木オリセンに集合した50名を超える聴衆は、
A社、B社といった出版、書籍販売関係会社の方々を始めとする
外部の方もいらっしゃいましたが、多くは養成修了生、現役の学生、
そしてかつての養成や日本語学校の先生方。
「インターカルト、ちゃんとやってるわね」
恩師、先輩にそう言葉をかけられるたびに、褌をしめなおします
(あんまり例がよくないですね。褌はふんどしです)。
いつか私が引退した後に、私もそう声をかけられるように、
残った人たちはかけてもらえるように、
ちゃんとちゃんともっとちゃんとインターカルトですね。
発表をどうもありがとうございました。
聞きながらしたメモ。
「学生のストレスをなくすために管理は必要
(管理とは「よい状態を維持する」という本来の意味)」、
「論理的な思考を楽しく学ぶ」、
「パーツをどう有機的につなげるか」、
「言語政策がないため支援や制度が手薄な日本」、
「子供のLifeを支える言葉の教育」、
「不就学の子供たち」、「両性表現」。
来年、壇上に立つのは「あなた!」だそうですよ。どうぞよろしく。
私ができる外国語。
旅行会話の域を出ない英語。聞くのと話すのだけの絶対に人前でスピーチはできないタメ語のインドネシア語。ハングルが読めるようになったのは19年前だけれど、その後単語の聞き取り程度しかできるようになっていない韓国語。「新入生の皆さん、入学おめでとうございます」という入学式での挨拶の台詞だけ暗記している中国語。大学の第二外国語でAをとったけれどほとんど忘れたドイツ語。
今年も始まりました。「外国人のための日本語教師養成コース」。
日本語を習得して、教えられるまでに上達しているみんなはすごいなと思います。まだ始まったばかりですが、かなりのやる気ウーマン&マンが集まっているようです。私は週に2回「実習」を担当します。
国際交流基金によると、海外の日本語学習者数は15年間で3倍以上に増えたそうです。日本人ができることには限りがあるので、これからは、きちんと日本語が教えられるその国の人をもっと増やすことが必要になってくると思います。ただ日本に留学していたという人を先生に仕立て上げるのではなく、きちんと教授法を学んだその国の人を日本語の先生に・・・。海外での日本語教育の発展に少しでも寄与できれば、なんて大それたことは考えていませんが。
2005年12月20日(マニラ到着2日目)
お昼過ぎ、一人でショッピングモールへ入ろうとした時、
フィリピン人の女性A(40代)に声をかけられました。一言目はタガログ語だったので、よく分からず聞き返したら英語で、
A「その靴いいですね。どこで買ったんですか?」
私「香港で」
A「あなたフィリピン人じゃないんですか?フィリピン人だと思いました。」
私「時々、言われます」
A「一人で旅行しているんですか?」
私「はい。友達がいるけど昼間は仕事があるから・・・」
A「今から親戚と待ち合わせてクリスマスの買出しに行くけど、一緒に来ませんか?」
私「どこで?」
A「ここのショッピングモールでだから、心配しないで」
私「OK」
ショッピングモールに入って、少し歩いていると、Aの親戚を名乗るB(40代女性)とBの息子(20代)と合流しました(お店の中ではなく、通路のようなところで)。
そして、特にどこのお店を見るでもなく、話をしながらショッピングモールを端から端まで歩いた後、外に出てしまったので
私「買い物は?」
A「ここはちょっと高いから他のショッピングセンターに行く」
一瞬怪しい!と思ったので、
私「じゃあ、私はここのショッピングセンターをもう少し見るのでここで・・・」
A「近いから大丈夫」
結局、ついて行ってしまいました。
しばらく道を歩いていると、ジプニーというジープを改造した乗り合いバスのようなものを止めようとしているので
私「遠いなら、行かない」
B「歩いても行けるけど、遠いよ」
私「でも歩く」(遠くに行くのは危険だと思ったので)
1回目はなんとかジプニーに乗らずにすんだのですが、しばらく歩いているとAが足が痛いと言い出し、結局ジプニーに乗せられてしまいました。その車中で、チョコレートを手渡され、食べようかどうか迷いましたが、AもBも食べていたので大丈夫かなと思い、食べてしまいました。
この時、調子よく「おいしい!」と言ってしまった自分が、今となっては情けないです・・・。しかもタガログ語をおしえてもらい。
5分ぐらいでジプニーを降りて、今度は市場のようなところをウロウロ歩き、探しているものがないといい、市場の前にある大きい通りを渡って反対側に行きたいと言い出しました。
B「この大きい通りを渡るためにはトライシクル(バイクの横に3人ぐらい乗れる車が付いているもの)に乗らなくちゃいけないのよ」と言い、トライシクルに乗せられました。すると、細い路地に入っていったので、
私「どこに行くの?」
B「息子が知り合いの家で新聞をもらいたいから、ちょっとだけ寄る」
トライシクルが止まったのは、言葉は良くないですが、どちらかと言うと貧しい人たちが住んでいそうな家が集まっている所でした。
A「さあ、入って」
私「ちょっとだったら、外で待ってる」
B「大丈夫だから」
結局断りきれず、家に入りました。家の中にはカタコトの日本語を話す女性C他、数人いて「フィリピンの生活は大変ね~」等といっていたのは覚えていますが、その後の記憶は全くありません。食べ物なども勧められましたが、危ないと思い断ったと思います。
おそらく2-3時間寝ていたと思いますが、突然A・B・Cに起こされ
A(BC?)「はやく外に出て!」
私「どうして?」
A(BC?)「お父さんが帰ってきちゃう。お父さんはとても厳しくて、他の人を家に入れると怒るから、はやく出て!」
と言われ、慌てて外に出ました。
外にはタクシーがいて、
A(B?)「これに乗って」
私「あなたたちは一緒に行かないの?」
A(B?)「私たちはここでまだ用事があるから」
と言われ、Aがタクシーの運転手にホテルのあるエリアの名前を告げ、タクシーは出発しました。タクシーの中でも熟睡していて、ホテルのあるエリアに着いて運転手に起こされました。意識はまだ朦朧としていましたが、なんとかそこからホテルまでたどり着きました。
途中通りすがりの人に
「大丈夫?」とか
「起きてる?」とか
なんとなく言われたような気もしますが、よくわかりません。
ホテルのロビーで預けていた荷物を引き取り、少し意識がはっきりしてきて、「あれ?何か変?」と思って慌ててバッグの中の財布を見たら、フィリピンペソとカードはありましたが、香港ドルが抜き取られていました。
そこで、ようやく「睡眠薬強盗にやられた!」と気がつき、お腹に巻いていた貴重品ベルトを確認しました。パスポートは無事でしたが、封筒の中に入れていた日本円は見事に全部取られていました。ご丁寧に封筒は残してありました・・・。
その後は、日本人の友人に連絡して、彼女の知り合いの方の家にお世話になりました。
ガイドブックにも「睡眠薬強盗をする人は、乗り物を乗り継いで、どこへ行ったかわからないようにする」と書いてありました。行く前にも読んでいたのに、まんまと引っかかってしまいました・・・。
思い出すたびに、反省するのと同時に、本当に生きていて良かったと思います。
* * * * *
今日はこのコラム史上初めて、ゲストの方が文章を書いてくださいました。
本日のゲストは睡眠薬強盗に遭ったMs.N先生。皆さまもどうぞお気をつけください。
何であれ、生きて帰ってきてくれてよかった、本当に・・・。
* * * * *
先月も書いた「老酒会」のことです。
インターカルトの養成修了後中国に渡り、
広い大陸のあっちこっちで日本語教師として活躍しているシルバー連が、
「老酒会」という連絡網を作ってメールで交流を始めたのは先月のことでした。
会結成のきっかけは、一番最近中国に行った方が、日本人同士での
相談・愚痴のこぼしあいをしたいと私にメールを送ってきたことでした。
それですぐに、養成事務局のTさんが、
すでに居所・連絡先のわかっている人たちに呼びかけのメールを一斉配信。
趣旨に賛同する人たちが次々と集まり、
今では、日々のことから授業での疑問の投げかけ、
その他あらゆる情報交換を日々していらっしゃるようです。
間もなく旧正月。日本に一時帰国する人たちが一堂に会すことになりました。
養成で勉強していた期がそれぞれ違うので、
ほとんどの人たちが初対面なのではないかと思います。
ちょっと、感動的ですね。
それで今日、どうして「どんどん広がる」と書いたかというと・・・。
某社のNさんという人が日本語教育関連機関にメール配信してくださる
ニュースがあるのですが、今日送られてきたニュースを読んでいたら、
なんと!老酒会結成の言いだしっぺFさんによる
「中国日本語教師通信」というタイトルのコラムが新連載!
たまたまニュースの購読希望者としてNさんにFさんを紹介しただけなのに、
いつの間にか、コ・ラ・ム!!
実はNさんも、インターカルトとは過去に深い関係にあった人で、
このネットワーク、もう誰にも止められないという勢いです。
話は変わりますが、
香港の日本語学校での勤務を終えたMs.N先生が帰国しました。
帰国前に旅行したF国での、とんでもなく怖い衝撃的体験。
今日聞いたのですが、これは後日書くことにします。
会議、会議、会議、会議。
・・・なんて無能の象徴みたいですけど、
それぞれメンバーが違ったので、ま、いいですね。
養成と、ILCと、日本語学校と。
最初の会議の後、外の人との会議があって西新宿まで行って、
戻ってまた会議と会議して、それで私の1月10日は終わりました。
この1月から、ちょっと本格的に授業を持ちます。
18年前、日本語教師になるために養成に入ったのに・・・と、
今の本業に行き詰まるたびにそこに逃げ込んでいたので
とっても嬉しいのですが、やっぱり大変ですね、準備。
受け持つクラスは二つ。
一つは「外国人のための日本語教師養成コース」の実習、
これは去年の1月と4月の期にもしました。
もう一つが、今年から新たな試みとして始まる
新システムの「学習者主体の授業」です。
新システムの説明は、いずれまた。
何であれ、年末からずっと授業の内容と構成といろいろ考えているのですが、
この木曜日に初日を控えた現時点でまだ現在進行形です。
もちろん、本業、ちゃんとやります。本業だけでも充分忙しいのに。
けれど、これもまた私の本業の本業。
両方やることで、相乗効果できっと良好な結果・・・か、
やっぱりかなり疲労困憊かなぁ?でも、やります。
「日本の安全保障のために日本語教育は必要だ」
2000年10月に現在の立場になってすぐ、インターカルトの、
ひいては「日本語学校の存在意義」について書かなければならない機会があり、
そのためのブレーンストーミングのようなことをしている時に、
学校外部の人の口から出たのがこの言葉です。
え?安全保障? 正直なところまったくの想定外の発言に、
何と受け答えしたらいいものかとドギマギしたのを覚えています。
それを思い出させたのは、今日、インターネットで見た記事でした。
全米大学学長会議に出席したブッシュ大統領が、
「アラブ世界の誤った米国観を正すために、
より力を入れる必要があるとの考えを表明した。
さらに、「重要外国語」の教育を強化することを盛り込んだ
「国家安全保障語学構想」を提案した」とありました。
重要外国語とは、中国語やアラビア語、ロシア語、ヒンディー語、ペルシャ語など。
そして、 「こうした国外からの留学生受け入れは国益に合致するものであり、
今後さらに奨励していく」ともあります(asahi.comより。nikkei net、中央日報にも)。
5年ちょっとたつ間に「自国語教育⇒安全保障」の意味も、
「留学生受け入れ⇒国益」という構図も理解できてきましたが、
この世界、深くてまだまだ修行中です。
純粋に語学教育としての日本語だけを考えたくも・・・あるんですが。
去年の春から企画、準備をしていた全養協フォーラムが終わりました。
(実行委員長だったんですよ。)
今回のテーマは「サブカルチャーと日本語教育の接点を探る」。
プレゼンテーターとして、
オタク代表の岡田斗司夫さん(大阪芸術大学客員教授、㈱オタキング代表)と、
韓国でアニメーション制作に携わる申東淳さん、
彼女は日本のアニメがきっかけで日本に興味を持って来日し
日本語学校に通っていました。
そして、元日本経済新聞社会部記者で
今は国際教養大学の教授をしていらっしゃる勝又美智雄さんをお招きしました。
準備段階の終わりのほうで知ったのですが、今年5月に行われる
日本語教育学会春季大会のテーマもサブカルチャーということで、
日本語教育の未来に向けて先陣を切るような結果にもなりました。
文化庁や国研、大学の日本語教育関係の方たちからも、
このフォーラムの意義を称えるお言葉を頂戴し、
民間の(という言い方は好きではないけれど)日本語教師養成機関としては、
よかったよかったです。
勝又さんは、2002年に日経新聞の取材をしてくださったのが縁で
このお話を持ちかけたところ、快く全体の企画にも関わってくださいました。
申さんは、このフォーラムのためにわざわざ韓国から来てくださいました。
そして岡田さんは、本当に面白かったですね、お話が。正直な話、
私の今までの興味対象の分野からは大きくかけはなれていた方なのですが、
事前の打ち合わせの時からとてもいいカンジで、
彼にとっては未知だった日本語教育の人たちに向かって何をどう話そうかと
真剣に考えていてくださっていました。
皆さん、ありがとうございました。
終了後の懇親会での話や他のメンバーの耳に入った感想を
さぁっと聞いた感触でも、結果は概ねかなり良好だったようです。
これまたよかったよかった。
ただし、もっと日本語教育を語りなさい!とか、おそらく、もっと真面目に!
という気持ちから発したと思われるご意見があったようであることも事実です。
ので、ここに記します(今まさに日本語を学んでいる多くの学生たちの興味が
サブカルチャーにあるってところからスタートしたフォーラムだし、
え?サブカルチャーは不真面目?・・・なんですが。
はっきり言うと、こういう輩の存在が日本語教育発展の道を阻んでいるとも
思うのです。もちろん基本的な言語教育の部分を軽んじているのではありませんよ!)。
当日の運営や、始まってからの話の展開についても色々ご意見のある方も
いらしたようですが、でも、こういうものは、こういうものだと思うのです。
去年はインターカルト日本語教員養成研究所の公開講座の企画などにも関わり、
当日まで何が起こるかわからない恐さ、蓋を開けてみなければわからない不安も味わいましたが、両方ともなんであれ成功裏(ですよね?)に終了、
もう当分こういう係はご遠慮いたしますと言いつつも、
とてもやりがいのあるいい経験をしたと思っています。
何であれ、今、日本語教育においてサブカルチャーは無視できない存在です。
これをどう日々の実践に取り込むか、
それは各自、各学校がこれから考えていくことだと思います。
でもでも、このフォーラムのためにした学生たちへのアンケートを作るにあたってした
予備調査のインタビューに答えてくれた学生、
信濃町校の自称オタク、デンマーク出身のH君によると、
授業で自分の好きな分野を扱ってほしいなんて
「ぜ~んぜん」思っていないのだそうです。「だって、みんな違うでしょ?」。
そうですよね、オタクほど“自分の”世界を持っているのですよね。
もちろん私たちは
オタク相手にオタクに満足してもらうための授業をするのではないので、
汎用性のある授業をいかにだと思うのですが、
ただ教材にアニメを使うとか話題の映画を見てどうこうするとか、
そういう上っ面なことで、サブカルチャーを日本語教育に取り入れた
なんて思ってはいけないと思うのです。
ほー、ずいぶんと力(りき)を入れて書いてしまいました。
ではではインターカルト。ここは学校のHP内なので書きますが、
このフォーラムの準備をよくやってくれました、
インターカルト養成スタッフの面々。お疲れ様でした。
・・・と、1月7日、フォーラムに終始してしまいましたが、
我らがインターカルト日本語学校は1月生の入学式でした。
瞳をひらきらと輝かせた新入生たちが希望に胸ふくらませてやってきました。
受入れスタッフ、そしてクラス分けをしている教務の面々は、
この連休中も出勤のようです。皆、お疲れ様。
というわけです。長々と。
インターカルトの2006年が始まりました。
朝9時に両校の教職員全員が信濃町校に集合し、初顔合わせをしました。
私からは恒例の「今年の目標」の発表、
皆からも一言ずつ、各自の目標を話してもらいました。
学校の価値とは何か、インターカルトは何に価値を求めるのか、
その価値をいかに高めるか。
それを外からの評価を受けられる形で示したいと思います。
そのためには、組織も個人も持たなければならない“力”が
いくつかあると思います。
守るべきところは守る、しかし、変えるべきところは躊躇せず変える。
変える、変わる勇気を持ちたいと思います。
今年も、皆の目標は各人各様でした。
真面目な顔して笑わせてくれる人も何人か。
なんであれ、明るく前向きにいきましょうね、皆さま!
「書かせる」「読ませる」「話させる」「させる」、そして「来させる」・・・。
日本語を教える人たちが書いているものを、
暇にまかせていくつかつらつらと読んでいたのですが、
学生に対することが書かれた文の中に動詞の使役形が
多用されているのに気づきました。
最近そういうことにこだわってきたせいか、とても高圧的な感じがして、
読んでいていい気持ちがしませんでした。
学生が自主的に「書く」「読む」「話す」「する」ようなクラスが
できたらいいな、したいな、しなくちゃな、と思います。
そして、もちろん嬉しくて楽しくて、わくわくしながら「来る」学校に。
明日は仕事始めです。
恒例の「今年の目標」をまとめなければなりません。これから。
学ぶ人も働く人も、みんな元気に辞書形でいきましょう。
①ワヤン、②マデまたはカデ、③ニョマンまたはコマン、④クトゥ。
インドネシアはバリ島の人々の名前です。
①から順に第一子、第二子・・・。これ、きまりです、男女とも。
カースト制度の中のごく一部の、称号を持つ階級以外の人たちが全部ですから、
この名前の人々がたくさんいるということになります。
ちなみに第五子、⑤番めの子供の名前はまた最初のワヤンに戻るそうです。
日本だったら、 太郎、次郎、もしくは一郎、二郎、三郎なのでしょうか。
けれど最近は漢字が読めないようなハイカラな名前の子どもが
ほんとに多いので、ほとんどお見かけしませんね。
唯一、太郎さんだけは同世代の人にも、その子供たちにも何人かいます。
男らしいかっこいい名前なんでしょうね、きっと。
女の子はどうなのでしょう。 最初の子だったら一子とか初子とか?
学生時代の友達に、末乃(すえの)さんという名前のお母さんを持つ人がいます。
素敵な名前だと思ったのですが、なんでも兄姉がたくさんいて、
もうこれが最後と、末乃という名前をつけられたと聞きました。
最後と言われてもご本人は困ったでしょうが、
実際、末乃お母さんの下に末子さんという妹さんがいるというのを当時聞いて、
申し訳ないけれど笑ってしまいました。
今年、その友達からきた年賀状に
「母も八十二才になり介護の日々です」とありました。
私たちもそういう年齢なのだなぁと改めて思いました。
考えてみれば、もう四半世紀以上もお目にかかっていない末乃お母さんです。
学校の掃除と新入生の出迎え。これが私の初夢でした。
よくは覚えていないのですが、目覚めた時に頭に残っていたのは
信濃町校の自分の机の上の電話機をふいている私と、
どこかの駅に学校のみんなと集まって出迎えの方法を話し合っている私・・・。
初拾いは、新宿駅で前を歩いていた人が落とした切符。
初親切!と拾って、落とし主に声をかけるべく駆け寄りながら、
ちらっと見たら…キセルの切符。
拾った場所はJRの改札を入ったところだったのですが、
その人が落とした、いや、捨てたのは、降りたばかりの京王線の、
新宿駅からとても遠い駅からl20円分の切符でした。
これは渡さないことが親切とすばやく判断し、
二つに折ってバックの中に、あ、今も入っています。
これらが新しい年の何かを象微しているのかどうかは、
一年が終わる時にならないとわかりませんが、
初夢といい初拾いといい、今ひとつパッとしなかったことは確か…ですねえ。
あけましておめでとうございます。
ビデオを見ていたら多摩川べりで打ち上げられた花火がドカンドカンと鳴って、
それで年が明けたことを知りました。
こんな、厳粛さに欠けた年明けは初めてです。
いつもは、テレビの前に座って画面の時刻表示が0:00になる瞬間を
じっと待って、そして厳かに新年を迎えていたのですが。
いや、去年のお正月は香港の空港ででした。
イミグレーションに並んでいたら、
前を通った空港職員の若いお姉さんが「A Happy New Year!」と
業務用トランシーバーに向かって言うのを聞いて知ったのでした。
年が変わるということが、
だんだん普通のことになってきたということだと思います。
ただ日付けが変わっただけのこと、力まなくていいんですよね、
ごくごく自然体で。
私は私らしく、私なりに。何があっても、凛と。
インターカルトもインターカルトらしく、インターカルトなりに。
でも、インターカルトならではの何かは・・・必ず。
このコラム、ちょっとブログ風にしてみました。
少し前から、インターカルトのHPの枠を飛び出して、
双方向のやりとりができるブログにしたい、と思っていました。
香港の学校での勤務を終えて年末に帰国した、HP担当、
いやこれからはインターカルトの広報担当となるH氏も、
HPの全面リニューアルと同時にコラムはブログに、と同じように考えていて、
さらに、Sさんという外の人もそう考えているということが、
すべて年末近くにわかりました。
ですから、近く本当のブログに転向することになると思います。
そしてインターカルトのHPも変わります。
力む必要はないけれど、停滞はしないで、常に変化、
前進していきたいと思います。新しく始まる2006年も、これからも。
・・・ということで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。