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2004年7月

7月31日(土)
 日本語教育学会の実践研究フォーラムのために、一日中、会場の昭和女子大で過ごしました。私の家から昭和女子大のある三軒茶屋へは、下高井戸で京王線を降りて東急世田谷線に乗り換えて行くのですが、この下高井戸は母が住んでいたかもしれなかった所だと、この間母が言っていました。何でも父との結婚前に下高井戸に住む人との縁談があったとかで、もしその結婚が成立していたら全然違う人生だったと思うと不思議、とか何とか。でも私にしてみれば、もしそうだったら父と母の間に生まれたからいる私は人生そのものがなかったわけで、理由はよくわかりませんが、その下高井戸の縁談が流れてくれてよかったと思うのです。


7月30日(金)
 7月の短期遊学コース第二陣の高校生たちの修了式でした。涙涙で学校を去って行った彼女たちは明日成田を発ちますが、明後日には8月のコースご一行様来日です。と休みなしの遊学コース、担当教職員の皆には夏バテをすることなく元気にやってほしいと切に望みます。私は、“インターカルト”の仕事は今日まで、明日明後日と“日本語教育学会の”仕事をしたら夏休みです。皆さん、どうもスミマセン。



7月29日(木)
 6年前、私が日振協の色々な仕事をするきっかけになった実践研究プロジェクトをご一緒したM先生とひさしぶりに会いました。山あり谷ありのこの業界、山も谷も一手に引き受けたような今日までのお話、身につまされました。再来月から中国を新天地とする由、ご健康とご活躍をお祈りしています。でもはりきり過ぎないように、期待し過ぎないように。残念ですけど何があるかわかりませんから、この業界。


7月28日(水)
 都内T専門学校の留学生担当スタッフの方たちの会議にお呼ばれして、田中室長と一緒に行ってきました。日本語学校がしてきたこと、していること、等など。日本にやってくる外国人学生にとっては一本の線でつながっている日本語学校と進学先の学校ですから、これからもいい形で連携してやっていきたいです。



7月27日(火)
  信濃町の路地の掲示板に「水谷修講演会」と書かれたポスターが貼ってありました。日本語教育界の大御所、水谷修先生がここで何の講演会?と思ったら、これは別の水谷修先生で、高校生の非行問題に取り組む「夜回り先生」と呼ばれる有名な先生だと、一緒に歩いていたH先生から聞きました。今日本に水谷修という名前の人がそう多くいるとは思えないのに、私が存じ上げている(今知ったも含め)お二人がお二人とも著名人だなんてすばらしい。
 今日は7月の短期遊学コースの修了式でした。光陰矢のごとし。お気づきでしょうか、上のタイトルが変わりました。


7月26日(月)
 コンビニではさみを買いました。「分解型ハサミ、分別ゴミに対応した分解タイプ」。それしかなかったのでそれを買ったのですが、どういうものかというと、プラスチック製のハンドル部分(握るところ)が折って外せるようになっていて、そこは不燃ゴミ、本体の金属部分は資源ゴミとして廃棄してください、というもの。でも、私がそれをするのはいつ? 本当にもうご丁寧に…。もちろんゴミ問題は大問題なんですが、だったら握るところも本体も全てステンレスで作ればいいんじゃないか。はさみも人の関係も世の中も、複雑すぎて時々頭がくらくらします。



7月25日(日)
 子供たちが夏休みに入って初めての日曜日に外をぶらつくなんていうことは今までになかったことなので新鮮ではありました。お台場のどこもかしこも親子連ればかり。それがそこかしこで行列を作っていました。お父さんたち、仕事を持っているお母さんたちも、疲れているでしょうに本当に大変。もちろん全てを素通りして早々に家に帰ってきました。どうでもいい報告ですが、義弟の教え子たちは今日、地区大会決勝戦で敗退しました。


7月24日(土)
 はてさて、この前はいつだったかと思って探したら去年の4月5日でした。明治座に梅沢富美男のショーを見に行きました。今回も前川清と共演。本当におかしくて、そして梅沢富美男の女形が色っぽくて美しいのです。お客さんは、5、60代の女の人ばかり。その人たちに混じって目立たない母を誘って行き、夜はお台場のホテルに泊まりました。東京に住んでいるのに東京の、こういう眺めのいいホテルに泊まるというのもたまにはいいものです。



7月23日(金)
 今日は33℃。40℃近い毎日を送っていたので33℃は涼しくさえ感じられました。人間って勝手ですね。母校がコールド負けした夫、勤務校が今年も順調に勝ち進んでしまっている妹の夫。全国高校野球選手権大会は悲喜こもごもならぬ悲悲こもごも。卒業生はただひたすら勝つことを願うようですが、この炎天下、業務で応援に行かなければならぬ身には非常に複雑な事態であるようです。何であれ、夏の風物詩ですね、高校野球。そして、もしかして男のロマン? 女子高出身で応援する母校のない私にはわかりません。今日の午後は、少々以上に年の離れた他校の男の人たちとの会議、一人でひどく現実的な発言を繰り返していたように思います。女はちまちましたことばっかり言うと思われたかもしれませんが、ロマンだけではご飯は食べられない、いえ、事が全然進まないと思うんですよねぇ。


7月22日(木)
 カイ日本語スクールの山本さんのページがずっと更新されていなかったので、この場で呼びかけてみようと思っていたら、昨日の晩更新されました。どこかへ行っていたのですね。行くと聞いていたような気もするのですが、聞いていました?私。具合が悪いのかなと心配していました。どうしたんですか?と電話すれば早いのでしょうが、そこはねぇ、仲がいいとはいっても一応は気をつかってみたんですよ、同業者なので。台湾での説明会の写真、昨日がソ小姐とチョ小姐、そして今日がソン姉御です。


7月21日(水)
 今日は土用の丑の日。うなぎと梅干は食い合わせが悪いと、昔、越中富山の薬売りが紙風船と一緒に置いていった紙に書いてあったので同時には食べないようにしています。「富山の薬」、今の若い方はご存じないかもしれませんね(うー、年寄りの台詞)。亡父はケロリンを飲むと、頭痛も歯痛も本当にケロッと治ってしまいました。赤玉はら薬、熊の胆(くまのい)なんていうのもありましたねぇ。さて写真は、私たちが草津でうつつを抜かしていたころ大々的に行われていた台湾での日本留学フェア、台北事務所の三小姐は今回赤いハッピを着てみたそうです。うつつ…の一泊旅行の写真もアップされています。



7月20日(火)
 なあんて暑い一日だったんでしょ。東京の大手町で史上最高の39.5℃を観測。平年の最高気温より10.1℃も高かったんだそうですよ、今日は。マンションのエレベーターで上の階のご主人と一緒になったので、「もう暑くて暑くて、ローストビーフになっちゃうかと思いました」と言ったら「ははは!」と彼。けれど、ビーフ(のような体型のそのご主人)に向かってビーフと言ってしまったことを、しまったと思い、しかし、しまったと思ったことを悟られまいと、私も一緒に「ははは!」と笑い、と、よけいに暑くなるような思いをしてやっと家にたどりつきました。写真は、この日のために新調したマスクをつけて歌って踊る沼田先生です。


7月19日(月)
 今日は海の日です。実は一昨日と昨日は家で自分専用に買ったパソコンのインストールとLANの設定等などの作業をしていました。人間、その気になれば何でもできるものだなと思いました。まぁ、今は方法を手取り足取り教えてくれるCD-ROMやマニュアルが揃っているので威張るほどのことではないのですが。でも今まではすべて人任せだったのでちょっと誇らしい気分です。先週末の金曜日と昨日の日曜日、台湾では大学と専門学校、日本語学校合同の日本留学フェアでした。今回はこちらからは誰も行かず、台北事務所の卒業生トリオ三小姐がブースを仕切りました。去年タイで製作・配布したインターカルトバッグの台湾版を作って配りました。昨日会場に電話をして聞いた感じでは、台湾でもウケテいるらしい…。
 写真は矢野先生と古屋先生のチャゲ&飛鳥です。黄色い声と座布団が乱れ飛びました。


7月18日(日)
 休日で特にここに書くほどのことをしていないので、今日も宴会について。舞台は日本語教師養成研究所の日本人の学生たちの踊りで始まりました。曲は♪ジンギスカン♪。学生時代に流行った懐かしい曲。・・・と書いていたら、ビールのコマーシャルのBGMにこれがかかっていました。リバイバルだったんですね。それにしても女性ばかりのダンサーたち、圧巻でした。


7月17日(土)
 今日は短期遊学コースの学生たちと一緒に専門学校の見学に行きました。東放学園の皆様、どうもありがとうございました。放送業界の最新技術を垣間見ることができ楽しかったです。それにしても台湾勢とシンガポール、韓国の学生たちは本当に元気。一泊旅行に引き続いての今日の見学、そして明日は鎌倉へ。引率のスタッフとお世話係の卒業生たちにもご苦労様の一言です。すでにロートル(老頭児)と化した私は二連休。写真は言わずと知れた大宴会です。


7月16日(金)
 昨日の大宴会はインターカルト史上最高の盛り上がり。その一つ一つは写真と共に今後勝手に紹介させていただきます。右は、昨日の夕方草津に着いてすぐに行った湯畑での足湯の写真。5つの国の学生たちとうら若き乙女先生たちのおみ足です。そして今日は草津温泉からバスで3時間の西武園遊園地。後半は雷と豪雨のために皆で雨宿りでしたが、何はともあれ全員無事に帰ってきました。無事が一番。本当に無事に終わってよかった。


7月15日(木)
 ○時と言ったら私たちのバスは非情にもほぼその時刻通りに出発してしまいます。が、今回は、各バスとも参加予定で当日来なかったという学生はほんの少し、もしくはゼロ。総勢464人、驚くほどの好参加率でした。出発の時点ではいなかったのに、軽井沢まで新幹線で追いかけてきて合流した学生も一人いました。東京の暑さとはまったく違う心地よい暑さでしたが、鬼押し出しでの山歩きで私の肩はノースリーブのポロシャツ通りに赤く日焼けしていました。草津温泉はホテル櫻井、まだ学生が来ていない大広間に並べられたお膳の列を見ただけで今年もぐぐぐぐぐっ。


7月14日(水)
 「留守電に明日の朝7時半に信濃町駅に集合って入ってたんだけど」と、知らない人から高円寺校に電話があったそうです。今日欠席した学生に先生が確認の電話をしたようなんですが、その番号が違っていたんですね。お騒がせしました。インターカルトの学生だけ集合してください。明日と明後日は一泊旅行。みんなで軽井沢、鬼押し出し、草津温泉、西武園遊園地に行ってきます。


7月13日(火)
 セミナーや研修会で聴衆として人の話を聞くことは度々ありますが、巧みな話術と内容のおもしろさに思わず身を乗り出したのは久しぶりです。小林直人さん一時帰国。インターカルトで専任教師6年、アメリカに渡って11年。90分の講演のために、養成の恩師や教え子、同期、同僚と足を運ばせてしまうのは、やはり彼の人徳でしょう。タイムマシンに乗って高田馬場に校舎のあった時代に逆戻りした気分でした。「小林さん、変わらないねぇ」「あれ、山崎さん、ちょっと薄くなったんじゃない」と、しばし信濃町校の1階ロビーは同窓会のようでした。


7月12日(月)
 暴れん坊将軍も遠山の金さんも嫌いではありません。けれど、天下の将軍様や江戸町奉行が何でもかんでも出て行って問題を解決してしまうって変ですよね。いや、何でもかんでもじゃないですね、その人は一人しかいないわけだから、たぶん一部分だけですよね。そしてその解決方法といったら、最後に自分が将軍であることを気づかせたり桜の入れ墨を見せたりして身分を明かして、そこでちょっと「かかれー」なんていう場面はあるけれど、結局は「ははぁ」って権力で屈服させてしまう。やっぱりそれでは解決したってことにはならないと思うのです。以上、唐突ですが。


7月11日(日)
 水道の蛇口からホースをひいて風呂桶に適量の水を入れ、脇にしゃがんで薪と石炭を釜の中にくべ、マッチで火をつけた新聞紙をその奥の方に入れて沸くのを待つ。子供の頃のお風呂はこうでした。それが今はどうでしょう。ボタンを一つ押せばそれで適量、適温、沸いたらピピピ。反対に昔はそれのために費やさなかった時間、それは「通信」をする時間。パソコンは今の私には必要不可欠、寝不足にも大きく貢献しています。・・・今日は一雨あり、過ごしやすい一日でした。参議院選挙の投票に行きました。必ずしもNHKが好きなわけではないのですが、選挙や大きい事件・事故があった時は迷わずNHKを見ます。いつも思うのですが、開票率数%という時点でどうして当選確実を発表できるんでしょう。理解できません。七夕の写真がアップされていました。写っているのは夏季短期遊学コースの“子供たち”です。



7月10日(土)
 ナベツネ氏が、意見交換を求めた古田選手会長に対して「たかが選手が無礼なことを言うな。分をわきまえろ」と言ったそうです。ばっかじゃない、です。選手とファンあってのプロ野球。他山の石といたします。



7月9日(金)
 曽我さん一家、無事再会。第一歩です。「血は水よりも濃し」と私も最近つくづく思っています。今朝は、アリナミンVとQPコーワゴールドと深海鮫エキスを飲んで出掛けたので一日元気でした。午前中は4日ぶりに高円寺校、午後は全国日本語教師養成講座連絡協議会のフォーラム実行委員会、夕方から日本語教育学会の研究集会委員会でした。明日は土曜日、二連休です。暑くて長い一週間でした。



7月8日(木)
 気温が体温を超えています! 私の軟弱な体力も強靭な精神力もどろどろと溶け始めています。思考能力はすでに機能停止状態です。曽我ひとみさんが到着したジャカルタの様子をテレビで放送しています。12年前に住んでいたジャカルタ。気温は東京より高いのですが、湿度が低いので木陰に入るとさっと涼しく感じます。その時代を共に過ごしたジャカルタ・コミュニケーションクラブの甲斐切さんが、一昨日のJ-WAVEの生放送電話インタビューで、インドネシアの総選挙と曽我さん一家のジャカルタ再会について話をしたそうです。そして今日は日本テレビの「ニュースプラス1」。両方とも突然の依頼だったようで、それを知らせてくれた「緊急連絡」と題したメールを見た時はすでに番組終了後。残念。甲斐切さんは元アナウンサーです。曽我さんにこれからいいことがたくさんありますように! 前にも書きましたが、曽我さんは同じ年なのでつい自分の安穏な人生と重ね合わせて考えてしまいます。


7月7日(水)
 朝、総武線に飛び乗ったらいきなり私に体当たりしてくる人。しかし近くに人の姿はなく、代わりに電車の左右のドアが私の体を真っ二つにはさんでいました。「痛い!」とあげた大声にすでに乗車を終えた人たちの視線は私一点に。そして信濃町校に着いて、2階の教務室から外階段を駆け下り、1階に入るドアの前ですべって転んで両手両膝をつきました。「痛ーい」と立ち上がろうとしたら、目の前に体の大きい韓国の男の学生の両手が差しのべられていました。起こしてもらってお礼を言い、「どこのクラス?」と聞いたら、彼は「402です」と教室の番号を言いました。こういう偶然の出会いから恋が芽生えちゃったりすることもあるんでしょうが、芽生えるはずはありませんでした。このようにして始まった今日は、その後はさまったり転んだりはしませんでしたが、短期遊学コースの授業、移動、台湾事務所の孫&曾、インターカルトの彭&羅と専門学校訪問、移動、別件食事会と続き、七夕の夜空を見上げる間もなく終わりました。上のタイトルの文字が変わっていないのは、ひはら先生の怠慢ではありません。そんなわけで相談する暇がなかったのです。彼からは、昨日の晩このページを更新した直後に代替案がメールで送られてきています。



7月6日(火)
 午前中に行った専門学校で教室をのぞいたら、信濃町校の卒業生が二人、一番前の席で並んで授業を受けているのが見えました。あちらも気づいて目で挨拶。特に接点があった学生たちではなかったのですが、妙に懐かしく嬉しかったです。お昼過ぎに信濃町校へ。今日は33人の短期遊学コースの学生たちのうちの4人のためにバースデーケーキが準備されていました。♪Happy Birthday to you♪を皆で歌い、滞在時間20分ほどで代々木のオリンピックセンターへ。日振協の東日本地区維持会員協議会でした。最も印象に残っているのは○○省の方が壇上で鼻毛を抜いていたこと。会終了後、懇親会。うだるような暑さの中を一日中飛び回っていたため、着ていた木綿のワンピースはぐしょぐしょでした。
 そしてそして、びっくりしました。ホームページの表紙の画面がいきなり変わっていました。英語版と韓国語版も新しくなりました。そして何と私のこのページのタイトルまでデザインが変わっていました。ううん・・・、HELLO !! がちょっと大きすぎるかなぁ。明日相談しましょ、ひはら先生。


7月5日(月)
  “東京YWCA「留学生の母親」運動”が定期的に送ってくださる通信に、自転車の乗り方の講習会を開くというお知らせがありました。今まで気づかなかったけれど、こういう講習こそ必要だったんだと話していたところ、今日また二人の自転車事故者が出ました。一人はタクシーにぶつかったんだそうですが、幸い打撲で済みました。もう一人は昨日公園で一人で乗っていてひっくり返り、すりむいた肘が痛くて曲がらないと言っていました。彼は自転車運転経験3度目だとか。外国から来た彼らは意外にも乗れない、乗ったことがないという人が多いです。日本人の感覚では自転車は誰でも乗れるもの、なのですが。私の通っていた小学校には信号や踏切のある交通公園というのがあり、そこで実技試験が行われました。車で言ったらウィンカーを出すというような手信号を教えられ、試験に合格すると免許証がもらえました。合格者はそれを首にさげて自転車に乗り、無免許では自転車に乗ってはいけないというきまりでした。みんな、本当に気をつけてね。


7月4日(日)
 台湾から、夏季短期遊学コースの第二陣が到着しました。日本語教員養成研究所の海外実習でお世話になっている新民高校の生徒たちを中心とする一団です。私はまだ会っていませんが、おそらく緊張しながらもわいわいがやがやとやってきたことでしょう。そんな彼らの向こう側に、国にいる家族たちの不安や心配があることをいつも思います。

7月3日(土)
 友、遠方より来たる。十数年前にアメリカはメーン州に渡った万年青年、小林直人先生が久しぶりに日本に帰ってきています。13日に日本語教員養成研究所でアメリカでの日本語教育のあれこれについてお話ししてくださる予定です。


7月2日(金)
 外国語を勉強する時、その国の人の名前を自分のニックネームにするということはよくあります。何年も前に「GO」というニックネームの女の子がいて、郷ひろみのファンなのかなぁと時代錯誤の解釈をしたら森田剛のGOで、その時初めてV6というグループがあることを知りました(ブイシックスをブイロクと読んだスタッフもいました。確か台湾人の男性)。同じクラスに「野茂」という男の子もいたので、その時代です。今年もいよいよ始まりました、夏季短期遊学コース。くも、ゆき、さくら、はやと、ひとみ、あきこ・・・。今回はほとんど時代を反映していません。



7月1日(木)
 インターカルト日本語学校で仕事をするようになってから、「いい学校にしたいね」という台詞を何回言ったでしょう。けれど「いい学校」というのはとても抽象的な言い方で、その度に私たちは「じゃあ、いい学校って何?」と自問自答してきました。香港で一緒に仕事をしている学校は、目指すところの「いい学校」を行動で表そうとしているように思います。日本語学校のHPが日々刻々と形を整え、その目指すところが言葉になりました。日本語教員養成研究所、そして各国語版HPのさらなる充実も間近だそうです。慌しく日本に戻ってきました。6月末の2日分がほとんど日の目を見ることなく7月の画面になってしまいました。よかったら上のBack Number 2004の「6」をクリック願います。


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