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2004年4月

4月30日(金)
 今日の高円寺校は大忙しでした。クラス毎に杉並保健所まで出掛けるレントゲン撮影の最終日、午前・午後クラス対象の「日本人との交流」、インターカルト奨学金授与者の発表・・・。日本人との交流は大盛況でした。実行委員長のAnさんお疲れ様。ボランティアの日本人の方々が15名ほど来てくださいました。この行事は信濃町校の方が先輩で、高円寺校では初の試みでした。これから両校とも毎月定期的に開催され、別に料理パーティーなども計画されています。そして、数年ぶりに再開したインターカルト奨学金授与者には両校から計10名が選ばれました。応募者は成績、出席率など全員がほぼ完璧で、審査委員の先生たちはそれはもう大変な苦労をして決定しました。そうしてやっと終わった今日、学生たちは「良いゴールデンウィークを!」と英語をそのまま日本語にしたような台詞を言って帰って行きました。私も明日からちょっと遠出をして一休みです。次は5月6日に6日分まとめて掲載します。



4月29日(木)
 久しぶりに10時間くらい寝ました。充分な睡眠をとると最終的には体調絶好調なのですが、起きてしばらくの間、体中がだるく腰が痛く、時によってはひどい頭痛に襲われます。悲しいことに私の体は寝不足に慣れてしまっているんだと思います。起きてすぐにテレビをつけたら、閣僚たちの年金未納問題についてやっていました。人間、偉そうなことを言うもんじゃありませんね。それにしても強行採決とは・・・。ちなみに私は今まで隙間なく私学共済→国民年金→厚生年金と支払っています。今日は夕方から日本語教育学会の研究集会委員会でした。7月31日と8月1日の実践研究フォーラム「実践から研究へ、研究から実践へ」の準備会です。



4月28日(水)
 プーププププーププー、チンチンドンチンドンドン♪ ちんどん屋が学校のそばを通りました。ちんどん屋とは「人目を引く派手な服装で、三味線・太鼓・鐘・クラリネットなどを奏しながら、広告・宣伝をして歩く職業」(大辞林)、駅前にゲームセンターか何かがオープンしたんだそうです。商店、食堂が立ち並ぶ高円寺は、ちんどん屋が自然に溶け込む街です。そして閑静な街、信濃町では・・・数百人を収容できる“私たちの卒業式会場”ジョン万次郎が、広い店内をいくつかの小さなお店に分割することに!「まだご予約はいただいていませんが」とジョン万次郎から直々に、ジョン万担当スタッフBoさんにお知らせの電話があったそうです。はてさて私たちの卒業式、来年は何処で・・・。しかし難しい話は後にして、明日はとりあえず目がとろけるほど寝ようと思います、みどりの日、祝日です。


4月27日(火)
 天気と気分は連動しているように思います。今日のように強風吹き荒れ横なぐりの雨が降っていると、知らず知らずのうちに同じような言動をしてしまいます。お、まずいまずいと思った時は後の祭り、思わず「あ~した天気になあれ」と祈りたくなります。そんな、どうしようもない天気の中、高円寺校の学生たちはわいわい言いながら杉並保健所にレントゲンを撮りに行きました。彼らはいつも私の救い、支えです。


4月26日(月)
 一昨日の土曜日に、インターカルト日本語学校主催の日本留学試験模擬試験を韓国のソウルで行いました。沼田先生と企画開発室の田中室長が行って、試験問題の解説などをしてきました。


4月25日(日)
 今日は美容院に行く予定でした。朝予約の電話を入れたところ、いつもの受付けの女性ではなく若い男性が出ました。「予約をしたいんですが」「何時がよろしいですか」(指名する美容師の名前を先に聞かなくていいんだろうか?)。「お昼ごろ」「ご指名は?」「Tさんで」「あ、Tは今日から3日間お休みをいただいています」(ほら、やっぱり)。「じゃあ、別の方でも」「どのレベルがよろしいですか。それによって技術料が違うんですが」「は?」(そんなこと知らなかった)。「Tは一番上なんですが」「それじゃあ、同等の方に」「少々お待ちください」・・・電話を保留にせずに誰かとごそごそ相談・・・。面倒くさくなったのでやめました。けれど私が悪いわけではないのに予定が狂うのは悔しいので自分でしました。ストレートパーマ、技術料は最低レベルのため0円、液代1,000円ほどの出費ですみました。電話の応対、反面教師とさせていただきます。



4月24日(土)
 今の季節の緑が一番好きです。緑と一言で言っても、木によって枝によって微妙に色が違います。今日は、近所にある大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)の緑の中を歩きました。初夏のようだった昨日と違い、今日は肌寒いくらいの陽気でした。けれど待ちに待っていた今の季節なので、半袖のTシャツに薄手の上着をひっかけただけの格好でいたら体中がすうすうぞくぞくしてきたので、出掛けた先で腰にホッカイロ、肩に温湿布を貼り、ストーブをつけてもらいました。今まだ三寒四温(さんかんしおん)の季節、伊達の薄着(だてのうすぎ)もほどほどにしなければと思いました。


4月23日(金)
 高円寺校の新入生Tさんは、この1ヶ月弱の間に3回も警官に声をかけられ身分証明書の提示を求められたそうです。意図は治安維持なのでしょうが、外国人イコールそれという思考回路、短絡的行為に腹が立ちます。それによって何人もの普通の外国人たちが傷つき、日本に対して不信感を持つようになっていると思います。冷や汗が出る思いでその話を聞いていたのですが、小柄で少年のような顔立ちの彼は言いました。「どうしてみんな私が外国人だってわかるかなあ。私は警官をほめました」。彼は特別に素直な外国人なだけです。さっき、仕事の帰りに高円寺駅の構内にかたまって立っていた顔に見覚えのある集団に声をかけられました。韓国人、台湾人、信濃町校、高円寺校、男性、女性が入り混じったインターカルトの新入生たちでした。限りなく初級に近い日本語レベルの学生たち、皆で飲みに行った帰りだそうです。共通語日本語でどんな話をしたのでしょう。彼らを犯罪から守る立場だと思うのです、警官も私たちも。


4月22日(木)
 今年の4月生の入学式は4月1日でした。インターカルトの入学式は他の多くの学校とくらべると、いつも時期が少し早いようです(年間800時間の授業時間をとろうとすると必然的にこの時期になってしまいます)。ですから、本国の日本大使館でのビザ取得に時間のかかる国からの学生は入学式の後に来日ということになってしまい、今でもぱらぱらと新入生がやってきています。特に初級クラスでの一日の違いは大きいため、遅れて入ってきた学生たちのために教師が交代でキャッチアップレッスンをしています。人によってエンジンのかかり方が違い、まだ思い通りにスタートが切れていないんじゃないかという表情をした学生を見ると心配になります。反対に全然エンジンがかかっていないにもかかわらずとても明るく元気な学生もいて、それはそれで心配になります。


4月21日(水)
 「プロ野球の監督の中で誰が好きか」養成研究所事務局の人たちとそういう話になりました。“ばかやろう、俺についてこい”タイプを好む星野・野村・大沢派と、“あくまでも穏やかに”の関根派に分かれました。関根さんを推したのは私で、他の皆が強さ、激しさを良しとしているのは驚きでした。が、何であれ、この元監督の皆さん、名前が挙がるという意味では全員凄いんだと思います。今日、驚いたことはもう一つありました。私は軽肥満になっていました。まさかと思う人もいるかと思いますが、数ヶ月振りに思い出して体脂肪計で量った結果です。体脂肪が多いか少ないかは見た目とは関係ないそうです。俗に言う「隠れ肥満」。そう、私は「隠れ“軽”肥満」になってしまったのです。驚きというより、ショック―。


4月20日(火)
 朝7時半に迎えにくると約束したタクシーの運転手さんが現れたのは7時50分でした。半を過ぎたあたりで「たぶん遅れてくるのだろう」と思い、食べないで出ようと思っていた朝ごはんを外が見えるホテルの1階の食堂で食べていた40分に「渋滞で10分遅れる」と電話があったのでお粥(かゆ)をもう1杯食べました。車に乗ってから聞いたら、目が覚めたのが7時半だったとのこと。「I'm sorry」と何回も言われましたが、もともと怒る気もなかったので「メイクァンシー(大丈夫)」と言いました。物事のとらえ方や感情、そして時間の感覚も、自分が今いるところにちゃんと適応しているようでした。ぼわーんと暖かかった台湾から無事帰ってきました。明日からまたせかせかばたばたしてるんでしょう、私はきっと。



4月19日(月)
 台北の天気は晴れ、気温28℃、心地よい暑さです。今日は朝から晩まで台湾の人たちと日本語で話していました。外国語で一日中会議ができてしまう彼女彼らは立派です。最後には「頭はめちゃくちゃ、ちゃんぽん」などと言っていたので、さすがに相当疲れた様子でしたが・・・。達磨(だるま)の収集をしている台湾の方Lさんも途中から話に加わってくださいました。インド人(=外国人)でありながら中国(=外国)で名を成したこと、そして「七転び八起き(ななころびやおき)」の精神を留学生へのメッセージにしたいとおっしゃっていました。


4月18日(日)
 台北にインターカルトの事務所「草苑」ができたのは1985年。ああ来年は20周年なんだと気づきました。今の草苑のメンバーは元気で明るくて情が深くて涙もろくて食欲旺盛な女性三人組、ソンさん、ソさん、チョさん。あと1時間ほどしたら家を出て、夕方の飛行機で台湾に行きます。あさって帰ってきます。


4月17日(土)
 今日は全養協(全国日本語教師養成講座連絡協議会)の理事会と総会でした。その帰り、「走ってあそこのコンビニの前まで行きなさい」と言ってお母さんが小さな女の子に“○○いちご”と書かれた箱を持たせました。うちの近くの八百屋さんの手前。たぶんそのお母さんと八百屋さんは知り合いで、よその店で買ったいちごを見られるのはまずいのだと思いました。私にも、その女の子と同じ年の頃に似たような思い出があります。近所に酒屋さんと八百屋さんがあって、その両方の店先でスイカを売っていました。私と妹は母に八百屋さんでスイカを買ってくるように言われ、それを買って一つずつ抱えて大きな高級スイカが並ぶ酒屋さんの前を通って家に帰りました。そうしたらその晩、父が“鬼瓦(おにがわら)”とあだ名していた酒屋さんのおじさんが酔っ払ってうちに怒鳴り込んできました。生まれて初めて酔っ払いを見た私は、怖くてずっとカーテンの後ろに隠れていました。今でもスイカを見ると、あの夏の日のことを思い出します。お酒が一滴も飲めなかった父も鬼瓦も、亡き人となってからずいぶんたちます。


4月16日(金)
 新選組!(「せん」は「選」で「撰」ではないのですね)の前の前のNHK日曜夜のドラマは前田利家でしたが、その妻まつは「わたくしにお任せくださいませ」と事あるたびに言い、一つ一つの問題を解決、いえ、事をまるく収めていました。「まかせる」という漢字「任」は責任の任。イラクで無事解放された三人については自己責任か否かで見解が分かれています。任せる、任せられる・・・今日も私は「任せて」と言いました。言葉には出さなくても、その台詞を毎日言っているような気がします。まつのように首尾よくできる時とできない時があります。でも任せられることは嫌いではありません。問題なのは、人に任せた時に寂しくなってしまうことです。要は往生際が悪いということかもしれません。


4月15日(木)
 桜はすっかり散りました。両校を行ったり来たりしながらも、多く高円寺校で学生に接しながら2週間が過ぎました。いろいろな国から来た学生たちが声をかけてくれます。この間も書いたように学生の出身国・地域が増えたために、語学学校らしくなってきました。インターカルトはもともと学生の多くを欧米人が占める学校でした。今までの国籍数は54カ国、ですから語学学校らしさを取り戻しつつあると言ったほうが正しいかもしれません。設立理念は「CCC」。今日、修学旅行で東京に来ている福島県二本松高校の女子高生たちが信濃町校にやってきました。不安気な表情で現れた時とは打って変わり、「楽しかったです」と言って元気に帰って行きました。外国人が上手に日本語を話すのを目の当たりにしてびっくりしたそうです。これもCCC―Cross-Cultural Communications。これからもCCCを提供するインターカルトであり続けたいと思います。



4月14日(水)
 誰かと話すことが今の私の一番の仕事かなと思う今日この頃です。とにかく人の考えや意見を聞いて、自分も思うところを話して、その上でどうしたらいいかを決めていくというのが私のやり方なんだと思います。それぞれ立場も物事の受け止め方も違うので、全てのことを全員の合意で行うのは難しいです。けれど、そういう過程を経ることでお互いに理解し合い、譲れない部分はあっても認め合えることに意味があると信じています。今日は一日それで終わってしまいました。俺、いや私に黙ってついてこい!と言えたらかっこいいだろうなとは思いますが、それは私の永遠の憧れで終わると思います。写真はこの話とは関係ありません。インターカルトのHPのプロデューサー日原先生(右)の北海道のお母さん、中島先生(手前)の群馬のお母さん、田中室長(左)の中国地方(どこでしたっけ?)のお母さん、今朝撮った写真です、ご覧ください。



4月13日(火)
 日本語教員養成研究所修了生の海外ネットワークの活用と新たな形の海外実習始動の準備がほぼ調ったようです。海外実習は今までその期の修了生だけを対象にその都度一国だけでしていましたが、修了生も参加可能、国もいくつかの中から選べるようになるらしいです、なるようです、なると聞きました、なります。正確なお知らせは追って研究所からあると思いますのでお見逃しなく。そして日本語学校の今日の新着情報は「入試対策講座」 。インターカルトの学生ではない人も受けられます。どうぞ皆さまお出でください。
 さて今日私は、先月お亡くなりになった三省堂の元会長上野久徳先生を偲ぶ会に行きました。古くからの教職員そして数年前の卒業生は覚えていると思いますが、インターカルト日本語学校は上野先生に多大なるご厚意を賜りました。これからもしっかりやっていくことこそが私たちにできる唯一のご供養だろうと思っています。


4月12日(月)
 午後、信濃町校に来たら皆に「お久しぶりです」と言われてしまいました。信濃町分と高円寺分と体が二つあったらいいんですけど。久しぶりといえば、先週高円寺校に突然15年以上前の卒業生が訪ねてきました。まだ高円寺校が進学課程だった時代の学生です。当時私は早稲田校にいたので彼とは初対面だったのですが、「先生は石川(裕)先生に似てる」と言われました。これはかつてよく言われたことです。似てるといえば、日本語学校の間ではかなり名の知られている養成の後輩、砺波さんとは姉弟なんじゃないかと台湾辺りで言われています。台湾といえば、台湾人スタッフ彭さんとも似ていると言われます。教師になりたての頃「先生は有名な女優に似ています」と言われて喜んでいたら、その女優は山田邦子だったのでかなり複雑な気持ちになったということもありました。信濃町校の近くのF酒店のおじさんは今高円寺校にいる牧さんと私が姉妹だと思っていたそうです、10年もの間ずっと。結局どこにでもある顔ってことですよね、私の顔は。


4月11日(日)
 半袖のTシャツ1枚で過ごせる陽気になりました。桜もほとんど散って、この季節が過ぎると私の一年は速いです。屋根の上で瓦(かわら)の修繕をしている人がいました。日曜日はあちらも休んでいるからかそれほどでもないのですが、平日に家にいると本当に色々な電話がかかってきます。健康食品、新築マンション、墓石の売り込み、ふとんの丸洗い等など。それぞれに断りの台詞を準備しているのですが、屋根瓦の張り替え屋さんには「すみません、うちには屋根がないんです」と言います。本当にないのです、マンションなので。ちゃんと調べてから電話してきてほしいです、まったく。



4月10日(土)
 成田に着いた瞬間から学生たちの真っ白いキャンバスに一つ一つ色が置かれ始めます。その後、自分の手で予定通りの絵を完成させる学生がいる一方で、完成させられないままに帰国する学生、さらにはなぜその色を・・・という学生も時折います。それは自ら塗っていることもあれば、それと気づかず塗らされている場合も。7月生の申請締め切りが目前に迫った今日、学務のスタッフたちは休日返上で書類の最終チェックをし、提出の準備をしています。書類を預かった全員の夢をかなえるために真剣にです。そして晴れて彼らが入学してきたら、そのキャンバス一枚一枚に対する責任の所在はまず彼ら自身になのですが、受け入れる学校にもまた、それを見守り、支援し、時に軌道修正させる責任があるということを私たちは自覚しているつもりです。一人でも多くの学生に、申請した時に夢みたとおりの、いえそれ以上の絵を完成してほしいと心から願っています。今日、私は秋葉原に行きました。


4月9日(金)
 通勤時間を少し外れた電車は、普段自分が乗っている電車より空いているにもかかわらずずっと混んでいるような気がします。それは電車の中の“暗黙の秩序”を乱す人が混じっているからだと思います。本当に混んでいる時間帯の乗客たちは少しずつ体をずらして無駄なく両側の窓に向かって立ち、一人誰かが降りたらそこに別の誰かがするっと体を滑り込ませて隙間を埋めるといった混雑緩和の術を知っているのに対して、混んでいることに慣れていない人たちは好き勝手な方向を向いて立ち、ごそごそと体を動かしたり遠くの方から手を伸ばして吊り革につかまり続けていたりするのです。最悪なのは、皆であっちを向いて立っているのに一人だけこっちを向いている人です。運悪く押されてその人の真正面が自分の場所になってしまった時、そのままでは自分の顔の10cmくらい前に相手の顔があることになってしまうために無理に首を横にひねってそれを避けるのですが、その不自然な格好で目を開けているのはとてもマヌケなような気がして、ずっと目を閉じて息を潜めていなければならないという非常に辛い状況になります。



4月8日(木)
 仕事が終わってから、友達と豆腐料理のお店に行きました。今年になってから3回め、1月にある人に初めて連れて行ってもらい、2回めの時は違うメンバーで私ともう一人が偶然にもこの同じお店を推薦しました。そして今日、また違う人を誘っての3回めです。料理のおいしさ、お店の雰囲気の良さもさることながら、2回めに行った時、お店の人が私の顔を覚えてくれていたということも私を嬉しくさせたのだと思います。人から人へ・・・、経済的で最も効果的な“広告”だと思います。いわずもがな、学校もです。



4月7日(水)
 2001年から3年続けて「今年の目標」の一つに“学生の多国籍化”を挙げました。当時5つ程度だった学生の国・地域が、今日現在17です。以前は韓国語と中国語、時に英語があればどうにか事足りました。英語は世界の共通語なんていうのは嘘で、英語が話せない人もいます。そうなったらあとは身振り手振りしかなく、そういう人たちには特に意識的に笑顔を送り、笑顔が返ってきたらそれで意思の疎通が図れたような気がして嬉しくなります。同じ日本語を使う日本人同士でもコミュニケーションをとるのは難しいなあと思うことがしばしばあることを考えると、笑顔は明らかに言葉を超えているという思いを強くします。私たちはコミュニケーションのための言葉を教えることを生業としているのですが、言葉だけではないんですよね、人と人との心を結びつける手段は。


4月6日(火)
 テコンドーの岡本依子さんもマラソンの高橋尚子さんも、スポーツ選手は偉いなと思います。自分の力だけを頼りに勝負しているので。どうも最近、人の力を借りて勝負しているような気がしています。極端な言い方をすると「他人の褌(ふんどし)で相撲をとっている」というような・・・。岡本さんと高橋さんがオリンピック出場でガタガタしたのは、そこに他人の力が介入したから。自分の力で2階にのぼったと思っていたのに、ストンと梯子(はしご)を外されるっていうこともありますよね。それは結局自分の力でのぼっていなかったっていうことなのかもしれません。新しい学期が始まり、新入生と在校生と先生たちがどどどっと一気にやってきて学校はまたにぎやかになりました。


4月5日(月)
 昨日から、家のパソコンでもHPの更新ができるようになりました。こうして私は自らの仕事を自ら増やしています。日本語の先生も、家でする仕事がたくさんありますね。一般の学校の先生の準備がどれほどかは知らないので“井の中の蛙(かわず)”的発言になりますが、日本語教師が授業の準備に費やす時間は並大抵のものではありません(経験者が語っているので間違いない)。そして仕事は授業だけではなく、たとえば「日本留学試験対策講座」や「外国人のための進学案内」も、自宅での問題作成、勤務時間外の作業によって支えられています。前者は日本語ジャーナル問題作成プロジェクトの先生たちが交代で、後者は“あっちこっち”を連載してくれていた写真の彼が主宰する進学情報室が提供しています。日本語学校も日本語教員養成研究所も、今日から新学期スタートです。


4月4日(日)
 某大学、某日本語学校の人それぞれから、たて続けに「HPの更新を毎日するのは大変でしょう」というようなことを言われました。「○○新聞のコラムだって4人の担当者が交代で書いているんだよ」とか「あのアキヤマチエコさんも毎日の話題探しに苦労してるって言ってたよ」とか。けれど、それはそれほどでもないのです。というより、楽しんでやっています。養成以外の対象は海外なので日本語だけで書くのは本意ではないのですが、語学力の問題で仕方がありません。いつかどこかに「これは日本語版だけじゃもったいない」なんて言って翻訳してくれる殊勝な方がいたら、それは感謝感激。一応、世界各国に向けて"ボランティア募集中!”。今日は朝から雨、今の話はすべて水に流してください。


4月3日(土)
 アメリカのメーン州で日本語教師をしている修了生小林直人さんが「地域にとても貢献している」という話を聞いたと所長の山田先生。日本でもないアメリカでもない地球の裏側で偶然同席したメーン州に住む方がおっしゃっていたそうです。たった今聞きました。小林さんは1986年10月期生、インターカルトの専任教師を経て、10年ほど前に奥様の国アメリカに渡り、その後はメーン州での日本語教育“草分け”の人…。修了後の活躍の場は日本国内だけではありません。数年前に修了した根橋さん、その後の田淵さんと野村さんはHPでその様子をのぞくことができます。今日は日本語教員養成研究所実践コース2004年4月期生の開講式。31名の新入生たちは希望に満ちた表情を浮かべながらも、「6ヶ月間大変だぞー」と脅かされて、ちょっと不安そうに帰って行きました。大丈夫。期待しています、どうぞよろしく。


4月2日(金)
  先日ふらっと入ったドトールコーヒーに置いてあったドトール創業者の今日までのことが書かれた小冊子を、コーヒーを飲みながら読みました。創業者T氏が将来を夢見てブラジルに渡ったのは「終戦から14年がたとうとしていた」年=私が生まれた年。私の高校では行事がある度に♪戦争を知らない子供たち♪を歌って(歌わされて)いました。戦争を知らないということが当たり前ではない、歌に歌われる時代だったということでしょう。その冊子に現在の店舗数は書いてありませんでしたが、まだ影も形もない時代からちょっと歩けばドトールありという今日までの歴史と同じだけ私の歴史もあるんだと複雑な気持ちになりました。今、テロを警戒して、駅のゴミ箱に蓋がされたりゴミ箱ごと撤去されたりしています。この、一見平和な東京のど真ん中にいる自分が恐くなるときがあります。私の歴史が終わるまでの間に戦争とかテロとかという言葉が完全に過去の言葉になっていればいいと願っていますが、そのために何をしたらいいんでしょう。



4月1日(木)
 白紙に戻す、ふりだしに戻る、チャラにする、リセットする…。今まで歩んできた人生を変えてみたいと思った時、そのきっかけを海外に求めることが珍しくない時代になりました。大きなカバンをガラガラと転がして、海を越えて日本にやってきた彼らの中にもそんな人が少なからずいるのかなと思いました。今日は日本語学校の入学式。今では恒例となった新入生一人一人の自己紹介を聞きながら、そんなことを考えていました。しかししかし、「この間、高校を卒業したばかりの18歳です!」なんて言って、ぴょんぴょん飛び跳ねるようにして檀から降りて行った学生を見ると、ああ、やっぱりいたいた、希望に胸ふくらませ組も。あっちもそっちもこっちも皆、今日からインターカルト日本語学校の学生です。どうぞよろしくお願いいたします。今日の自己紹介は“片言の”も含め全員が日本語でしていました。


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