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2004年12月01日

2004年12月

12月29日(水)
 朝起きたら外は雪で見る見るうちに一面銀世界になりましたが、それが夕方近くに雨に変わり景色はまた何事もなかったかのように元に戻りました。今年は、いや今年もいろいろありました。最後が津波。インドネシア・スマトラ沖地震の被害を受けた国々の海岸は一瞬にしてその景色を変え、そのまま元に戻ることのない惨状だけを残して去って行きました。タイ在住のおおはら君によると、プーケット島のきれいな海を取り戻すためには最低でも17年はかかるとニュースで言っていたそうです。学生は?その家族たちは?旅行に行っているかもしれない学校関係者たちは?そして私が知らない何万とも言われる被害に遭った世界中の方々。年の瀬に心が千千に乱れます。
 おそらくこれが今年最後の更新になると思います。新しい年、若干のリニューアルをして再登場いたします。私も2004年の煩悩を振り払って新しい年を新しい気持ちで迎えるべく日本を離れてリニューアルしてきます。一年間どうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。


12月24日(金)
 年末に薬屋さんに行くと置いてある製薬会社の細長いカレンダーを、十年くらい前から毎年もらって祖母に送っていました。それがある年から「景気が悪くなったから会社が作るのをやめた」という理由で手に入らなくなり、それからは似たような大きさのを買って送っていました。祖母はそれをトイレの壁にかけ、トイレに入った人が誰でも見られるそのカレンダーに排便の記録をしていました。○がある日、ない日、時に○○と○が二つ並んでいる日・・・。ボケていたわけではなく、かなりプライドの高い部類に属する祖母がなぜそこにあるそれにそれを記していたのかは謎です。実の娘の母は「年をとると恥じらいがなくなるんだろうか、私もしてしまうんだろうか、したくない」とよく言っていましたが、孫の私はそれを「排便カレンダー」と呼んで毎年その調達をしていました。その祖母が今年の初めに亡くなったので、今年は調達の必要がなくなりました。毎年毎年「来年も」と思って送っていたんですけれど。インターカルトは今年も猫のカレンダーを作りました。これを人は景気づけと呼ぶのか・・・。 メリークリスマス!少々早めですが、今日が仕事納めです。そうそう、健康診断の成績表がきました。脂肪肝ではありませんでした。



12月23日(木)
 時々こむら返りを起こします。辞書によると「こむら」の漢字は「腓」で、ふくらはぎ辺りを指すようです。私のこむら返りは足首より下で、痛みと共に親指がそっくり返ったような状態になるのですが、これはこむら返りではないのでしょうか。授業中になった時には、教卓の陰で足首を回して治します。最悪だったのは数年前の入学式の時で、四ツ谷区民ホールという会場の壇上で全身ライトアップされた中では足首を回すことができず本当に辛かったです。「心の痛むことの多い年でした」と、今日71歳のお誕生日を迎えられた方がおっしゃっていました。並べて書くのはナンですが、私は「心と体の痛むことの多い年でした」。今日は休日にしては少し早起きをして家の近くのマッサージ院に行き、パンパンに張った鉄板を肩と背中から取り除いてもらいました。因みにこむら返りの治療科は、内科、内分泌代謝科、もしくは「老人科」だそうです。



12月22日(水)
 今年最後の教師会でした。一年間どうもありがとうございました。来年、本当にいい年にしなければいけないと思っています。2005年の今頃、空を見上げて「ああ、今年も無事に終わったな」と思っていることを祈願して一本締め。シャン。
 
12月21日(火)
 今期限りでインターカルトの非常勤教師を辞めることになった藤田さんが挨拶に来てくださいました。彼女も昨日書いた四人の同期生です。ご実家の稼業を継ぐことにしたそうです。建設業だということなので、まるで違う畑の選択ですね。年を聞いたら私よりも20近く下、お父様もやはり私の亡父より20下で、20年違うと娘にそういう稼業も継がせるのだなと思いました。私の実家は機械関係の仕事だったのですが、三人姉妹の一番上の私は幼い時から私の結婚相手に稼業を継がせたいという父親の希望を全身に感じながら育ちました。日本語教師になるために前の仕事を辞めた時に父が亡くなり、経理だけ母が引き継ぎあとは勤めている皆さんにお願いして16年後の去年、母も退き全てを人に譲渡しました。跡継ぎと結婚しなかった長女の責任で週末に実家に帰ってはその手続きを母と一緒にしたのですが、事業というのは続けることよりもやめることの方がさらにずっと大変なんだということをあの時に実感しました。つまり私たちはやめられなかったのです、お金の流れからも社会的責任からも。つい最近の新聞にヤクルトの古田選手が、「将来を選べるなら監督ではなくジェネラルマネージャーになりたい」と言っていたとありました。藤田さんにもジェネラルマネージャーを目指してほしいなと思いました。


12月20日(月)
 先月、都築さんと根橋さんという二人の男性から共に久しぶりのメールが届き、今月になったら渡邊さんと佐藤さんいう女性陣から立て続けに連絡をもらいました。この四人はインターカルトの教師養成コースの同期生たちで、都築さんは今韓国の済州島で、根橋さんはブラジルで日本語教師をしています。渡邊さんからきたカードの住所はドイツのOberhausenというところでした。アフガン、アンゴラ、カザフスタン、ウズベキスタン、アルメニアなどから来たケガや病気の子供が収容されている施設に派遣され子供たちの面倒をみています。佐藤さんはソウルでの教師の仕事を終えて帰国、今一休み中でご実家のある福島で運転免許を取っているそうです。私は1990年から2000年までの間、日本語教師養成の授業を担当し、特にその後半は主体的に授業に関わっていました。2000年までというのは2000年の9月までという意味で、10月に今の立場になったので担当を退きました。正直なところ突然立場が変わるとは思っていなかったので、私にとっては最後となった上の四人を含む期には大張り切りで初級と中上級の実習を目いっぱい持っていました。そんなわけで彼らは最も思い出深い人たちなのです。今も各期1つだけ授業がありますが、いくら人の顔を覚えるのが得意な私でも全員の顔と名前の一致は難しく申し訳なくも残念にも思っています。


12月17日(金)
 「47歳の女」が話題になっています。ドン○○ー○という量販店であった連続放火事件で、その「47歳の女」がかなり怪しいらしいのです。これが「47歳の男」や「50歳の女」だったらこういった呼ばれ方はせず、47歳の女っていうところにそう呼びたくなる何かがあるのだと、今日会った「47歳の女」(放火があった時には日本にいなかったジャカルタ帰りの別の女)が力説していました。今はなくなりましたが、昔はよく新聞などに「被害者は60歳の老婆」などと書かれ、己が老婆とは夢にも思っていない60歳以上の元若い女たちが激怒していました。何か新しいことをしたいと思えるうちはまだ老いていないってことじゃないかと、ドン○○ー○とは無関係の47歳の女と話しました。


12月16日(木)
  丸の内線の「新宿御苑」と「赤坂見附」を時々混同します。今日も新宿御苑に行きたかったのですが、四ツ谷から反対方向の赤坂見附に行き、ホームに降りて違うことに気づいたのはいいのですが、その同じ電車に飛び乗ったためにさらに一駅離れた国会議事堂前まで行ってしまいました。結局そこから赤坂見附と四ツ谷を通って新宿御苑まで戻ったのですが、空の上から神様が見ていたとしたら、きっと何やってるんだろうと笑っていたでしょうね。新宿御苑にある訪問先との約束は2時半で、間違えずに行ったら30分ほど早く着いてしまいお茶でも飲んで時間を潰さなければならないところだったので、まぁ結果はオーライでした。


12月15日(水)
 忘年会の季節です。私が新卒で就職してからの数年間、この季節になると♪毎度毎度のお誘いに~イヤだイヤだとほほほいのほい!♪というCMがテレビから流れ、それを見るたびに家族は、これは私のことを歌った歌だと言い、私自身もまたそう思っていました。あれから20年の月日を経てさすがに私も変わり、忘年会は時々あるにはありますが、少なくともほほほいのほい!ではなくなりました。最近のテレビでは、よく手品を特集しています。その時に必ず「忘年会といえば手品」とか何とか言っていますが、手品をする忘年会というものに私は未だかつて出たことがありません。



12月14日(火)
 今年の夏、私にとっては一世一代、命を預けた病院の先生が今月で辞めることになり、今日が最後の診察でした。安心感を与えてくださる先生で勝手に私のホームドクターと思っていたので、残念でもあり心細くもあり。それから出勤して、今日は遅くまで会議をしました。


12月13日(月)
 今年4月からの東海道新幹線の遅れがこの10年で最悪、だそうです。最悪ってどれくらいだと思います? 1列車当たり0.7分ですって。0.7分って1分より少ないんですよね? よくJR新宿駅で「業務放送、業務放送、×××30秒の遅れ~」なんて言っているのが聞こえますが。細かいんですね。だから日本の電車は正確なんですね。正確じゃないとダイヤの調整が大変なんでしょうね。じゃあ、遅れるのが当たり前の国はどうしているんでしょうね。でもやっぱり「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」。


12月12日(日)
 先週、仙台で泊まったホテルの部屋の暖房調整に失敗し(on か off しかなく、つけたら暑く消したら寒く・・・)、その結果ひいた風邪のために咳とくしゃみと鼻水が止まりません。先月末のベトナム出張報告書と仙台で仰せつかった分科会記録を、やっとの思いで書き終えて今日が終わりました。


12月11日(土)
 いつまでが昨日で、いつからが今日か明日かわからないまま一日が終わりました。おっと、先週の日曜日も同じようなことを書いていますねえ。


12月10日(金)
 今日は健康診断、体重は前代未聞の新記録でした。100%覚悟していたことなのでショックは受けていませんが、これで脂肪肝なんていう結果だったら・・・。まぁその時はまた報告します。新宿にある「あいうえお」という飲み屋さんに年に何回か集まるメンバー五人のうちの一人が、来春マレーシアに赴任することになりました。「あいうえお会」と呼んでいるこの会、名字の初めに「あ」のつく彼がいなくなったら「いうえお会」になるのか、ならないのか。行ってらっしゃい!どうぞお元気でご活躍を。ちょっと羨ましいかなー。


12月9日(木)
 お昼を過ぎたあたりから急に冷え込んできました。仙台でひいた風邪がひどくなりそうだったので、学校では机の下の電気ストーブをつけ首にストールを巻いていました。世間も日本語学校もこうやって冬に向かっていくのでしょうか。「みんな冬の時代がまた来たと言ってますが、暖房が確保できればという希望を持ってやっていきましょ」というメールが、共に学生募集をする方から届きました。暖房よ、いずこに。



12月8日(水)
 前にも書いたような気がするのですが、日本に留学した学生、女の子はまずほとんど太るそうです。反対に男の子はやせる。今日、高円寺校で久しぶりに会ったタイのトゥーン君は19キロもやせたそうです。それを聞いた耳は「え?そんなにやせちゃったの?」と思わず心配したのですが、彼の体を見ていた目は動揺しませんでした。100キロが81キロになったんだそうです。日本語がだいぶ上手になっていた彼は去年の春のタイ短期遊学コースの学生で、今年10月に就学生として再来日しました。ありがたいインターカルトのリピーター。



12月7日(火)
 「松島や ああ松島や 松島や」 の松島に来ながら松島を見ず。ただひたすら討論をして東京に帰ってきました。学校へのお土産は牛タン煎餅。


12月6日(月)
 仙台へ行く東北新幹線に大宮から乗るために、家の近くの神社の中を通ってJRの駅まで歩きました。毎日の通勤とは違う道。神社の境内には昨日の大風ですっかり散ってしまったケヤキの葉が一面に敷きつめられていました。私が通っていた小学校の校庭にもケヤキの木があって、それを踏みしめて歩いたときの空気の香りが同じだったなあと懐かしい気持ちになりました。朝、家の窓からは富士山が見え、いいことがありそうな一日の始まりだったのですが、はてさてどうだったでしょうか?松島海岸の小高い丘の上にあるホテルで全国100ほどの日本語学校の方々と宿泊を共にしてのセミナー。



12月5日(日)
 昨日の晩、台湾での台風27号の被害のニュースを見て寝たのですが、今朝の東京は台風から変わった低気圧の影響で最大瞬間風速観測史上最大の40.2メートル―台風並みの暴風だったそうです。「~そうです」と書いたのは東京にいなかったからではなく、ちゃんと東京の自分の家にいたのですが、それに全く気づかずに眠りこけていたからです。まさに爆睡。昼間は昼間で25℃を超える夏日・・・これまた、だったそうです。明日明後日は本当に東京にいません。日振協主催の日本語学校トップセミナー参加のため仙台に行きます。


12月4日(土)
 昨日の晩、佐々木さんが香港から帰ってきました!一時帰国ではありません。赴任していた学校のHPを見てみたら「導師」というページに“佐々木老師”の紹介はすでにありませんでした。ちょっと寂しい気もしましたが、佐々木さんカムバックでインターカルトには再び明るくさわやかな風が吹くことでしょう。



12月3日(金)
 最近、半端ではないほど体重が増えました。3ヶ月前より7キロも多いのです。それを言ってもほとんどの人に信じてもらえないのは、ちょうど厚着の季節到来で体が服に覆われていて、そうとは気づかれないだけだと思います。20代で胃下垂の診断を受け、「治すには下腹に肉をつけるしかない」とお医者さんに言われたのですが、その時「じゃあ、私は一生胃下垂だ」と思ったのでした。どんなに食べても太らない体質だったので、それが一生続くものと信じて疑わなかった・・・。脂肪燃焼と心身の健康のためにヨガを始めるつもりです。今、胃は当然定位置でしょう。


12月2日(木)
 写真の葉っぱと赤い花は、ベトナムで食べた鍋に入れたものです。昔、たくさんの奥さんを持った王様が、「今日はどの妻の家に泊まろうか」と山羊を連れて歩き、その山羊が立ち止まった家をそれと決めたそうです。山羊の大好物はこの赤い花、それで王様の奥さんたちは皆、自分の家の前にこの花を植えて王様が来てくれるのを待っていた、と去年の海外実習でお世話になった大学の日本語の先生、フーンさんから聞きました。この鮮やかな赤い花は、鍋の中の熱いスープに入れた瞬間に色を黒に変えました。



12月1日(水)
 昨日の朝ベトナムから日本に帰って来て、それからずっと寝ていないような気分で過ごした一日でした。東京都議会自由民主党国際教育振興議員連盟というのができたというので、午後その設立総会に行ってみました。その後、いろいろな日本語学校の人たちと話をしました。日本語学校については本当にいろいろと考えさせれられる今日この頃、いや、いつもいつもです。本当に疲れました。背中と肩がパンパンに張って鉄板を背負ってるような感じです。