2004年6月
6月30日(水)
朝ごはんを食べたレストランのトイレには個室が3つありました。うち2つの中にいる2人が仕切り越しに大声でおしゃべりをし、洗面台の前の椅子に腰掛けた人は携帯で話していました。これも大声を張り上げて。香港映画の生中継のような広東語のBGMの中で用事を済ませドアを開けると、電話が終わった彼女も個室2人組の話に加わっていました。日本では絶対にない光景―これも異文化。我らがSasaki Nobuko in HONGKONGは、小さい体ながら存在感があり、かといって出過ぎることなく微笑を絶やさず・・・。見習うところの多い後輩だと改めて。
6月29日(火)
携帯のアラームを含め4つの目覚ましをかけ、1つ目が鳴った3時15分に起きました。近いうちに羽田空港の国際線の発着が充実するようなので、そうなったら私の出張はかなり楽になるだろうと思います。機内で爆睡し、街中の空気がサウナのような香港に来ました。
6月28日(月)
帰りの電車でふと窓ガラスに映る自分の顔を見たら、眉は八の字、その間に深い皺を寄せていました。いけませんねえ、久しぶりです、こういう顔。ベルトコンベアの上を流れてくる仕事を右から左へ・・・というような毎日を送っているからこういう顔になってしまうんですね。今日はセシオン杉並というところで7月生の入学式がありました。新入生たちの眉間に当然皺はなく、きらきらと輝いていました。私も満面の笑みを浮かべて挨拶をしました。はじめまして、どうぞよろしく。私は明日から出掛けてきます。また木曜日に。
6月27日(日)
必要があって、2005年のカレンダーをインターネットで探しました。あるサイトには2030年までのカレンダーが載っていました。2030年の今日は木曜日、私はもう古希を過ぎています。何をしているんでしょうね、何もしていないんでしょうかね。
6月26日(土)
入った順に、彭さん、羅さん、白さん、安さん、李さんという5人の常勤・非常勤の外国人スタッフがいます(外国人と書いて、そうね、そうだったのねと思いました。そのことを話題にして書こうとしているにもかかわらず)。いつもは学生たちにとってのいいお兄さん、お姉さんですが、彼ら彼女らが特に活躍を期待されるのは学生に問題があった時です。学生と学校、それぞれの国と日本との間に立って、学生と同国人であるがゆえに嫌な思い、辛い思いをすることも多いはずです。本当によろしくお願いしますね、とそれだけです。皆さんに支えられている部分がはかり知れないほどあるということ、わかっているので。
6月25日(金)
久しぶりの夏の食欲不振です。10年くらい前までは、毎年夏になると簡単に10キロくらい体重が減りました。でももし今年10キロ減っても昔の冬とたいして変わらない。嗚呼。
今日は教師会でした。皆さん、とても元気。ここの人々は、働く人も学生も基本的に非常に陽気なんじゃないかと思います。他をよく知らないので正しい見解かどうかはわかりませんが。そして今日から7月生が来日し始めました。事務局全員と在校生・卒業生有志による出迎え&受入れ軍団が、土曜日と日曜日、成田と新宿と寮の間を駆け巡ってくれます。月曜日が入学式です。7月生なのに、なぜか6月28日に。こういうところがとぼけてて好きです。(が、実は7月からの短期生が入学式に出ようとすると授業終了前にビザが切れてしまうため、短期生は入学式後に来日します。要は日程の設定を間違えちゃったのです。ごめんなさい。)
6月24日(木)
信濃町校も高円寺校も、クラス別に昨日か今日のいずれかが担任教師と学生一人一人との面談でした。5月から持ち始めた私のクラスは、昨日担任の先生との面談を終え、今日は井の頭公園に校外授業にでかけました。今日で春学期終了。7月1日にまた元気な顔で会いましょう。けれど、6月いっぱいで学校を去っていく短期ビザの学生たちもいます。日本は、東京は、インターカルトはどうでしたか。心残りのある人はまた来てくださいね。・・・と書きながら、100%の満足感をお土産に持たせて帰したい、帰さなければと思いました。
6月23日(水)
乗車時間20分の帰りの京王線に座るために毎日15分以上並ぶのですが、今日は並ばずに立って帰ってきました。15分待って20分寝て帰ってくるのと、20分立って寝ないで帰ってくるのとでは後者の方が早く家に着きますが、家に帰ってから20分寝るわけではないので、やっぱり前者の方がいいようです。疲れました。今日は一日中ミクロでした。
6月22日(火)
ミクロ(micro)とマクロ(macro)の間を行ったり来たりだなと思います。午前中は寮のゴミ問題と学生のあれやこれや、お昼に1時間のキャッチアップレッスンをはさんで、午後は「我が国大学の国際化と留学生誘致戦略」という三菱総研のセミナーでした。日本におけるASEAN留学生のニーズと誘致戦略、有効な留学生サポート体制とは、留学生誘致の将来方向性について。アジア学生文化協会の白石さんも講師のお一人でした。午前と午後、あっちの問題とこっちの問題のようですが、実は一本の線でつながっています。
また、私が今していることは教育なのかビジネスなのかとも時々思います。もちろん両方なのですが、一人しかいない自分の中の二人の自分の間で矛盾が生じた時、実体としてある自分をどう納得させるか、それは私にとって結構むずかしい問題です。
6月21日(月)
嵐のような突風が吹くまくった一日でした。それがようやく収まりかけた夜遅くに、山本さんが、加藤さんがとお互いに書いては切磋琢磨(せっさたくま)するカイ日本語スクールのHPが大リニューアルされたのを発見しました。ううん、さすがやるなぁ・・・です。
7月も間近、台北事務所では夏季短期遊学コースのオリエンテーションをしたそうです。去年はSARSのために泣く泣く開講を断念しました。あれからもう一年になるのですね。
6月20日(日)
台風6号だそうです。一日中生ぬるい風が吹いてむしむししていました。昨日実家で、昔は雪がたくさん降ったとか、雨の降り方も今とは違ったとかという話をしていました。大雨で道に水があふれた時には大喜びでその中を歩いたり自転車に乗ってみたりした等など。今のように水洗トイレではなかったし、家の前にはドブがあったので、不衛生極まりなかったんですよね、本当は。ここに載せる写真が底を尽いたのでテレビ画面を写してみました。何やってんでしょうね、私は。
6月19日(土)
徒歩で通勤していた人が、自転車が買えるようになったので自転車通勤になり、やがて車を買い、今はBMWに乗っている・・・。だからどうしたのかは忘れましたが、そんな人を紹介する記事が雑誌にありました。BMWに乗っている人はBMWが買える人。これは当たり前のことです。留学もやはり、その費用を出せる人がするというのが自然なことだと思います。出せない人を呼び寄せるのは罪です、物価が高い上に制度未整備の日本では。人間は弱いもの。精神的、金銭的によほどの余裕がない限り、誘惑には負けてしまいます。「分相応」というのがこの世の現実だという認識を本人も学校も持つべき。BMWからの連想です。
昨日、仕事を終えてから実家に帰り、今はそれぞれ別々に住む母と一つ下と八つ下の妹たちと食べて喋って、今日の最後の電車で戻ってきました。究極のスケジュールで飛び回っていると母妹妹にずっと言われ続けてきましたが、一日早く戻って体を休めようと思うようになったのは年をとった証拠でしょう。
6月18日(金)
昨日の激突による唇の腫れはほとんどひきました。カイの山本さんのHPに「いっぱいぶつけるとバカになる」とありました。実は私はすでにバカです。たとえばこの間の出張、まず行きの成田でオーストラリア入国に必要なビザを持っていないことを知りました(絶対不要と信じていた私もバカですが、何も言わずにインターネットでチケットを売った旅行会社はバカ以前)。空港の人々のお力をお借りして、その場でETASという電子渡航ビザを取得しました(1997年からできたものとか。2004年で本当によかったです)。そして帰りの空港では、かなり早めに搭乗ゲートの近くまで行っていたにもかかわらず、ぼおっとぶらぶらしていて、今まさに離陸予定時刻という時に腕時計を見ました。が、こういう時にも全然ジタバタしない。行きは「明日どんな顔して学校に行こう」、帰りは「ホテルの予約しなくちゃいけないかなあ」。大物なのか、バカなのか。いずれにしても、つつがなく出張終了となる。いつも私はかなり運がいい方だと思っています。
6月17日(木)
今朝、「ああ目を覚まさなければ、でも眠い眠い」と思いながら目を閉じたまま家の廊下を歩いていたら、その前に自分で開けっ放しにしてあった洗面所のドアに顔面をぶつけてしまいました。平面の板に当たったのではなく、ドアの厚みの部分に正面から。私の顔で最も飛び出ているのは鼻ではなく唇のようで、歯に当たった上下唇の内側から血が噴き出していっぺんに目が覚めました。すぐに氷で冷やしましたが、まだちょっと腫れています。過去のページを見てみたら、たんすの扉が足の上に落ちてきたのは先月の20日。私はこれからも月に1回のペースで自爆し続けるんでしょうか。今日もむしむし暑いです。
6月16日(水)
授業で使うために持ってきたMr.Furuya先生(20代)の写真が「かわいい」と、教務室で話題になっています。「でも6歳の時の写真がカラーっていうのがすごい」「今の子供と同じようなかっこしてる」「私はこんな頭(ワカメちゃんカット)してた」「私なんてくしゃくしゃのこの辺が破れた服着てた」「首の後ろにシッカロールつけてた」・・・。私も戦後の焼け跡に取り残された子供のような写真がアルバムにあります。かつては“若い先生たち”と呼ばれていた私たちなのですが、隔世の感です。アルクのHPに連載している進学のページが半年ぶりに大幅更新されたそうです。Mr.Yoneyama先生によるところ大とか。彼は進学担当チームのニューフェイスですが、幼年時代の写真は白黒組だと思います。
6月15日(火)
古墳時代の遺跡と奈良時代の国府跡が出てくるために、私の家の近くでは建物が壊された後しばらくはその出土作業のために工事が進みません。十何世紀も前にもここに人が生きていたんだと思うと、とても不思議です。
私たちが「三和の社長」と呼んでいたおじさんが先週亡くなっていたことを知りました。高円寺の不動産屋さんの社長です。ずっとずっと学生たちのアパート探しを手伝い、学生たちの面倒を見てくださっていた方です。この1月から私たちが高円寺校の周りにいくつもの学生寮を持てたのも、この三和の社長のおかげです。周辺の大家さんたちの外国人に対する誤解を解き、私たちの学生寮として貸してくれるよう頼んでくださいました。つい最近まで元気にふらっと学校に現れていたのに・・・、本当は元気ではなかったようなのです。あの姿はもう見られませんが、でも三和の社長が生きていた証はインターカルトにしっかりと残ります、ずっと。
6月14日(月)
中学の修学旅行は京都、大阪、奈良でした。一番の思い出は、夜中にマクビティー・ダイジェスティブ・ビスケットをたくさん食べて、朝起きたら顔中にぶつぶつができていてびっくりしたことです。今日学校に行ったら、先月インターカルトに来た岐阜の中学生たち一人一人が便箋に書いた手紙が入った封筒が届いていました。添えてあった先生の手紙に、「修学旅行で何が一番印象に残っているか」という質問に、インターカルトに来たグループの生徒たちは全員「日本語学校」と答えたとありました。その時に彼らを迎えたA6aクラスの学生たちから教えてもらった韓国語と中国語とイタリア語の簡単な会話を生徒集会で発表することになったそうです。封筒の中には彼女たちの中学校の様子を写したVTRと、未使用の新しいVTRテープが入っていました。A6aの学生たちがその会話をもう一度各国語でして、それを撮って送ってほしいという依頼でした。この小さな異文化交流はインターカルトの学生たちにとってもまた、いい思い出になったようです。中の一人はこの交流が「日本に来て一番楽しかったこと」と言っていたそうです。学生たちが求めていること、学生たちにとって価値あることにちょっと触れたような気がしました。
6月13日(日)
オリックスと合併することになった近鉄と日本ハムの試合をスポーツニュースで見ていたら、大阪ドームの壁に少なくとも二つの大学が広告の看板を掲げているのがわかりました。今まであまり注意して見ていなかったのでもしかしたら前からあったのかもしれませんが、これ、少子化の影響ではありませんか。つまり、一人でも多くの学生を獲得したい大学の現実。とても興味深く画面を見ました。けれど、少子化=日本人の学生不足=大学の経営危機=外国人でその穴を埋めよう=大学の外国人直接募集=日本語学校への影響は?・・・という構図にもなり、他人事ではないのでした。いきなり大学の授業を受けられるだけの日本語力がある人は直接入れてくださっていいんです、その方が学生にとっては効率的ですから。でも心配しているのは、とりあえず入れちゃえ⇒誰がそのケアをするの?となることです。大学さんへ、どうか学生を第一に考えてやっていってくださいませね。
留守にしている間にこのページの上の部分が変わっていました。先日の料理会や寮の紹介のページもできていました。日原&伊東&安チーム作だそうです、ご覧ください。
6月12日(土)
なぜ鉄の塊が宙に浮くのか理解しきれていないので、滑走路にガタンと車輪がついた瞬間いつも心底ほっとします。一昨日学校にかけた電話で聞いていましたが、留守中にあった日振協の連絡会で、学校に付される適否についての新たな基準が示された模様。無事地に足がついた今、早々に頭を日本に切り替えなければ。
6月11日(金)
30年以上前にM子さん(1)は偶然出会ったT子さん(1)に誘われて此の地に移り住み、その後此処でT子さん(2)と知り合い・・・(中略)・・・その縁で今回此の地で私はT子さん(2)に会いました。何が何だかでしょうけれど、とにかく私はM子さん(2)を含め二人のT子さんと二人のM子さんという、此の地に根を下ろした四人の日本人女性に会いました。いずれも素敵な先輩諸姉。うちお二人は日本語の先生です。人と人とのめぐり合いは偶然と偶然のくり返しの中の偶然。けれど偶然を偶然で終わらせるか、そこから新たに何かを生み出すかは人の力によるのですよね、きっと。滞在期間中、通算10本の虹を見て、今回の出張はThe Endです。
6月10日(木)
よほどの個人的興味や関心がない限り、科目の好き嫌いはその教え方、内容、個性といった教師によるところが大きいように思います。モチベーション(motivation:動機づけ)は、最初からある場合とほとんど、いや全くない場合とがあります。教師に与えられた役割で「モチベーションを」と言った時、高いお金と時間を使ってわざわざ日本まで来た学生に対しては基本的には「高める」でしょう。そして今日の小学生たちのように学校で定められた科目として履修しなければならない子供たちに対しては「持たせる」「与える」ということになるのだと思いました。まさに教師の力が問われる場。教師の真剣勝負の審判は子供たちで、そこに身を乗り出した笑顔があればひとまず「勝ち点1」なのでしょう。今日はリーミング小学校の6年生と7年生の日本語クラスに参加しました。
6月9日(水)
サンタマリア高校という女子高の日本語クラスに参加し、クール青年が日本人家庭を訪問するという設定のロールプレイの“妻”役に指名されました。渡されたテキストを見ながら「あら、いらっしゃい」などと言っていたのですが、クール青年が家にあがりお菓子を勧めているといきなり家がガタガタ揺れ、相撲取りの“主人”が帰ってくるというストーリーには「なんじゃ、こりゃ」でした。ホテルの部屋のテレビでは「BANZAI」と叫びながら携帯電話を持った相撲取りがこっちに向かってくるというCM。「なんじゃ、こりゃ」の責任は此の地にではなく、アピールの持ち駒が底をついた日本にあるのだと思います。
6月8日(火)
SWAN RIVERという川の向こう岸からこちらに向かって虹がかかっていました。虹の原理は忘れてしまったけれど、虹が雨と晴れの境い目にあるらしいことは虹の上と下の空の色の違いからわかります。子供の頃、ホースの先から勢いよく水を出して嘘の虹を作ったことを思い出しました。本物の虹を最後に見たのは多分もう30年以上前。何となく幸先が良さそうな気がします。
6月7日(月)
今日は朝からざあざあ降りでした。空気はぼわわわあんと生暖かくじめじめしていて、まさに梅雨本番といった感じの天気です。が、午後3時40分、青空が見え日がさしてきました。「あ、いい天気になってきたぁ」とそこいら中で皆が言っています。
私はこれから南半球に行ってきます。よってこのページの更新は土曜日になります。ではでは。
6月6日(日)
♪6月6日に雨がざあざあ降ってきて・・・♪という歌詞の絵描き歌がありました。今日は朝から雨がしとしと降っています。梅雨入りだそうです。買い物に出たら、靴屋さんの店先に長靴というのか雨ブーツというのかレインシューズというのかがたくさん並んでいましたが、それを横目にサンダル履きの足をびしょびしょに濡らして帰ってきました。今日は、昨日の料理会で教えてもらったベトナムの生春巻きを作ろうと思います。すぐに復習しないとすぐに忘れてしまうので。
6月5日(土)
入国審査が去年の秋頃から突然厳しくなった理由の一つは「外国人犯罪の増加」です。でも、全犯罪者のうち外国人が占める割合、どれくらいだと思いますか。今朝の朝日新聞に、アジア学生文化協会理事の白石勝己氏が『留学生犯罪報道』と題した文章を寄せていました。去年1年間の全刑法犯罪検挙者数に占める外国人の割合は2.3%、留学生・就学生に関して言うとそれぞれ0.3%ずつ。しかしマスコミは、今や世間に「外国人=犯罪者」と勘違いさせんばかりの報道ぶりです。白石氏曰く、「当局の発表の仕方やマスコミのデータの切り盛り次第で世論がある一定の方向へ流されるとすれば、憂うべき事態といわざるを得ない」。もちろん、少ないからいいじゃあないか、じゃありません。それは白石さんも書いていました。けれど、文章の副題の通り「客観的・冷静な議論を」だと私も思います。
今日のインターカルトは、阿佐ヶ谷地域区民センターで料理会、信濃町の運動場でサッカーの練習がありました。両方とも信濃町校・高円寺校の学生入り混じって。私は料理会に行きました。
6月4日(金)
昨日、鯵の骨が喉に刺さった人(M女史)に会いました。前の晩に食べたイトーヨーカ堂で買った一匹99円の鯵の骨だそうです。ご飯、フランスパンと次々と飲み込んでも骨は抜けず、次の日の午後まで痛みをこらえ、仕事が一段落したところで耳鼻咽喉科に駆け込んだとか。待合室にはあまたの患者。腰掛けて待っているうちに眠気に襲われ、うとうとしていたら名前を呼ばれて「はい」と答えた拍子に「ぬるっ」と骨が抜けたそうです。ぽろっと床に落ちたその骨は長さ1.5cm。問題は唐突に解決しましたが、そのまま帰るわけにもいかず診察室へ。骨を抜く手間が省けた医者から授かったアドバイスは「骨が刺さった時にご飯を飲み込んではいけない」。“骨が刺さった=ご飯を飲み込む”は代々神話のように言い伝えられているのに・・・。治療なしのアドバイス料は860円だったそうです。では、喉に骨が刺さった時にどうすればいいかというと、「そのまま何もせずにすぐ耳鼻咽喉科へ」だそうです。ちゃんちゃん。M女史はその後、何事もなかったかのように年に2回の定例会議にやってきました。
6月3日(木)
インターカルトにサッカーチームができる気配ありです。学生が学生に呼びかけ、結構いろいろな国の学生たちがやりたいと言っているそうです。バスケットボールのグループもあるとか。この週末には、日本人と一緒に料理パーティーをします。8月の高円寺の阿波踊りに参加しようという話もあります。信濃町校のソニーさんは、さくらや主催の写真コンテストで入選したそうです。いつの間に応募していたんでしょう。これからもいいニュースがたくさん届くことを願っていますが、でもまぁ普通であればいいんです、普通で。
6月2日(水)
あの天安門事件から、この6月4日で15年になるそうです。15年前、私は高円寺の旧校舎で選択必修の授業をしていました。お昼のNHKニュースをリアルタイムで見ながらする授業で、その日は教室に入りきれないほど中国の学生が集まってきました。天安門はもちろんトップニュースで、学生たちは最初黙ってじっと画面に見入り、続いて叫び、机を叩き、教室中で激論が始まりました。もちろん中国語で。全く日本語の授業にはなりませんでしたが、「今日はこれでよい」と思いました。その後、中国からの学生は激減、そして激増し、今また激減しかかっています。何かある度に国が門を開いたり閉じたりするのではなく、本当に日本に魅力を感じ、本当に日本語を勉強したい学生たちがいつでも安心して来られる国でなければならないと思います。が、じゃあ日本の魅力って何なの、日本に来て日本語ができるようになった彼らにどんな未来が待っているの、なんですよね。外国人受入れの始発駅を作る以上、終点まで整備するのは当然のこと。貫通した線路の先には彼らの未来と同時に日本の未来もあると思うのです。“公”が旗を振って、乗客をいかに管理するかといった議論に終始している(かのように感じられる)のは、いかにも・・・。今、そしてこれから、私たちはそこからさらに一歩先に進まなければ。
6月1日(火)
市役所の出張所に印鑑証明書をとりに行ったら、無表情の係員に「ここの機械は今日一日使えません」と言われました。「市役所か文化センターに行ってください」。はあ? 市内3か所で証明書が取れるっていうことは、その3か所は市内あっちこっちばらばらに存在しているっていうことなんですよ。あなたの責任でないことはわかっているけれど、そこで係をしているあなたは「すみませんが」くらいのことは言うべきなんじゃあないですか。♪本を買うならブックオフ♪が今、文庫本に力を入れているとCMで言っていました。本を著者名五十音順に並べたそうです。そう、本屋さんにはそうしてほしかったんだと思いました。同じ著者でも出版社ごとに別々の書架に本があるので、探し出すのが大変なんですよね。以上「顧客満足について」2題でした。写真は山形県酒田市出身の方からいただいた「こけし」と背景に当校「財務相」。6月初日、寒い一日でした。昨日の大汗いずこへ。