2004年5月
5月31日(月)
昨日の新聞の社会面の真ん中に『「小尻願望」じわり』という囲みの記事が載っていました。今、お尻の形が気になる女性が増えているんだそうです。世の中いろいろあり過ぎると、こういうどうでもいいような記事を真ん中に据えたくなってしまうんでしょう。私もまた似たような気分。今日は暑くて暑くて暑くて、一日中思いっきり顔を洗ってシャワーを浴びたい気分でした。今日で5月も終わり。何かあっても何もなくても、6月7月8月9月・・・。
5月30日(日)
小学校3年生の甥はもちろんのこと、3歳の姪が見よう見まねならぬ、聞きよう聞きまねで結構難しい言葉をぴったりの場面で正しく使っています。母語ゆえなのでしょうが、第二言語も同じように習得させるために日々是精進ですね、私たち。ま、新しい週も前向きにまいりましょ!
5月29日(土)
今日明日と実家に行くことになり、明日中にしなければならないことをやれるだけやってから出掛けようとパソコンに向かい、気づいたら4時でした。結局終わらず。明日の晩、まぁどうにかなるでしょ。
5月28日(金)
ファイト一発で始まった一週間がやっと終わりました。年も一つとりました。大変大変と言ってもこんなの大変のうちには入らないと、拉致被害者の曽我ひとみさんの顔を見ると思います。曽我さんと私とは同じ年です。
突然ビルの前面が板で覆われて始まった工事。10階の私の家から中の様子が見えました。どうやって乗せたのか屋上にブルドーザーが3台もあります。ビル解体だと思っていましたが、もしかしたら上に増築しようとしているのかも。建設会社のビルなので、そんなことも簡単にできるのかもしれません。
5月27日(木)
修学旅行の中学生たちが岐阜県からやって来ました。後に用事が詰まっていたので私は挨拶しかできなかったのですが、中学生たちにもインターカルトの学生たちにも楽しい時間だったようです。夜は、今のインターカルト日本語学校を立ち上げてくださった方々との年に一度の集まりでした。実は経営の報告会なのですが、いつも同窓会のように思い出話に花が咲きます。私に、落ち着きと余裕がでてきたそうです。のん気顔が少々太っただけなんですが。終了後、二次会に繰り出す皆さんを見送ってから学校に戻ったら、明日入管に提出する10月生の書類の準備が間もなく終わるというところでした。のん気は皆さんのおかげ。久しぶりに履いたパンプスのせいで足が痛いです。
5月26日(水)
水曜夜9時からの人気番組『トリビアの泉』で、「アルプスの少女ハイジの映画版でペーターを演じていたのはチャーリー・シーンだった」は“85へぇ”でした。が、私はチャーリー・シーンという人を知らないのでへぇも何も。それよりも、へぇへぇへぇなんていうことを思いつくこと自体が“へぇ”です。この手の番組は、まず深夜に放送され、それがヒットするとゴールデンタイムに移動してくるんだそうです。昔、『やっぱり猫が好き』という番組がありましたが、それは深夜版の方がずっとずっと面白かったように思います。なぜか。大衆に媚びない大胆さが番組にあったこともさることながら、私だけが知っている楽しみという錯覚が心地よかったからかも。今日は、高円寺校で日本人との交流会がありました。
5月25日(火)
私にとってインターカルトは二つ目の職場です。今日は一つ目の職場、在埼玉某大学の日本語教員就職ガイダンスに行きました。元職場を見、同期同僚上司先輩のそれぞれに年を重ねた顔に会い、大月さんと旧姓で呼ばれ、当時使っていた電車に乗り、沿線の住んでいたあたりを見・・・と20年前のアルバムを取り出して眺めているような気分でした。そしてガイダンスに集まったのは、約20年前、中曽根元首相が「留学生10万人計画」を発表した1983年の頃に生まれた学生たちでした。
実は今日は誕生日。高円寺校スタッフの安さんが描いてくれました。手前が牧さんと安さんで上にいるのが私。インターカルト、美しいじゃない?って感じですよね。そう、インターカルトにはハンサムが多いっていう噂もあるそうですね。
5月24日(月)
今日は高円寺校の3階喫煙室から火が出ました。学生が火事を発見し事務所に報告、スタッフが消防署に通報(の真似)、ベルを鳴らしながら「火事です!」と各教室に言ってまわり、学生たちは裏の神社に避難、学生を誘導する先生、消火器で消火活動をする先生…といった演技仕立ての高円寺校の消防訓練。毎年密かに楽しみにしている行事です。去年、消防署の人に学生たちの今一つ緊迫感に欠ける避難を注意されていたので今年はビシッと決めたかったのですが、午前午後それぞれ1名の学生がはしゃいでハメを外しました。うち一人は私のクラスの学生、反省しています。
5月23日(日)
東海大学での日本語教育学会春季大会2日目でした。懐かしい人たちに偶然会い、頑張っている人たちを見られるこういう場は私にとって刺激的です。恒例、凡人社が会場にお店を出していたのですが、知らない本がたくさん出版されていて驚きました。それにしても東海大は遠かった。ドラえもんの「どこでもドア」、100万円なら買います。(関係ありませんが、バンジージャンプは1000万円くれると言われてもしません。) 明日から始まる一週間は、行事その他諸々盛りだくさん。ふーっ。ファイト一発!
5月22日(土)
東京日本語センターの創設者、任都栗暁先生が日本語教育学会の名誉会員に推挙されました。学会の年会費を500円から1000円に値上げされた時のご苦労、どこの大学も受け入れない学会事務局をご自分の学校に置かれた時代があったこと、ナガヌマスクールの長沼先生との思い出、そして何度もおっしゃった「日本語教育が国語教育や英語教育の下にあってはならない」というお言葉。車椅子でのご登場でしたが、その一言一言は重く力強く、そして誇り高く、きゅっと身が引き締まる思いで拝聴しました。
5月21日(金)
昨日の晩、180cmほどあるたんすの引き戸がいきなり右足の親指の上にドカンと落ちてきました。右腰痛に加えての右足親指激痛。泣きっ面に蜂。弱り目に祟り目。踏んだり蹴ったり。こんな仕打ちを受けなければならないなんて、私の右半身が一体何をしたっていうの!という気持ちでした。右足親指は“浅い裂傷”、右腰は“つ”という診断でした(“つ”は椎間板ヘルニアのごくごく初期の症状。“ついかんばん”の“つ”。これ、先生が本当に言った言葉です)。余談ですが、私はかなり成長するまでの間ずっと、ヘルニアは脱腸のことだと思っていました。
5月20日(木)
雨はやまず、寒い一日でした。痛い腰をいたわりながら歩いていたら、「手相を研究している者なんですが」みたいな感じの男の人が近づいてきて、「独身の方でいらっしゃいますか」と聞いてきました。歩みを止めずに「いいえ」と答えて、それっきり。独身だったらどうだったんでしょう。ナンパという雰囲気ではありませんでした。
5月19日(水)
台風がきているそうで、朝からの雨が夜になってからざあざあ降りになりました。暑い国から来た学生たちが、次々と風邪をひいています。気候、環境、文化の違い、新しい生活、そして何といっても日本語・・・すべてに慣れるまでは大変ですね。彼らの体は適応に四苦八苦しているのでしょう。名前だけは知っているけれど行ったことがない、いや、地理歴史に疎い私は行った行かないの問題ではなく、申し訳ないけれど基本的知識すら持ち合わせていない国々がたくさんあります。それらの国からも学生が来ているために、まずは手っ取り早くガイドブックで勉強することにしました。それにしても本屋さんにはおびただしい数のガイドブックがありますが、大半が限られた国・地域のものなのだということがよくわかりました。
5月18日(火)
昨日の帰り、総武線の中でこそこそと携帯電話をかけている人の話が聞こえてきました。私は座席の一番端に座り、彼は私の脇に立っていました。「○○駅前のロータリーの向こう側にある△△銀行の横の××に引っ掛けといたから。」とっさに私は爆弾を引っ掛けておいたのではないかと思い、顔を動かさずに目の玉だけ動かして彼の上半身の服装を覚え、向かいのガラスに映った姿で全身を確認し、新宿に着いて席を立った時に私と入れ替わりに座った彼のおおよその身長と顔のつくりを記憶しました。・・・が、しかし、あれから丸一日たった今も爆弾事件があったというニュースは流れていません。一体彼は何を引っ掛けたのでしょう。人騒がせ、いや加藤早苗騒がせな奴です。疲れてるんですから、不用意な発言はお控えくださいませ。
5月17日(月)
今日の東京の最高気温は27.9℃、蒸し暑い一日でした。さて何を書きましょう。そうそう、今日は授業で家族の名称をしたのですが、クラスの中に夫がいる中国の学生と妻がいるスリランカの学生がいて、それを知った韓国の学生がその度に「おお、結婚ですか」と言ったのがおかしかったです。「結婚している」という言い方をまだ知らないのです。そうそう、いつもは元気な学生がパソコンに向かって沈んだ表情をしていたので「どうしたの」と聞いたら、「株価が下がっちゃって」と言ったのもおかしかったです。彼は香港の元ビジネスマン、数日前の話です。明日はからっとした一日になると天気予報で言っていました。
5月16日(日)
テレビで見たものが食べたくなります。この間は、アスパラを買ってきてゆでてマヨネーズをつけて食べました。今日は、昨日の晩見た水餃子を作りました。やっぱり焼き餃子の方が好きだなあと思いながら食べましたが、料理をしている時はあれこれよけいなことを考えずに集中しているので、心休まるひと時です。ああ、休日が終わってしまいました(16分経過)。
5月15日(土)
実家の母から宅配便が届きました。送ってほしかったものは一つだけ、その他にお菓子や健康サンダルやお鍋が入っていました。一人暮らしをしていた大学生の時にも母からの箱には同じようなものが詰まっていましたが、いくつになっても宝物箱の到着のようでわくわくするものだなと思いました。学生たちにも学校宛によく荷物が届きます。何が入っているのかズシンと重いもの、キムチの匂い(臭い)を放っているもの、色々ありますが、皆一様に嬉しそうな顔をして持ち帰ります。写真は14年来私たちの学校の清掃管理をしてくださっている会社の皆さん。日本に一人で住んでいると、人の優しさほど嬉しいものはないのではないかと思います。学生たちの人気者です。時に私たち以上に学生たちの生の声を聞き交流してくださっています。ありがとうございます!
5月14日(金)
信濃町校2階のコピー機から火が出て、学生全員が近くの公園に無事避難したのを見届けてから高円寺校に来ました。…今日は信濃町校の消防訓練でした。高円寺校に来たら、スタッフのAnさんに「顔がやせましたね」と…。やせたというか、疲れているというか、やつれているというか。カウンターの下の引き出しに入っているものを取るためにしゃがんだら、そのまま立ち上がるのがイヤになってしまいました。諸々の仕事のために出勤しなければならない人たちには申し訳ありませんが、明日と明後日は休ませていただきます。(今日は初めて高円寺校でこのページの更新をしました。)
5月13日(木)
ここ数日、バタバタバタバタと必要最低限のことだけをこなして毎日をやり過ごしているという感じです。今、とても気になる男性がいます。スーツにネクタイ姿、通勤かばんを膝の上に乗せて、毎朝駅のベンチに座って文庫本を読んでいるおじさん。「今日もいるかな」と姿を探すのが日課になりました。仕事を引退した人なのか、させられた人なのか。髪振り乱してでも毎日する仕事があるほうが幸せなのかもと自分に言い聞かせて、気づいてみれば明日はもう金曜日。
5月12日(水)
コンビニのキャッシュディスペンサーでお金をおろしました。ちょっと怖いですね、すぐ後ろで誰かに見られているようで。終始ドキドキでした。キャッシュディスペンサーといえば・・・。暗証番号を押したのに待てど暮らせど全然先に進まない。よく見てみたら計算用に機械の脇に貼り付けてある電卓のボタンを押していたという人。何十万かの大金をおろしたのにそれを持ち帰るのを忘れて家に帰り、銀行からかかってきた「おろしたお金、ありますか」という電話で気づいたという人。お二人ともかつてインターカルトにいた先生です。
さて今日は全東京地区の学校が集まる日振協の緊急協議会でした。休憩時間に、ある学校の人に「インターカルトさんも危機感あるんだよねえ」と聞かれました。似たようなことを言われたことが今までにも何回かあります。どうも私の顔は“のんき顔”らしいのです。危機感、ありますよ。
5月11日(火)
一昨日の文章、わかりにくい部分があったたようなので少々補足を。「自分(たち)で道を切り開いていくしかないと思っています。」の「自分(たち)」は「学校経営者(たち)」です。そして、「もしかしたら私たちが前提と思っている何かが根本的に違っているんじゃないかという気もしなくもないのです。」、これを書いている時に私の頭の中にあったのは日本語学校というものの存在、その存在意義のようなものでした。
今、今月末に行われるインターカルトの経営に関する総会の資料作りをしています。平成15年度に私たちがしてきたことを改めて振り返ってみて、日本語学校はやっぱり必要、私たちが存在する意味はちゃんとあるんだという認識を新たにしています。一昨日いろいろと書いたのは、経営者の端くれとしての日本語の先生たちに対する責任の気持ちです。自分がなってみて、日本語教師はただの語学教師ではない、奥の深いやりがいのある“職業”だと心底思いました。本気でやると決めたら、決めたからには、自由な発想で時に視点を変えてさらなるキャリアアップを図っていって!と、特に若い先生たちに言いたいです。その環境作りは、それは端くれの仕事なんだと思います。
これ以上続けていると、またまたわけがわからなくなりそうなのでこの辺で。そう、私は明日中に何が何でも総会の資料を完成させなければならないのです。まいった。もっと余裕をもって始めればいいのに・・・いつも。
5月10日(月)
ワープロなどない時代でした。漢字のテキストやプリントが学校に準備されているということもなかったので、担当教師が毎回毎回そのクラスのために自分で作っていました。17年前、デュプロという名の手書き原稿を青色印刷した漢字プリントに「堤防」の「堤」を「提」と書き、「先生、これ違うんじゃないですか」と学生に指摘されてしまいました。私は日本語教師1年生、それも初めての授業、相手は最上級クラスの学生。山手線に乗って一生ぐるぐる回っていたいほど落ち込み、その後しばらくの間、自分で作ったプリントの一字一句すべてを辞書で引いて確認しないと不安でした。その、指摘してくれた彼とは彼の卒業後には会うこともなかったのですが、なんと今日突然、彼が学校に現れました。テレビ番組制作の仕事をしているとのこと、取材の申し込みだったのですが、「あー!」と驚いた次の瞬間17年前のあの日がよみがえり思わず背筋を伸ばして敬語で話してしまいました。・・・今日から久しぶりにレギュラーの授業に復帰しました。彼の出現は、浮かれている私に「初心忘るべからず」の戒めだったかも。
5月9日(日)
先週届いた『月刊日本語』6月号の特集は、日本語教師へのアンケートでした。日本語教師になってよかったかという質問に対して98%の人が「はい」と回答しているのに、報酬については大半が「不満」。その理由は「生活できない」。生活できないような職業を職業と呼べるのだろうか、日本語教師。売れない作家や俳優とは違う、第一線で働くプロなので。けれど原資がないことには。外国人への自国語教育先進国である欧米諸国の語学学校と比較すると、日本語学校の授業料は安価そのもの(注:ただし欧米の語学学校は基本的に少人数制のクラス編成なので、授業料に比例して教師の待遇がいいというわけではありません)。ともかく世間並みにと私たちだけ値上げしたら、学生は来なくなるだろう。それじゃあ皆さんご一緒にと言っても、今一応は成り立ってしまっているわけだから同調してくれる学校がいくつあるか。それに、日本の生活費の高さを考えたら授業料の大幅値上げは非現実的な話。今まで、生活できないという理由で日本語教師に見切りをつけて去って行った“いい先生”たちもいました。薄暗くどんよりした今日の天気も明日にゃ晴れると信じてどうにかなる・・・じゃあない。自分(たち)で道を切り開いていくしかないと思っています。じゃあ、どうやって?という声が聞こえてきますが、とにかく。けれど、もしかしたら私たちが前提と思っている何かが根本的に違っているんじゃないかという気もしなくもないのです。
5月8日(土)
ちょっと見ていない間にインターカルトのHPがずいぶんとリニューアルされていました。「日本語学校トップ」「日本語を学ぶ」「学生の声」(以上、画面左側に表示)をはじめとする諸々は従来からの全体の制作者日原先生によるもの、そして学校までの地図「信濃町校」「高円寺校」は高円寺校スタッフの安さんの、「サイトマップ」(以上それぞれ画面上に表示)は非常勤教師の伊東先生の手によるものだそうです。HPでも何でも、皆で携わって何かを作り上げていくというのはいいものだ・・・としみじみ。
5月7日(金)
広告業界以外の方、「シズル感」という言葉を知っていますか。1枚のケーキの写真を前に、初級の文型「~そうです」導入の課で「おいしそうです」の絵教材として使えるんじゃないかという話をしていた先生二人の脇で「このケーキにはシズル感がないのよねえ」と別の一人。「シズル感?」 そこにいた人たちが一斉に辞書やインターネットで調べ始めました。シズルはsizzleで、「客の官能を刺激して買いたい欲求を起こさせる要素」、本来はビフテキを焼くときの「ジュッ」という音を示す言葉だそうです。シズル感と言ったのは元広告業界の人。日本語の先生は前職持ちが多いので面白いです。副産物は「木の枝などに積もった雪が落ちる」という意味の日本語「しずる(垂る)」で、シズルを調べている時に知りました。去年の一泊旅行の時に撮った写真、シズル感あるかなと思って載せましたが、木になる桃は購入意欲の対象じゃないですね。
5月6日(木)
童門冬二の「全一冊 小説 新撰組」(集英社文庫)589ページを読み終えました。童門冬二が書くものを読み始めたきっかけは10年前、韓国三星グループ理事対象の研修で、「尊敬する人は」と尋ねたところ「上杉鷹山」という名前が挙がり、童門冬二が書いた上杉鷹山を読んだその時からです。新撰組局長、近藤勇の顔はSMAPの香取慎吾、以下、土方歳三、沖田総司、芹沢鴨・・・、物語の進行と同時に単純かつ単細胞の頭に浮かぶのはNHKでその役を演じる俳優の顔。読み終えて一眠りしたら成田でした。
5月5日(水)
3月3日の桃の節句のひな人形はすぐにしまわないと娘が嫁に行き遅れると言うのに、5月5日の端午の節句にはあれこれ、たとえば息子が婿に行き遅れるとは言わないんですよね。写真は先月行った台湾で撮ったものです。時に日本と見間違えるような風景が外国にあります。パディントン駅を見下ろす屋外風中二階にはプラスチックのふたをされたお皿がぐるぐる回る回転寿司があり、賑わっていました。ホテルから空港へ、そして飛行機に乗り込んでいつの間にか5月5日は終わりました。
5月4日(火)
何キロというきまりがあるようなのですが、朝9時半以降発の一日往復乗車券は通常料金の半額以下だと聞いたので、9時33分発の列車に乗りました。行きと帰りとで7時間近くを要するその場所に行きたいとチケット売り場で言ったら、「本当に今日帰ってくるつもり?」と係の女の人に大笑いされてしまいました。行った先は南西部の海岸沿い、アガサ・クリスティの故郷。海のない所で生まれ育ったので、私の永遠の憧れなんだと思います、海は。
5月3日(月)
年をとると早く目が覚めるようになるのは体内時計が狂い始めるからだそうです。昨日も今日も明け方3時半に目が覚めて、そのまま起きてしまいました。これは時差のせいです、きっと。18年前、日本語教師になろうと決め、その前に語学学校の学生を体験してみようと思って入った南海岸の町の英語学校まで行ってみました。勉強といったら授業と宿題だけ、あとはパブにディスコに、週末はもっぱらそこいら中を旅行・・・とイギリスの生活を満喫していたあの頃でした。
5月2日(日)
明日は祝日(バンクホリデー)のために鉄道の本数が極端に少なくなり、明日行こうと思っていたところに行くと明日中に戻ってこられなくなるということが駅の人の話でわかったので、明日と明後日の予定を入れ替えることにしました。時刻表を見ながら電車を乗り継いで目的地まで行くとか、本屋さんで買いたい本を店員さんに聞いて探すとか、日本留学試験の「日本語」で試される課題達成・問題解決能力の英語版・・・。
5月1日(土)
午後3時過ぎ、日本では間もなく明日になる時間にロンドンに着きました。場所はどこであれ時々自分を日常から切り離すことが必要で、そんなわけで私の今日は32時間ありました。