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2004年3月

3月31日(水)
 新入生たちに交じって卒業生が何人かひょっこりとやってきます。友だちや弟がインターカルトに入学するので一緒についてきたとか、仕事で日本に来たので寄ってみたとか、なぜかまた日本に来ちゃいましたとか。人の顔を覚えるのは苦手ではないのですが、同時にいろいろな人が出たり入ったりしていると、どれがどれだか、何が何だか混乱してしまいます。2年前に香港でした同窓会で、見覚えのある顔に思わず駆け寄り肩を揺すって「ああ、懐かしい」と言ったら、それは同窓会の直前にした入学説明会に来ていた人で、見覚えがあるというのはその直前に見た記憶だったということもありました。その彼、今は正真正銘の卒業生となって、新入生の面倒をみるお手伝いをしてくれています。明日は“タンス”と呼んでいる牛込箪笥(うしごめたんす)区民センターで入学式です。


3月30日(火)
 先期も行った日本語教員養成研究所修了生の海外研修ですが、先々週、台湾の新民高校で無事終了しました。授業での実習と違って50名もの生徒を前にした授業、新民高校の先生の授業見学、生徒の自宅でのホームステイ、学生たちとの交流会の様子などについて話す引率の吉川先生は満面の笑顔でした。台中の新民高校の先生方、生徒の皆さん、本当にお世話になりました。今、続々と新入生たちが来日していますが、台湾ご一行様も昨日の晩到着しました。今度は私たちがお返しをする番です。


3月29日(月)
 先日、某氏に送ったメールに「藁(わら)をもすがる思いの・・・」と書き、次の日に道を歩きながらはたと「藁にもすがる思い」だったと気づいて慌てて訂正のメールを送りました。その後何となく気になって電車を待っている間に携帯のiモードで無料で検索できるデイリーコンサイス国語辞典を見てみたら、「藁にもすがる思い」はもちろん正解、「藁をも」は「すがる」ではなく「つかむ」で、「おぼれる者は藁をもつかむ」という時に使うのでした。お恥ずかしい話です。さて今日と明日は新入生の来日ラッシュ。余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の新入生もいるでしょうが、そうでない人たちのために藁以上の役目をしなければと思います。


3月28日(日)
 昨日今日と二日続けての総会議長、今日はマンションの管理組合の総会でした。理事は一年交代の輪番制で、去年の自分の誕生日にあった理事会で他の理事のオジサンたちと一緒に引いたあみだくじで理事長が当たってしまいました。正確にはうちの世帯主が理事長なのですが、渉外は私の担当なので仕方がありません。くじで決まったぐらいなので最低限の仕事しかせずに一年の任期が終わりました。これであれやこれや個人的にしていたこと全てに一応のキリがつき、何となくほっとした今日でした。桜は満開、土鍋でたけのこご飯を作りました。


3月27日(土)
 午前中は日本語教育学会の評議員会と総会でした。総会では頼まれて議長をし、そのまま高円寺校へ行って早々に到着している新入生たちに会って帰ってきました。駅から家に着くまでの道は数年前から拡張工事のために片側に建つ商店の立ち退きが続いています。写真の建物は味噌、醤油、漬物、かりんとう、お煎餅といった食品から、ざるのような雑貨まで扱うお店でしたが、後ろに建ち始めたビルの完成間近となったある日、とうとう取り壊されました。それからというもの、そこを通りかかっては店先で時折見かけたおじいさんはいずこへなどと感傷的になっていたのですが、周辺の数店を立ち退かせて後ろに完成したビルの名前が雑貨店と同じであることに今日気づきました。こういうの、トホホって言うんでしょうか。雑貨店が建てたむつみやビルの写真、明日載せます。


3月26日(金)
 「今日もこどもの国線をご利用いただきありがとうございます」「はい!」「・・・窓から顔や手を出すと危険ですから、特にお子様連れのお客様はご注意ください」「はい!」こどもの国線というのは横浜を走る電車で、先週初めて乗りました。音声テープのアナウンスに元気に答える小さな女の子の「はい!」が、全部で2両の電車中に響き渡っていました。そして昨日の帰り。淡いピンクとグリーンの紙に包まれた花束を手にした白髪交じりの男性が、私の隣に立って電車を待っていました。慌てて着たのかコートの襟が半分中に折れて入っていて、ピンクと白のストライプのワイシャツの襟がのぞいました。身動き一つせずに一点を見つめて立っていた花束の彼は、きっと定年退職なんだと思います。童女あり、初老の紳士あり、電車に人生あり・・・なぁんて。


3月25日(木)
 今日のお昼はナスミソ炒め丼をとって食べました。信濃町校の近辺には飲食店が少ないために、出前をとる時はレバニラ炒めかナスミソ炒め丼、食べに出る時は定食屋さんの生姜焼き定食かマーボナス定食、もしくはおそば屋さんで何かと決まっています。一方、食べる所に関しては高円寺校はずっと恵まれていて、365日毎日違うところでお昼ご飯が食べられるんじゃないかと思うほど多種多様なお店がまわりにあります。一昨日、人事異動の発表をしました。その対象者数名の中に私も含まれていて、4月からは原則として高円寺校に常駐となります。インターカルト変革のための前向きな異動ですが、私のお昼ご飯のメニューもついでに変革です。


3月24日(水)
 インターカルトのスタッフになって初めて迎えた卒業式の次の日、高円寺校のAさんは「寂しい」と言って元気がありませんでした。私たち、いえ私は、学生が入ってきては出ていくということにいささか慣れてしまった感があって、卒業式のその時は涙なんかを浮かべていたりするのに、今の時期になると、やれ空港での出迎えはどうするとか、アパート探しは誰がとか、寮の布団の準備はできているかなどという慌しさの中に寂しさなど吹っ飛び、これでまた入学式で新入生を見ると新たな涙が湧いてきたりするのです。日本語学校業界は今まさに冬の時代に突入と世間では声高に言われています。それは事実でしょう。けれど私たちインターカルト日本語学校は、そんな時代だからこそ、それに動じることなく大騒ぎすることなく、一つ一つ地道にちゃんとというつもりでやっていきます。ただひたすらに粛々とです。ふと気づいたら、2ヶ月前にあった研究発表会の様子がアップされていました。巣立っていった日本語教員養成研究所の修了生たちは元気に活躍していることを証明して、またそれぞれの職場に戻っていきました。


3月23日(火)
 人には、叩かれることで奮起してやる気を出すタイプと、誉められていい気になってもっと頑張ってしまうタイプと二通りありますが、私自身は後者「豚もおだてりゃ木にのぼる」タイプだと思います。そして叩くか誉めるかという側の立場から言うと、場合によって渋々叩くこともありますが、基本的には誉める方でいきたいと思っています。16日のカイ日本語スクールのHPで私をおだててくれている山本さんの「校長のねごと」、それ以降更新されていません。自分とこのことだけに忙しい私と違って、日本語学校全体を背負っている彼女は、きっと忙しすぎて寝言なんて言ってる暇もないのかもしれません。山本さーん、お元気ですか?


3月22日(月)
 コンピューターウイルスとか迷惑メールとか顧客データの流出とか、世の中の進歩に後追いの形で巧妙な犯罪が次々と登場しています。香港から用事があってかけた知人への電話、海外からの受信時には携帯の画面に「通知不可能」と出るのですが、それを見て怖くて出られなかったという理由でその人は電話をとってくれませんでした。この怪しい電話に出たら、とんでもない額の請求書が送られてくるかも・・・と。かけた電話に出てもらえないなんて悲しい時代です。今日は冷たい雨が降り続き、冬に逆戻りしたような一日でした。


3月21日(日)
 昨日の説明会では、E学園の理事長のお母様、S子先生もご一緒でした。インターカルトの私にとっては、かつての校長先生、H子先生を彷彿とさせる存在。つまり、その御前では思わず背筋がピンと伸びてしまうという感じです。5年、10年、20年(←もういない)たったら私もそんな存在になれるでしょうか。自信をもって「なれない」。そういう方々は私の年齢の時からえへらえへらしていないで、今のような凛とした存在だったと思うので。嗚呼。そのS子先生が何かの本に「教師は女優である」というような内容の文章を書いていらしたのを読んだことがあります。足許にも及ばない私がこんな言い方をするのは僭越ですが、そのお考えに同感です。女優とは、演技をする人という意味ではありません。美しくあれという意味です。・・・なんて考えながら、慌しく本日帰国しました。えへら。


3月20日(土)
 ここ香港でも、テレビの「新聞」で台湾の総統選挙の話題を特集を組んで流しています。ご存知のように「新聞」は中国語では「ニュース」の意味で、このように中国語と同じ漢字でも意味の違う単語が日本語にはたくさんあります。「迷惑」もそうだそうです。広東語の発音は「マイワー」、その意味の違いを、10月からインターカルトに入り、今春休みで一時帰国しているソニーが教えてくれました。と言っても、やっと初級が終わった程度。たぶん中級以上と思われる語彙の意味の違いを日本語で的確に説明するのは難しく、まず女の人がお色気たっぷりに目をパチパチさせ、服を脱ぐ・・・以上身振り手振りで。そして曰く「それを男の人が見ます。男の人は「迷惑」させられます」。??。何となく、こんな意味かな? その後に会った卒業生たちは、ううん、難しいなあとしばらく考え、「中国語の「迷惑」は「迷う」と「惑う」。日本語で言うと「戸惑う」みたいな感じかなあ」。わかったようなわからないような。私の中では一歩核心に近づいたような気はしたのですが、これ、授業そのも
のですよね。思わず辞書に手を伸ばす学生の気持ちがわかりました。というわけです、先生たち、どうぞよろしく。(追伸:大辞林には②③の意味として中国語の本来の意味と思われる語釈が出ていました。)


3月19日(金)
 香港です。今回はお互いの都合が合わなくて会えないのですが、出張の少し前にインターカルトのHPで私のアドレスを見つけメールを送ってくれていた卒業生と電話で話をしました。声は昔のまま、当時の顔を思い浮かべながら話しました。「で、いくつになったの?」と聞いたら37歳。次回会う約束をした、この、当時20歳だった少年の今は禿のオヤジだそうです。彼はそれでもまだ若いですが、27年前の創設当時、たとえば20歳で在籍していた卒業生は47歳、25だったら52歳、30だったら57歳。もう十分に子供が留学する年齢ですね。台湾や韓国にはすでに親子もしくは一族郎党そ
ろってインターカルトという人たちが何組かいます。私たちも、それ相当に年をとったということです。


3月18日(木)
 カラスからも鳥インフルエンザのウイルスが見つかっています。学校に行く道々、ゴミをあさっているカラスをよく見かけますが、私が知っている限りの世界の国々で、カラスを見ることはたいてい「bad luck」―良くないことです。「どうして日本にはカラスがたくさんいるんですか」と学生によく聞かれます。どうしてでしょうねえ。信濃町に限って言うと、赤坂御用地、神宮外苑など緑の多い所が近くにあるからでしょうか。「日本人はカラスが嫌いじゃないように見えますが」とも言われます。それは、♪か~ら~す~、なぜ鳴くの~♪で始まる童謡「七つの子」に子供の頃から馴染み、知らず知らずのうちに親しみを感じてしまっているからではないか、というのが私の説です。今、世間は鳥、牛ですが、去年はSARS・・・今年は姿を現しそうにないことにほっと胸をなで下ろしています。あと一息。今日、東京は桜の開花日、インターカルトは教師会。そして私は明日から香港です。good luck!


3月17日(水)
 時は春、所はジョン万次郎。会場を埋め尽くした300人を超える出席者たち。インターカルト日本語学校の卒業式そしてパーティーが、厳粛かつ元気に行われました。皆勤賞13人、精勤賞15人、これ、ほんとに偉い。成績優秀賞、これも偉い。けれど壇上で紹介し表彰してあげたい人はもっといました。でもそれができないことに心が痛みました。この、自由なインターカルトで、お勉強ができることだけを最大の評価とはしないはずのインターカルトで、出席率以外の賞の対象が成績優秀者だけというのは変なんじゃないかと思い、習慣、慣例でそれをし続けてきたことを反省しました。…おっと、おめでたい日にぐだぐだ言ってすみません。今の私は理屈抜きに「I love Inter-Cult」。スカートの裾をひらひらさせながら、春風に乗って学校に戻ってきました。卒業おめでとうございます。皆さんに「ひょーしょーじょー!」



3月16日(火)
 2002年春、日本経済新聞夕刊の「ドキュメント挑戦 日本語教育の新世紀」と題したシリーズに登場させていただきました。日経は凄いです。というのは、その記事が掲載された直後から「見た」という知らせが日本国内外の知人友人から届き、見知らぬ人たちからは「インターカルト日本語学校で働きたい」とか「日本語教員養成研究所に入学したい」という電話がかかってきました。そんな有難い記事を書いてくださった編集委員の勝又美智雄さんが3月末で早期退職されることになり、昨日の晩、勝又さんの「新しい門出を祝う会」がありました。各界の著名人たちが何百人も集まってきていて、やっぱり日経は、いえ勝又さんは凄いのだと思いました。霞ヶ関のプレスセンターであったこの会に出掛けて行ったのは、ただ取材を受けただけなのに招待状を送ってくださったことに感激したのと、もう一つは、問題が山積する今の日本語教育界にあって、少しでも外界の人と接する機会を持ちたいと思ったからです。勝又さんの新しい挑戦に・・・エール!


3月15日(月)
 5、6年前のスピーチ大会で、高円寺校の初級クラスの学生が「私のクラスにはコアラがいます。」とクラスの学生の話をして会場を沸かせたことがありました。当時の先生たち、覚えているでしょう? あの、成績優秀ではないけれど、明るくてにぎやかでみんな仲が良かったクラス。そして先週、信濃町校の廊下の壁に「インターカルトのドラえもんを知っていますか。」という見出しの文字を見つけました。前にもここで紹介した中級クラスで作った新聞です。誰? そう、たたた企画開発室長。その同じ日に、以前中国でやややや局長と私と知り合い、その後大学院生として日本に来ている女性から久しぶりのメール。最後に「お父さんみたいに優しいややややさんにもメール送ります。」とありました。学校での人気者は先生と若いスタッフたちだけだと思っていましたが、ドラえもんもお父さんも・・・、当校最古参のお二人です。冒頭の卒業生コアラは台湾に帰って真面目に働いているらしいです。

3月14日(日)
 今まで、たまたま話す機会のあったほんの一部の人にしか言っていませんでしたが、実はこの2年間、放送大学大学院の学生でした。仕事には100%支障ないようにしてきたつもりなので、誰も気づいていなかった(ですよね?)と思います。気づかれないくらいに仕事をしていたということは、その程度にしか勉強に時間を割いていなかったということで、無事2年で修了できたのはラッキー、要領がよかったの一言に尽きます。今日は、出席しませんでしたが学位記授与式。同じゼミの人から花束が届きました。私はひっそりと大学院に入りましたが、いつか、公に勉強できるような研修制度を作れればと思います。
 新聞に、日本語学校経営者の不祥事が大々的に出ていました。ほんとにまったく程度ではすまされません。本気で日本語教育をしている経営者は手を挙げてください。挙げてない人、すぐに学校を閉めてください。その度にとばっちりを受ける私たちのために、日本の国際化のために、そして何よりも普通にちゃんと勉強している学生たちのために。


3月13日(土)
 日一日と暖かくなっています。そろそろブーツをしまってもいいなと思いながら家を出たら、立川駅構内のお店でかわいいブーツキーパーを売っていたので思わず買ってしまいました。足の先の方にシリカゲルと活性炭が入っています。家に帰ってブーツに入れて飛び出た犬の頭を見ていたら、何年か前の北京ダックの頭を思い出しました。中国出張最終日、空港に向かう日の朝ホテルのロビーに現れたY局長のかばんのチャックの隙間から、中に全身入りきらなかった真空パックの北京ダックの頭がぴょこんと二つ飛び出し、顔をこっちに向けていました。(想像してみてください。)この話、帰ってきてから何回も何回もいろいろな人にしているので、耳だこという人、ごめんなさい。そこいら中でばらされてるY局長、もっとごめんなさい。


3月12日(金)
 今日は、日本語教員養成研究所の修了式。1988年3月、私も修了生でした。入学の時、勉強するために学校に入るのだから友達は作らないと決め、「“見れる”“食べれる”を使う人」という授業中の質問に、「日本語教師を目指そうという私たちに何たる愚問」とカチンときたところに、「使います」とぱらぱらと手を挙げる人たちがいるのを見て愕然(後で当時の文法の先生に、あの時加藤さんはものすごく怖い顔をしていたと言われました)。本当によく勉強し、その勉強が楽しかった半年間、小中高大を通じて初めて成績一番での修了でした。・・・そして今ここに日本語の先生をほとんどしていない自分がいます。矛盾を感じていないわけではありません。でも、じゃあ今、充実していないのかと聞かれたら、それはノーで充実しているのです。改めて、修了おめでとうございます。皆さんそれぞれの未知の未来に乾杯!


3月11日(木)
 このページを始めたことで、8年半書き続けていた日記が去年の5月以降中断したままです。前の晩に次の日に書くことを考えるので、さらに日記帳を取り出してそこに何かを書く余裕がなくなってしまったのです。ふつう日記は一日が終わった時にその日のことを書くもの、ですから正確にはこれは日記ではありませんね。思いつくままに何でも記。昨日の晩、さて明日は何の日だっただろうかと手帳を見たら、Myjm先生の誕生日。同じ高円寺校には?0の大台に乗る手前の年から1歳ずつ引き返している(と決めている)人もいる一方で、彼女は誕生日が大好き。今日も皆に言いふらしてうきうきしていることでしょう。おめでとうございます。2ヶ月後に私も同じ年になります。


3月10日(水)
 キャンディーズのデビュー30周年を記念してCDが出たそうです。解散は大学に入学したての春でした。住んでいた大学の寮の近くに後楽園球場があり、そこで解散コンサートが行われました。まだ東京ドームがなかった時代です。テレビやラジオでしか聞いたことのなかったキャンディーズの生の歌声とファンの歓声が空の向こうから聞こえてきて、ああ私は東京にいるんだと思ったのを覚えています。海外での学校説明会で、入学希望者にまず聞かれるのは「住むところ」です。初めての土地、それも外国ですから、それは当然のことでしょう(本当は授業の内容を聞いてほしいんですけれど)。インターカルトの寮は今まで阿佐ヶ谷に2つだったのですが、今年の1月から高円寺駅周辺にも4つできました。生活に必要な物も一式揃っています。私は5ヶ月程で寮を出てアパートで一人暮らしを始めてしまったのですが、学校にとってそれはあまり嬉しくないこと・・・と立場が変わってわかりました。


3月9日(火)
 最近の若い学生の多くが、日本語に興味を持ったきっかけとしてタレント、アニメ、ゲームを挙げるということは、先月20日に書きました。「日本語学校」の将来を考える時、外国人にとっての「日本語」そして「日本」の魅力は最重要ポイントです。ううん、そうか・・・と、あれやこれや考えをめぐらしていました。そうしたら・・・、先週の土曜日の新聞に「アニメのプロ 東大が養成」という文字を発見。世界で勝負できるアニメやゲームのプロデューサー養成プログラムを、東大がスタートさせるそうです。まさか、いきなり東大が現れるとは思っていませんでした。東大と争うつもりはありませんが、何か、先を越されてしまったというような、複雑な気持ちです。


3月8日(月)
 今日は、日本語教員養成研究所2003年度10月期生の修了試験です。え?もう修了?(こちらが特別にお勧めする方には再試験もあります)。今進めている“外国人学生の日本人との交流の機会拡大”のために、日本人の方たちにボランティアとして登録していただいているのですが、その中には養成の修了生もいます。Yさんもそのお一人で、今香港にいるS先生の同期です。先日の香港で、交流会に来てくださっているYさんの話をS先生にしたら、もう知っていて、というのはHPの交流のページにYさんの写真が大きく出ていたのをすでに見ていて、懐かしかったと言っていました。そしてその話をまたYさんにしたら、HPのS先生の「香港滞在記」を読んでいるとのこと。同期でいつも席が隣同士だった二人の年齢差は30以上? でもこれが日本語教師養成コースのいいところ、老若男女関係なく席を同じゅうして、切磋琢磨です。興味のある方はぜひどうぞ。それにしてもHPってすごいですねぇ。そのWEBの活用も来年度の事業計画、重点項目の一つです。


3月7日(日)
 もう17年も前の日本語教員養成科の音声の授業で、「に」が「ね」に、「く」が「こ」になる国の学生が「昨日ねこを食べました」と言うのを聞いて驚いたことがあるという先生の話を聞き、私は心からへぇ~と思いました(「へぇ~」は正しい日本語表記ではありません)。食べたのは猫ではなく肉です。(確か初日の授業。音声に関心を持たせる導入、成功ですね)。その後の自己の体験から、タイ人は「しごと(仕事)」が「ちごと」に、韓国人はどんなに図体の大きい男の人でも「はじめまして、どうじょよろしく」とかわいくなり、香港の学生たちは「先生、さようららー」と言って帰っていき、「d」が「r」になる台湾では日本から伝わった「おでん」が「おれん」として定着しているということを知りました。3年前に専任非常勤教職員全員でしたブレーンストーミングで、こういう、学生がする音声や文法の間違いを集めたら面白いんじゃないか、それに学術的な根拠を解説としてつけて出版したらどうかという話が出ていましたが、未だかなわず、金曜日の事業計画発表会でもそれは出ませんでした。最近増えてきた非漢字圏の学生に対する、漢字圏とは別の方法による漢字の授業の開始は、去年の発表会で出て、その後先生たちがいろいろ研究して、そして今もうしています。


3月6日(土)
 「キムタク(木村拓哉)」は「キム・タクさん(金拓さん)」だと思っていたという話を、何人かの韓国人学生から聞いたことがあります。韓国語的発音風英語(?)で「パク、スペキン(朴speaking)」と電話をかけてくる釜山の人の名前を、ずっと「パクスペキンさん」だと思っていた人、「デビット・ロス」という名の卒業生からかかってきた電話を「ユニット・バスみたいな名前の人から電話」と言って私に受話器を渡してくれた人、これはインターカルトの日本人、KuさんとTaさんの昔の話です。人のことばかり書くのは不公平なので私。元気の素と言ってここにも何回か書いたサザンオールスターズの♪勝手にシンドバッド♪、「シャイなハートにルージュの色が」という歌詞を「しゃよならと~いう字の色が」だとずっと思っていました。歌っている桑田圭祐は、「さよなら」を「しゃよなら」と言っているんだと。テレビ画面の下に出た歌詞を見てびっくりしたのは、本当の本当につい最近のこと、確か去年の秋頃のことです。


3月5日(金)
  教師になりたての頃、韓国では試験の日に受験生に飴(あめ)をあげるという話を聞いたので、日本語能力試験の前日にクラスの学生たちにキャンディーを配ったところ、「これじゃ、ダメですー。」と大笑いされてしまいました。飴は、受験した学校の門や塀にべっとりと貼り付く水飴でなければならないそうです。…と、ここまで書いて中座。「勝つ!」と思ったからではありませんがカツ丼を食べてきました。「牛やら鶏やらモウ、ケッコウ」と発言して反省している大臣がいると聞きました。論外。一生、反省していてください。今日、私たちは2004年度の事業計画発表会。発表者は各部門、聴衆は全部門です。



3月4日(木)
 年をとると反応が遅くなるというのは周知の事実です。たとえば、日帰り旅行の疲れが年齢順に1日ずつずれてあらわれるなんていうのは、その典型かと思われます。喉の渇きもそうだそうで、水が飲みたいと思うまでに時間がかかり、脱水症状になってしまう人もいるそうです。年齢かどうかはわからないのですが、今年の私は寒さを感じません。2月は確かに暖かいほどでしたが、皆が口々に「寒い寒い」と言っているここ数日も。昨日、タートルネックのセーターで暑くて暑くて仕方がなかったので、今日はカーディガンの下、半袖のTシャツで来てみました。
  今日こそ何か格調の高いこと、もしくは社会問題、もしくはためになることと思ったのですが…。台湾には「牛はいくつになっても牛」という言葉があるそうです。(写真は、これまたどうでもいい海ほたるで○○○貝汁。食べた?飲んだ?吸った?)


3月3日(水)
 ありったけの色が散りばめられ、ああでもない、こうでもないと言いたい放題のインターカルトのHP同様、高円寺校の壁にお雛様の色紙が貼られ、教務室に一日アシスタント・ティーチャーの教員養成研究所の学生がちょこんと座っていると思ったら、信濃町校では初級クラスの発表会が行われ、カウンターには桃の花と折り紙で作った雛人形がちょこんと飾ってありという具合に、学校の中もいつもちゃかちゃかしています。激動の日本語学校事情なんてどこへやら。お陰様で変わりなくこれからもです、私たち。お友達のカイ日本語スクールの山本弘子校長先生が、「校長のねごと」というコラムをカイのHP上で始めました。まぁ、なんてすっきりしたデザイン、洗練された文章。初日の「はじめまして」というページに私の名前も出ています。同業さんにリンクはっちゃう私、心が広いでしょ?


3月2日(火)
  2月から3月にHPの更新完了。毎日の更新は難なくできるようになりましたが、月の更新作業をまるまる全部一人でしたのは初めてです。「バックナンバーの更新は大変なので私がしますから」と担当のHi先生はおっしゃってくださいましたが、今みんな会議やら授業やらで不在、ちょっとやってみようかと挑戦してみました。「すごい!」って誉めてもらいたいから一生懸命やっちゃうんですよね、こういう時。以前、他のページの見様見真似で一人で初めてリンクをはった時、恩師Hi先生から「評価:A+」というメールをもらいました。


3月1日(月)
 ブームだからではないのですが、「にがり」を買いました。豆乳に入れて蒸すとお豆腐ができるというので作ってみたところ、お豆腐よりお豆腐らしい濃いお豆腐ができました。にがりは体の何にいいのでしょう。世の中にはいいと言われるものがたくさんあって、それにお金や時間を使って努力し続けている人がたくさんいます。「目が大きいとそれだけ周りの皮膚に負担をかけるから、目の大きい人はシワができやすいのよ」と高円寺校のKa先生が言っていました。私は、偶然買ったシワとりクリームが効いているような気がして毎晩目の周りにすり込んでいるのですが、カッターナイフで切り込みを入れて裂けた程度の目だからシワができにくいということなのでしょうか。雪のない2月は25年ぶり、平均気温は平年を2.4度も上回る8.5度だったそうです。それが今日はみぞれ。なんてこった・・・ばかりの3月初日でした。

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